12
道化に褒美を取らせるような物言い。完全に下に見られているが、言い換えれば昧弥が調子に乗り、足元が疎かになっているとも取れる。
もし上手い一手を繰りだすことができれば、今までの積み重ねられた屈辱を晴らし、あのいけ好かない面に一発見舞えるかもしれない。
何より――負けっぱなしは性に合わない。
道祖は静かに目蓋を下ろした。生まれた一拍の沈黙の間に、全力で頭を回し、あらゆる可能性を模索する。
自分たちに必要なことは何か。この場ではなく、この先で、僅かでも益を得るために今やっておくべきことは何か? それを引き寄せるために、昧弥の口から何を言わせればいい?
一つ、小さく息を吐き、目蓋を開く。
――腹は決まった。
道祖はテーブルに突いた片肘に体重を預けると、やや前のめりの体勢になって挑むように口角を吊り上げた。
「……お前、学生だよな?」
質問は実に簡潔だった。
その飾り気のなさに、思わず虚を突かれた昧弥の表情が固まった。しかし、それも一瞬のこと。すぐさま思考の隙間を塗り潰し、小馬鹿にした笑みを浮かべなおす。
「ついに真面な思考もできなくなったか? 何をほざくか思えば――」
「お前のここでの身分は学生だよなって訊いたんだ。イエスかノーで答えな」
しかし、すでに流れは傾いていた。
その確かな手応えを感じ、道祖は笑みを深めた。
昧弥の言葉を遮れるなど、数秒前までは考えられなかった。それが自分でも分かるだけに、今の状況が愉快でたまらない。
たとえ痛みなどない蚊の一刺しだとしても、一矢報いたのだ。
それでも綱渡りのような状況には変わりない。背中を伝っていく汗の冷たさが、それを突きつけてくる。だが、体が震えているのは恐怖からだけではない。
――これは武者震いだ。
こんな暴挙を押し通されても昧弥は質問に答えざるを得ない。
悍ましさが傲慢という服を着て歩いているようなこの存在が、自分の言葉を反故にできるはずがない。それが後々の弱みになることも知っているだろう。
道祖には、その確信があった。
「ほらっ、どうした? そのよく回る舌ならすぐだろう。さっさとしな」
交差する二人の視線は、先程までとその色を違えている。
片や虚勢で覆いながらも優位にあることを確信して愉悦に塗れ、片や先程までの高慢な喜色は影を潜め、感情を読み取らせない冷徹さで覆われている。
先程の業によるせめぎ合いとは異なる、思考による静かな攻防が繰り広げられていた。
時間にすれば、沈黙はほんの数秒のこと。
両者の思惑が複雑に絡み合い、これからの力関係を暗示する一つの導となる一幕――その幕を切ったのは当人たちではなかった。
「主の恩寵に甘えておきながら……随分と増長したものですね」
沈黙に張り詰めた部屋の中に、ダニアの地の底を這うような声が響いた。
己の主人に対する傍若無人な振舞い。度を越えて身の程を弁えない道祖の態度に、今すぐこの不届き者を黙らせなければと、瞳に暗い光を宿らせながら一歩踏みだし――視界を遮る主人の手によって止められた。
「――ダーニャ。今話しているのは私だ」
ダニアは片手を上げて制止を示してきた主人に対し口を開き――唇を僅かに震わせただけで何も言葉にはしなかった。
自分が動けば主人に泥を塗ることになる、それが分からないほど我を忘れてはいなかった。
故に、歯を食いしばるように引き結び、ダニアは一礼し、元の位置まで下がった。
その様子に道祖は一層顔を歪めてみせて……心の内で盛大に安堵の息を吐いた。
昧弥の存在もさることながら、このメイドもヤバい。
いや、むしろキレたときに何をやらかすか分からない、見境のなさを隠し切れていないこちらの方が厄介な可能性すらある。
昧弥が相手であれば常に準備を怠るたることはないだろう。だが、ダニアの場合は何が爆発のスイッチになるか分からない怖さがある。
当然、主人である昧弥に関することが、その最たるものであるのは分かり切っているが、それ以外でも何かの拍子で着火剤になり得る。その何かが測り切れない。
常時の備えよりも、突発的な災害への対応の方が肉体的にも精神的にも削られるものだ。
――昧弥だけで手一杯だっていうのに……。
道祖は頭の中を愚痴が埋め尽くしていくのを感じ、今から頭痛が止まらなかった。
だが――これもまた、つけ入る隙には違いない。
「従者の躾も碌にできないのか? これでは主人の程度も知れるなぁ?」
ここぞとばかりに道祖は目一杯の煽りをくれてやる。
これでダニアが暴走するなら、それを理由に学園の保有する全戦力を差し向けることになる。それで昧弥をどうこうできるとは到底思えないが、ダニアだけを排除するならば、やってできないことはないだろう。
そうなれば悩みの種を一つ消えることになる。予定とは少々違うが、それならそれで今後の動きを修正するだけだ。何も問題はない。
道祖はチラッと探るように視線をダニアへ流す、それが挑発と受け取られることもすべて織り込み済みで。
「――ッ!」
ギリッと歯が軋む音が響いた。
眉間に寄ったしわの深さが、そのままダニアの怒りの深さを表わしていた。
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