第69話:あたたかな餞別と、すれ違う未来予想図
アステリア王国最大の港町、ポート・セレステ。
冬の陽光を受けて白く輝く海の上に、ひときわ異彩を放つ巨大な客船が停泊していた。幾重にも連なる甲板、王宮の回廊を思わせる優美な窓列、船尾に刻まれたニルヴァス帝国の紋章。まるで海に浮かぶ宮殿そのもののような威容である。
そして、その周囲を守るように配置された四隻の護衛船もまた圧巻だった。どれも通常の商船を上回る大きさで、船体の随所に魔導砲や防護術式の紋様が刻まれている。
まさしく帝国第三皇子自らが帰国に際して用意した『賓客用の客船』であることを実感させる光景だった。
「それで結局コンテナ3つ分くらいの荷物を持ち込むことになってしまったのよ。普通に承認されたのが未だに信じられないわ。果たして滞在先に入り切るのかしら?」
「ふふふ、こちらもルシウス殿下が同じご様子よ」
肩を並べてそんな話をしているのはリネンのシーサイド・ドレスに身を包んだレヴェリアとエレインである。
もはや嫁入り道具と化したルヴィエール公爵家とブランシェール男爵家からのコンテナ3つ分の荷物は、当然のようにディートリッヒの決裁により持ち込みが受け入れられた。
エレインも実家とルシウスから多くの準備品を持たされているらしく、彼女は当然のように扇を広げて笑ったのだった。
「女神ーっ!探したっすよ!」
「レヴェリア様ーっ!エレイン様もご機嫌麗しゅうございます」
振り返ると、そこには見慣れたDクラスの面々が勢ぞろいしていた。
その顔ぶれを見た瞬間、レヴェリアの胸がじんわりと熱くなった。
エレインはそんな彼らの様子を一瞥すると、レヴェリアに「それじゃ、また後ほどね」と囁きするりと去っていった。おそらく彼女もまた、自分を見送りに来た者たちの元へ向かうのだろう。
「みんな、来てくれたの?」
「当たり前っすよ!この一年自分が成長できたのは女神のお陰だと思ってますから!」
「その通りですわ!ああ、侍女になってでも付いていきたかったですわ……!」
太陽のような笑顔でそう告げるリュカと、すでにハンカチで涙をぬぐっているアイーダ。
レヴェリアはアイーダの肩をそっと抱きしめながらみんなの顔を見つめた。
「アイーダ嬢が言うと冗談に聞こえないね……。レヴェリア嬢、たまには連絡よこしてよ」
「別に寂しくなんかないわ。……けど、あなたがいないと張り合いがないんだから。一年後、ちゃんと帰ってきなさいよね」
「ありがとう……!絶対連絡するし、来年戻るから!しっかり学んで更に大きくなって帰ってくるわね!」
テオドールとイザベラと約束を交わし他のクラスメイト達ともそれぞれ握手を交わしていく。
思い描いていた展開と全く違っていて、最初は絶望から始まった学園生活。
中でもAクラスへの特別編入が出来なくて落ち込んだことは、今でも鮮明に思い出せる。
けれどそれがあったからこそ、こんなに素敵な友達に恵まれたことをレヴェリアは心から幸運に思った。
「レヴェリアー!!」
大きな声で割り込んできたのは相変わらず人好きな笑顔を浮かべたフェリクスだ。
その後ろには銀縁眼鏡を整えながら歩くドミニクの姿もある。
「鍛錬怠るなよ、好敵手。帝国でも鈍るんじゃねぇぞ」
「ええ、約束するわ」
フェリクスはニカっと笑うと拳を突き出した。
レヴェリアは笑顔でそれにこつんと自身の拳を合わせた。
「俺ももっと強くなって待ってるからな。帰ってきたときの手合わせ、楽しみにしてるぜ」
「ふ、望むところよ……」
フェリクスらしい、まっすぐな餞別だった。
続いて、ドミニクが静かに進み出る。
「こちらは餞別です」
「え?」
差し出されたのは一冊の分厚い冊子だった。
表紙には達筆な文字で『帝国の統治と被征服者の扱いに関する一考察』と書かれている。
「わ、こちらドミニク様の書かれた新作論文ですか!?ありがとうございます!ぜひ船内で読ませてもらいますね」
「少しでもお役に立てたら幸いです。あちらで何か研究をされる際は、ぜひご連絡ください」
ドミニクがそう言って差し出した手を、レヴェリアはしっかり握り返した。
「私も行き詰ったときに、ご連絡してもよろしいですか?」
「勿論!」
『攻略対象』のはずが、『好敵手』『共同研究者』になっていた奇妙な関係。
今となっては彼らとそういう絆が築けたことを誇らしく思う。
一年間、貴族学園で培った彼らとの友情はきっと国を隔てても消えない。
まだ見ぬ異国への不安も、彼らの存在が勇気になる。
「レヴェリア」
穏やかな声に振り返ると、そこにあったのはルヴィエール公爵夫妻の姿であった。
いつも通り完璧に優雅な公爵夫人はその美しい微笑みに僅かに寂しさが滲んでいた。
公爵もまた厳格なたたずまいの中に、娘を見送る父親としての眼差しを潜めていた。
「お母さま、お父さま」
「きっとあちらでは様々なことがあるはずです。どうか、信念をもって、自分らしく在るのですよ」
「何かあったらノエルでも私たちでも、いつでも相談しなさい」
二人の言葉にレヴェリアは心が温まるのを感じた。
「はい、ありがとうございます。……行って参ります」
まだ短い付き合いでも、例え思惑がある養子縁組だとしても、確かに『家族』として受け入れてくれた。
心強過ぎる、最強の家族だ。
そして最後に、静かな声が彼女を呼んだ。
「レヴィ」
その声に、レヴェリアはぱっと顔を綻ばせた。
「お父様っ!」
いつものように柔らかな笑みを浮かべ、美しい金髪は一糸の乱れなく撫でつけられている。
完璧な紳士の出で立ちの、美しき養父。
「こんな日が来るなんて、思ってもみませんでした」
「ふふ、お父様ったら相変わらず大げさなんだから。1年後には必ず帰ってくるから安心して」
「……ええ、待っておりますよ」
クロードは無邪気に笑うレヴェリアを見て目を細めた。
彼女は、今から向かうのは単なる1年間の留学だと思っている。
――が、おそらく1年後に貴族学園に復学することはないだろう。
アステリアに帰ってくるとしても一時的な里帰りになるだろう。
自身の存在が、やがて、壮大な帝国の権力闘争の末のディートリッヒの最後の一手となることなど、微塵も知らない。
最善を尽くし、選択してきた結果ではあるが、何も知らずに笑う彼女がどうしようもなく切なく思えた。
(……今言っても、無駄に混乱させるだけ。あとは殿下に任せるしかない)
クロードはゆっくりと息を吐くと、レヴェリアの肩に手を置いた。
「レヴィ、良いですか。何があっても私はあなたの味方、困ったときはいつでも連絡するのですよ」
「ありがとうございます……。行って参りますね」
やがて、出向を告げる汽笛が高らかに鳴り響いた。
港がざわめきに包まれ、使用人たちが最後の積み込みを終えて船内に戻っていく。
レヴェリアは何度も振り返りながらタラップを上っていった。
甲板に出ると、眼下にはまだ大勢の人が残っていた。
Dクラスの面々が大きく手を振り、フェリクスが拳を掲げ、ドミニクが眼鏡を押さえながら小さく会釈する。
ルヴィエール公爵夫妻は気高く微笑み、クロードは静かにレヴェリアを見つめていた。
「みんな……!」
レヴェリアは手すりに身を乗り出すようにして、思い切り手を振った。
「行ってきます!!絶対に帰ってくるからねーー!!」
白い飛沫を上げながら、巨大な船体が海を滑っていく。
港町の石造りの街並みが少しずつ遠ざかっていく。
人影が小さくなり、建物の輪郭がぼやけるまで、レヴェリアは手を振り続けた。
(行ってきます、アステリア)
たくさんの温かい餞別を胸に、彼女は『新章』への旅立ちを深く胸に刻んだのだった。




