二十四日目
「全員警戒は怠るな。何かあればすぐに異常を報告しろ」
「ハッ!」
夜の森で天幕の設置を終えたカバリは騎士達にモンスターの警戒に注意を促している間にエンレンはこっそりと天幕から抜け出していた。
「ふふん♪」
いつも人の目を盗んで屋敷から抜け出していたエンレンは今回もこっそりと自分の英雄である詩音がいる天幕に遊びに行こうとする。
運命の相手である詩音と何を話そうかと悩みながら天幕に近づくエンレンは心躍る気持ちで詩音がいる天幕まで近づいて一声かけようとした瞬間。
「はい、そもそも貴族と平民では結婚することはできません。これはこの国の法律で決められております。一部の特急階級や何かしらの功績を上げて爵位を得た者を除いてではありますが」
そんな話声が聞こえた。
それを耳にして戸惑うエンレンに気付かずに二人の話は続いた。
「それにエンレン様もまだ幼い。成長と共に現実を知り、ご主人様のことも諦めるでしょう」
「自然消滅する方法があるのならそれを先に教えてよ」
「恋する乙女の幻想を砕くのは少々胸が痛くなりますので」
そこまで聞いてエンレンはその場から駆け出していた。
ただその場から一秒でも早く離れたかった。
自分は貴族として生を受け、教育と教養を受けて育って来た。
毎日毎日と厳しい受けて一人の一人前の淑女として頑張ってきたそんな自分を支え、励ましてくれたのは御伽噺に出てくる英雄譚だった。
悲劇のヒロインを救う英雄に憧れ、自分のそんな英雄に救われるヒロインになりたいのが夢だった。
運命的な出会いがしたくて、屋敷から抜け出し、カバリに連れ戻される日々を送っていたある日に詩音と出会えた。
悪漢達を容易く倒して大丈夫? と優しく声をかけてくれた。
すぐにいなくなった為に名前も訊くことは叶わず、その後すぐにカバリに屋敷に連れ戻された。
そして自分が見て英雄の情報をカバリに伝えて探して貰うと割と早く見つかった。
それもそのはず。自分の英雄は一人の女性を助ける為にノービリス公爵家を襲撃したことで有名だったからだ。
それを聞いて本当に自分が憧憬する英雄のようだと思ったエンレンはカバリに頼んでどこに住んでいるか調べて貰い、その家に尋ねた。
我儘を言っても受け入れてくれた優しさがあって、モウルグライムというモンスターを倒した実力もある。まさに理想の英雄だった。
だけど、そう思っていたのは自分だけだった。
彼にとって自分はただの我儘を言うお嬢様。勝手に幻想を抱いて恋をするお子様。
自分の都合を押し付けていただけで、彼にとってはただの迷惑でしかなかった。
痛む胸と共に瞳から涙が零れ落ちる。
しばらく走ってエンレンは疲れ、走るのをやめる。
涙が頬を伝って地面に落ちる。その光景をただ見ていることしかできなかった。
「ぎゃぎゃ」
「!?」
奇怪な声にエンレンは正気を取り戻して周囲を見渡して自分が置かれている状況を理解した。
そして、自分の近くに自分と同じ背丈のモンスターであるゴブリンがいた。それも三体。
エンレンは咄嗟に茂みに身を隠した。
最弱のモンスターであるゴブリン。モウルグライムと比べれば全然大したことはなくともエンレンには脅威でしかない。
冒険者の間では駆け出しが相手にするには絶好のモンスターと言われているも、それは少なくともエンレンよりも成長し、背丈がある人にとってはだ。
ゴブリンは力も知能も人間の子供と変わらない。だが、その中身は残忍で狡猾。
人を襲い、女性を攫って、繁殖の苗床にされる。
知識としては知っていても実際に見るのは初めてだ。
ゴクリ、と生唾を飲み込むエンレンは警戒の為にも持っていた剣の柄に手を伸ばす。
「あれぐらいなら………………………」
ゴブリンはこちらの存在に気付いていない。なら、不意を突いて攻撃すれば倒せれるかもしれない。
倒すことが出来ればもしかしたら自分のことを我儘のお嬢様ではなく、一人の女の子として認めてくれるかもしれない。
ゴブリンに気付かれない様に息を整えて覚悟を固める。
その瞬間。
何かに背中を蹴られた。
「きゃ!?」
誰かに後ろから蹴られて茂みから出て来てしまったエンレンは後ろを見るとそこには別のゴブリンがいた。
「う、うそ………………………」
「ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!」
「ぎゃ、ぎゃぎゃ!」
こちらを指し、愉快そうに笑うゴブリンにエンレンは自分が誘い込まれたことにようやく理解した。
ゴブリンは初めから気付いていたんだ。その上で気付かない振りをした。
意識をゴブリン達に集中させ、別のゴブリンは背後から回っていることに気付きもしなかった。
顔が青白くなっていくことに自覚するエンレンはすがる思いで剣に手を伸ばすもゴブリンが蹴って剣を遠ざけた。
「あ!」
それを慌てて取りに行こうとするも、ゴブリンはエンレンにしがみついて押し倒す。
「あぅ! あ、いや!」
押し倒すエンレンの上に跨るゴブリンはにやぁと気色の悪い笑みを見せ、涎がエンレンの頬に垂れる。
そして他のゴブリン達もエンレンを囲むように集まり、全てが気色の悪い笑みを浮かべながらエンレンの服に手を伸ばした。
「いや! やめて! いやぁぁあああああああ!!」
強引に鎧を剥がし、服を破き捨てるゴブリン達にエンレンは涙ながら必死に抵抗するもゴブリン達はその反応すらも愉快そうに笑った。
恐怖と絶望が加速する。
服を引き裂かれ、白い肌が外気に晒される。
自分がどのような末路を辿ることになるのか、それが強く実感してしまう。
初めては自分の理想の人に捧げると思っていた。それが人ではないモンスターに身を穢され、純血も奪われるだけではなく、ただの繁殖というだけの苗床にされるという理不尽な運命に涙を流すしかできなかった。
「いや…………………助けて、シオン様………………………」
一度は悪漢達から自分を助けてくれた英雄に助けを求めるも、ここにいるのはこれから自分を穢そうとするゴブリンだけ。
そして足を掴まれて強引に開かれ、ゴブリンは口を舐めて近づいてくる。
穢される。エンレンは目を固く閉じる。
「裂けろ、空裂」
衝撃の刃が飛来し、ゴブリンの首が落ちた。
「え?」
何かが落ちる音に閉じていた目を開くとそこにはつい今しがた自分を犯そうとしたゴブリンの頭と胴が離れた死体が転がっていた。
「間に合った………………………」
「シオン、様………………………?」
月の光に当てられて姿を現したのは空に漂る月と同じ輝きを放つ刀を持つ安堵の表情を見せる詩音は自分の上着を脱いでエンレンに羽織らせる。
「あの―――」
声をかけようと口を開いたその時。
パン、と乾いた音が夜の森に響いた。
詩音がエンレンの頬を叩いた。
「………………………………………………………え?」
数秒間、自分が叩かれたことに気付いたエンレンは呆気を取られながら詩音を見るもその瞳は怒りに満ちていた。
「死にたいのか!? 夜の森は危険だって平民の子供でもわかることだぞ!! 相手がゴブリンだったからまだ間に合ったものの下手をしたら死んでいたんだぞ!!」
激情を露にする詩音にエンレンは熱を帯びた頬に触れる。
詩音が間に合ったのは本当に偶然でしかなかった。
森の中を駆け回って探し回り、運よく見つけることが出来たに過ぎない。
仮にエンレンを襲っていたのがゴブリンではなく他のモンスターだったらとっくに殺されていたに違いない。
「………………………とにかく、無事でよかった」
そっとエンレンを抱きしめる。
伝わってくる心地良い温もりが、エンレンの目から涙を呼んだ。
ゴブリンに犯される恐怖と絶望に苛まれていたエンレンは詩音の胸に顔を押し付け、瞳から涙を溢れ出す。
「ご、ごめん………………ごめんなさい、ごめんなさい…………………っ!」
「後で他の皆にも謝るんだぞ?」
少女の涙声を耳にし、背中を優しく撫でる。




