二十六日目
「いよ、旦那」
「お前は………………………」
いつものように仕事を終わらせて家に帰る最中に詩音はある男と遭遇した。
かつて、ノービリス公爵に雇われ、トレイヤを攫った悪魔と契約し、看破の魔眼を持つガーゼが軽薄な笑みと共に声をかけてきた。
「どうしてお前がここにいる?」
ガーゼはノービリス公爵家の騒動でベーゼと共に逮捕されて牢屋にいるはずなのにどうしてこんな街中にいるのか怪訝するもガーゼはその疑問にあっさりと答えた。
「そう怖い顔すんなって。脱獄してきてまで旦那に会いにきたんだからよ」
「俺に………………?」
「そ、まぁ、ここで立ち話もなんだし、どこかでゆっくりと話そうぜ? お互いの今後の為にも、な?」
意味深な言葉にひっかかるも、詩音の顔は険しい。
ガーゼはトレイヤを攫った張本人。雇われ主の指示に従っただけとはいえ心許せる相手ではない。
「とは言っても旦那が俺を警戒するのも無理はねぇ。こっちも今は旦那の信用が欲しいからな、これを俺の首につけてもいいぜ」
ガーゼが取り出して詩音に渡したのは奴隷が首に嵌める隷従の首輪。
これを嵌められた奴隷は主人の命令には決して逆らえない様に魔法式が組み込まれている。
道具、魔道具の能力鑑定をしても不備も細工もされていない。これをガーゼの首に嵌めて魔力を込めればガーゼは詩音には逆らえなくなる。
「………………………………いいんだな?」
「ああ、いいぜ」
警戒することに越したことはない。
詩音はガーゼの首に隷従の首輪を嵌めて魔力を込める。これによってガーゼは詩音の命令には逆らえなくなった。
「とりあえず話は聞く。だけど、もしもの時は」
「わぁーてるよ。そんなことはしねえって」
もしもの時は実力行使でもう一度捕縛するつもりで詩音はガーゼと共に近くの喫茶店に入った。
互いに対面するように腰を落ち着かせて店員に注文を取るとガーゼは口を開いた。
「んじゃま。単刀直入に言うぜ? 旦那、俺を雇る気はねえか?」
「………………………………お前、自分が何をしたのかわかった上で言っているのか?」
「ああ勿論。だが、あの時も言ったが俺は使えるぜ? この世界でレベルが40台はそうはいねえ。それに裏の世界で生きてきた俺は戦闘・諜報も得意だ。旦那の周囲に何かあってもそれを事前に報告、鎮圧もできるし、あの姉ちゃんの時のように旦那に危ない橋を渡らせることはねえ」
苛立つもガーゼの言う通り、ノービリス公爵家の襲撃は一歩間違えれば処刑は免れなかった。危ない橋を渡ったという自覚もある。
最もどの口が言うか、と思う気持ちが強いが…………………だが。
またトレイヤに、いや、トレイヤだけじゃなく、自分の大切な人達に危険が訪れるのならそれは阻止したい。
この男を信用するつもりはない。だが、使えるというのは本当かもしれない。
この世界のレベルは大体10~35。それを超える40はそう簡単に辿り着ける領域ではない。
詩音のように特典としては例外だけど。それだけこの男、ガーゼは言葉通りの実力があることをレベルが教えてくれる。
「………………………………お前の目的はなんだ?」
気になる点はこの男の目的だ。
いったい何を企んで接触してきたのか、その理由を聞いておかないといけない。
その言葉にガーゼは得意気に笑みを浮かべる。
「金だ。俺は金が欲しい。それだけだ」
単純な答えに詩音はむしろ疑問を抱いたが、ガーゼは続ける。
「裏の世界の人間にとって金こそ全てだ。俺も例外じゃねえ。俺は地位や女よりも金を選ぶ男だ。そして、大金が手に入る情報を俺は持ってる。なんだかわかるか?」
もったいぶるように焦らすガーゼに詩音は思いついたことを口にする。
「賭博か?」
「違ぇよ。この街の近くで新たな魔王が生まれるんだ」
「魔王が、生まれる………………………?」
「なんだ? 旦那は知らねえのか? 魔王つーのはな、簡単に言っちまえば魔力の塊だ。この世界のあちこちに魔力の濃度が濃い場所があってな。そこで何百、何千年もの長い年月をかけて魔力が結晶化し、人格を持ち始める。それが魔王だ」
詩音が知っている魔王とは全然違う。
どちらかというとこの世界の魔王は結晶や鉱石の類に近いのかもしれない。
「それがどうして金になるんだ?」
「魔王の体内には魔力が結晶化した魔力の核があってな。俺達ではそれを魔王核って呼んでんだ。んで、その魔王核は裏の世界じゃ高値で売れる。それも億なんて下らねえ金額で、だぜ?」
「なるほど。つまりお前はその魔王核が欲しい。そして、その魔王を俺に倒して欲しいってところか?」
「そういうこった。旦那のあの化物染みたステイタスなら魔王でも余裕で勝てる。俺は旦那の下で働き、旦那の日常を陰でなんとかしてやる。んで、旦那は魔王を倒して魔王核を俺に譲る。悪くはねえ話だろ?」
「その魔王の強さにもよる」
「旦那の実力なら大抵の魔王なら余裕だ。これは保証してやる。それに魔王を倒すのはこの街の為でもあるんだぜ? 魔王は厄災だ。歴史上、魔王の手によっていくつもの国が滅んだことだってある」
「マジ………………………?」
「悪いが大マジだぜ。嘘だと思うなら調べた上で俺を雇うか決めてもいい。それに魔王を倒すと特殊能力っていう倒した魔王の力を獲得することができる。旦那にも得することはあるぜ」
初めて聞く能力名。
諜報も得意というだけはあってそれなりの情報を持っているみたいだ。
この近くで魔王が生まれたらこの街を襲う可能性がある。そうなればこの街にどれだけの被害が出るかわからない。
ガーゼは信用することはできない。だが、魔王が街を襲う。そうなる前に阻止することができるのなら。
「条件がある」
「お、なんだ?」
「一つ、俺を裏切らない。二つ、嘘をつかない。三つ、俺に関わる人達には危害を加えない。この条件を呑むなら雇ってやる」
「了解。それと安心しな、旦那。旦那の女達には手は出さねえよ。じゃねえと俺が旦那に殺されちまう」
詩音は大切な人達を守る為にガーゼを雇った。
安全・堅実がモットーだけど、女神から貰ったこの特典で皆の安全を守れるなら妥協はする。
今の生活にちょこっと非日常が交ざるだけ、と自分に言い聞かせる。
「あ、そうだ。旦那にはいらねえかもしれねえが、悪魔と契約した方が色々と便利だぜ? 悪魔は契約には忠実だ。契約内のことなら絶対に守る」
「だけど、どんな対価を払わなければいけないのかはその悪魔による」
「そりゃそうだろう? 無償で貰える方が俺は怖ぇぞ。それに召喚できる悪魔は召喚する奴のレベルによって決まる。旦那ならいい悪魔と契約できるはずだぜ。ま、試してみな」
テーブルに悪魔召喚用の魔法陣が描かれた羊皮紙を置いてガーゼは立ち上がる。
「そんじゃ俺は魔王について情報を集めてくるぜ」
手を振りながら去って行くガーゼに詩音は少し悩んで取りあえず魔法陣が描かれた羊皮紙を貰っておくと同時に気付いた。
「あいつ、逃げやがった…………………」
自分の分の代金を詩音に押し付けてさり気なく去って行ったガーゼの分まで詩音は金を払った。
詩音は自室でガーゼから貰った悪魔召喚用の魔法陣を睨み付けるように見ていた。
その理由は召喚するか、否か。
別に今の生活に不満なんてない。ただ、万が一に魔王と戦うのなら力は必要だ。
これ以上力を手に入れてどうすると思う自分もいる。だけど、戦いに絶対はないし、詩音の戦闘は全てステイタスや能力によるもの。
何かしらの対応策として悪魔を召喚しようかと悩んでいる。
ガーゼの話では召喚する者のレベルによって決まる。LvMAXの詩音ならそれなりの悪魔を召喚できるはずだ。問題はその悪魔が何を要求してくるかだ。
「………………………………よし、いざというときはしばき倒そう」
命や魂を要求してくる悪魔ならお断り。最悪の場合はステイタスをフルに使ってしばき倒すことを決めた詩音は魔法陣に魔力を送る。
羊皮紙に描かれていた魔法陣は輝き、宙に浮かび上がる。それが床に向かって大きな魔法陣として展開する。
輝きが増していき、魔法陣が回転する。
増していく輝きに目を閉じ、腕で両目全体を覆う。
刹那、眩しい光量が広がり、光が止んだと思いそっと目を開ける。
「あらあら、私を召喚するからどんな人間かと思ったら随分と可愛らしい子ね」
先ほどまで魔法陣があった場所には女性が立っていた。
召喚された悪魔だろう。想像していた悪魔よりもむしろ人の姿をしているが、こめかみから山羊のような角があった。雪のような白皙の肌。すらりと伸びる艶めかしい肢体。黄金律という概念を摘出したような完璧なプロポーション。見目麗しく整えられたその相貌からは魅惑するような妖しい色香が魔性を感じさせる。
品よく微笑む彼女は紫色の髪をなびかせ、黄金色の瞳は真っ直ぐに詩音を見据えながら名乗りを上げる。
「初めまして。私は七つの悪魔の一柱、色欲を司る悪魔アスモデウス。さぁ、坊やの願いを言いなさい」
七つの悪魔。それを聞いて詩音は思い出した。
悪魔はこの世界とは違う魔界と呼ばれる世界に住んでいて、先ほど詩音が使った魔法陣はその魔界を繋げて悪魔を呼び出すもの。
その魔界で最も強く、崇められている悪魔が七つの悪魔だ。
傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、暴食、怠惰、色欲。七つの大罪を表し、七つの悪魔も同様の意味を司る。
詩音はその大罪の一柱である色欲のアスモデウスを召喚してしまった。




