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第64話:ヘルマン式、地獄の王妃教育ブートキャンプ

冬休み一日目のその日、凄腕家庭教師のヘルマン・リヒターは予定表のスケジュールを大幅に黒く塗りつぶしながら、教え子の規格外な成長スピードに満足げな笑みを浮かべていた。


「レヴェリア様、公爵家の淑女教育を予定の5倍の速度で体得したとお伺いいたしました。流石でいらっしゃいます」

「ふふふ、10年間お父様たちと重ねた修行は伊達ではないので。知っている内容が多かったものですからスキップにスキップを重ねて、気付けば厳しいと評判のロッテンマイヤー女史から修了証をいただいておりましたわ」


ヘルマンに褒められ、レヴェリアは鼻高々にドヤ顔を披露した。

そう、クロードが最高の環境で施した『修行内容』には学科、魔法、剣術、裁縫だけに留まらず、本来彼女が受けるはずだった『グレイシア王女教育』も含まれていたのだ。

結果として、姿勢、歩法、会食作法、舞踏、来客応対、筆記、会話術といった基本課程はいずれも公爵令嬢水準を満たしていたため大幅に免除され、『ルヴィエールの令嬢』になるための派閥、家人掌握、内輪ルール、茶会や夜会運営などごく限られた上級課程に限られたのだった。

こちらについても国内の貴族名鑑や派閥、茶会夜会の運営方法は大体把握しており、教育担当の女史や夫人を大いに驚かせた。


「素晴らしい。……それでは、ようやく王妃教育に本腰が入れられますね」


ヘルマンはギラリと眼鏡を光らせながら、指でブリッジをクイと押し上げた。


「ほ、本腰……?」

「ええ、これまで取得してきた法律暗記や宮廷運営はあくまで前提知識。王妃教育と淑女教育は似ているようで根底が違います。淑女教育はあくまで社交界で恥じない令嬢になるための教育。王妃教育は、王の隣に並び立つ、王家の共同統治者としての教育です」

「なるほど……根本が異なっているのですね」

「その通り。つまりこれからは、国の最高統治者に相応しい威と華を、その身に刻んでいただきます」


彼は膨大に積まれた書類を、まるで軍事作戦の図面のようにレヴェリアの目の前へズラリと並べてみせた。


「更にレヴェリア様の希望されるニルヴァス帝国および周辺国の礼儀、しきたり、勢力図、歴史を学ぶとなれば一層重く厳しい授業となりますよ。この冬休み、一日たりとも休む日は割けませんーー着いてくる覚悟はお有りですか?」


数秒の沈黙。しかし、長年の地獄の修行を乗り越えてきた彼女の精神力は、その程度のプレッシャーで揺らぐほどヤワではない。

レヴェリアはおもむろに腕を組むと、余裕の笑みをこぼしたのだった。


「ふ、この私を誰と思っておいでです?これも宿命なれば。全力で体得して『最強の公女(ゆくゆくは王妃)』になって見せましょう!」


かくして『ヘルマン式、地獄の王妃教育ブートキャンプ』が幕を開けたーー。




***




「レヴェリア……?また自習をしているのですか?」


ノックをして、軽い夜食を持たせた侍女を従わせ、自ら入ってきたのはルヴィエール公爵夫人である。

レヴェリアがブランシェール男爵家とルヴィエール公爵家を行き来するようになってすでに久しい。

ルヴィエール家は、グレイシア王国の王族の血を引く男爵令嬢レヴェリアを、彼女の本来の地位に相応しい待遇で迎えた。

つまるところの王女待遇であり、彼女に割り当てられた部屋は下手な王宮の客間よりも豪奢に整えられたものであった。

しかし元々大豪邸で、過保護な養父の監修のもと気づかぬうちに王女待遇で過ごしていたレヴェリアは当然のようにそれを受け入れつつ、(なんだかとっても良くしていただいてるわね……。きっと王妃になれという水面下のメッセージに違いないわ)と察しがいいようでその内容を明後日の方向へ解釈しながら、彼らの期待に応えるべく全力で勉強に励んでいたのだった。


「お母さま。まぁ、お夜食をご用意くださったのですか?いつも素敵なお気遣いをありがとうございます」


夫人へ振り返り満面の笑みを見せるレヴェリアに、アナスタシア王女の長年のファンである夫人は心を射抜かれた。


(ああ……その笑顔、やっぱりアナスタシアさまによく似ていらっしゃる……!なんて気高く愛らしいのかしら!)


推しの子(むすめ)を前に思わず心を躍らせてしまった夫人は訪問した理由を思い出し、コホンと咳をしてレヴェリアに向かい合った。


「我が家の淑女教育は終わったはず。これまでそのために夜まで起きていたと思っておりましたが……ヘルマン先生の『危機管理』の授業にここまで自習すべき内容があるのですか?」


レヴェリアは待ってましたとばかりにこの質問を受けた。そして進捗に言葉を選んで、夫人の反応をじっと見据える。


「実はヘルマン先生には、特別に『公女として恥ずかしくない留学生になるための授業』を受けているところです」

「留学のための……?」

「はい、おそらく、後々必要になるような、王族にまつわるマナーも踏まえまして……」


これは彼女なりの夫人への探りであった。

彼女はまだルシウスの婚約者候補になるという話を直接的に聞いていない。

ヘルマンの論理的な説明によりアステリア王妃になるべく奮闘する日々を送っている彼女であったが、未だ打診すらもされない現状に少々疑問を抱いていたのだ。


(……なるほど。留学先で恥をかかぬよう、という建前で、実際にはニルヴァス帝国へ嫁ぐための下地を整えているのね。男爵らしい回りくどい布石だこと)


クロードとディートリッヒの話し合った結果、ディートリッヒの皇位獲得の見通しが立つまで『皇妃』と『出自』の話はレヴェリアに伏せておくことになり、それは当然公爵家にも共有されている。

夫人はこのヘルマンの教育を、クロードが公女教育という面目で受けさせているものと解釈した。


「なるほど、よくわかりました。あなたの言う通り、それは『未来』へ直結するお勉強ですね。それならば私は決して止めません。ただし、あまり夜更かしはしないこと。お肌に悪いですからね」


この後クロードも夫人と同じ疑問を抱きつつ、(夫人の布石だな)と納得することになる。


「友人からも諫言されましたので、睡眠時間は削らないよう遵守いたします。未来のために、頑張りますね」


そして、レヴェリアはそんなすれ違いの末(やっぱり、ヘルマン先生の予想した通り王妃になる未来なんだわ)と己が勘違いをより確信してしまうのであった。

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