第58話:腹黒公子、弱みを握る
「は?俺がルヴィエール公子に……?いや、悪いが断る。俺は基本表には出ない主義だから」
紅葉も深まり、冷たい秋風が吹き込む放課後の第二音楽室。
友達(兼、兄)を紹介したいというレヴェリアの誘いを即座に断ったのは、ここまで外堀を埋めておきながら、未だ彼女に正体を告げていない情報屋ディーダことディートリッヒであった。
(あの目敏い公子が俺に気付かない訳がない。彼女とアステリアで過ごす貴重な時間に余計な横槍を刺されてたまるものか)
ディートリッヒは、これまで以上にレヴェリアに対して細心の注意を払うようになっていた。
彼の計画では、三月までの約四か月を『ディーダ』として過ごし、その間に彼女との信頼を更に盤石なものにする。そして帝国へと立ち、彼女がもはや帰れない状況になった段階で初めて正体を明かし、受け入れてもらう――。その告白の手順まで含め、彼はすでに幾つもの筋書きを用意していた。
こんな中途半端な時期に素性が露見するなど、彼にとっては最も避けたい事態だった。
どれだけ頼まれても絶対に行かない、と心を鬼にしたその時。
「ノエル様ってああ見えて案外良い人よ。私の兄でもあるし……。あなたが怪しまれたままなんて嫌なの。ねぇ、お願いディーダ、一緒に来てくれない?」
顎を僅かに引き、長い睫毛を震わせて、潤んだ大きな瞳で下からすがるように見つめ上げる。光の反射角から瞳の潤み具合、僅かに開いた唇の角度に至るまで、計算し尽くされた致死量の黄金比。
レヴェリアが10年間鏡の前で死ぬほど練習し完璧に会得した『ヒロインとしての究極の上目遣い』。ドミニク、フェリクス、ノエルに全く通用せず、本人もいじけて存在すら忘れていたそのあざとい仕草が――時を経て――ここで無自覚に炸裂したのだった。
(ぐっ!!!嘘だろ!?こんなの反則だ!!断われるわけがない……っ!!)
これまで散々(ずさんな)策略を張り巡らせながらもスルーされ続けてきた上目遣いが無意識下に発動した末に、本来極めて冷徹な曲者であるディートリッヒにまさかのクオリティヒットしてしまうという皮肉な事態。
「1学年のAクラスはこっちよ」と嬉しそうに腕を引く彼女に、もはや一切の抵抗を試みる思考すら停止してしまったディーダは、結局手を引かれ連行されいく羽目になったのだった。
すでに生徒たちが帰った後のがらんとした教室で。
ノエルは、妹を誑かした得体の知れない人物こと『ディーダ』をしっかり査定するつもりで腕を組んで待っていた。
「はじめまして、ノエル・ド・ルヴィエールです」
「……ディーダと申します」
目深に被ったローブのフードを僅かに下げ、努めて一般の学生らしく不自然なほど声を低くして挨拶する青年。
その姿を正面から見据えた瞬間、ノエルの表情がピシリと凍りついた。
(は……?)
ノエルは当然、即座にその正体に気付いた。
口元まで隠れていたとしても、その声、佇まい、雰囲気がまさについ先ほど嫌味の応酬を交わしたばかりの、あの白銀の第三皇子そのものだったからだ。
(いや、これ、明らかにディートリッヒ殿下でしょ)
信じられないという気持ちで隣のレヴェリアへ視線を移すと、彼女は(どう?私の自慢のお友達)とでも言いたげな、微塵も疑いを持たない満面の笑みを浮かべている。
(本気で気付いてないのかこの能天気はーー!!)
危機管理の家庭教師を雇って万全を尽くしていると鼻高々に話していたレヴェリアに、『お前の目は節穴か』と、今すぐその両肩を掴んで激しく揺さぶりたい衝動に駆られたが、ふと今の状況の圧倒的な優位性に気づいたノエルは静かに目を光らせた。
(話を合わせろ……!ここでバラせばお前の家ごと潰す……!)と、フードの奥から牽制と殺気を放つディーダ。
(あの絶対強者の皇子殿下が、こんな見事な弱みを晒してくれるなんてねぇ?)と、降って湧いた最強の交渉カードに、内心で黒い笑みを浮かべるノエル。
「へええ、君がディーダさん!?妹から君のことを聞いてさ、どこの馬の骨とも知れない、胡散臭い不審者だったら心配だと思ってたんだ!ふふふ、実際に会ってみたらなんだか安心しちゃった!これからどうぞよろしくね!」
「はは、手厳しいですね。私が胡散臭い不審者な訳がないじゃないですか。公子、言葉遣いには気を付けた方がいいとだけ忠告しておきます」
お互いに営業用の完璧な笑顔を貼り付けたまま、会話の応酬の裏で強烈な殺意をぶつけ合う二人は、ミシィッ…という音を立てながら握手を交わしたのだった。
「ふふ、すっかり仲良しね」と二人の手が骨の軋む音を立てていることなど露ほども気づかず、レヴェリアは嬉しそうに胸をなでおろした。
「ねぇ、ディーダさんがレヴィを帝国留学に誘ってくれたと聞いたよ」
ノエルはわざとらしく小首を傾げると、獲物を完全に追い詰めた悪魔のような笑みを深めた。
「はぁ、やっぱり可愛い妹だけを帝国に行かせるのは心配だなぁ〜〜。ねぇ、ディートリ…いや、ディーダさん?もう一枠、確保できないかな、国費留学」
(……この腹黒公子……!こちらの弱みを握ったと思って……!)
「……分かりました。善処しましょう」
足元を見てくるノエルに殺意を覚えながらも、愛しのレヴェリアの手前、ディーダは引き攣った笑顔で首を縦に振るしかなかった。
こうしてディートリッヒ最大の秘密を盾に、ノエル・ド・ルヴィエールも帝国留学へ同行することが決定したのだった。
ルヴィエール兄妹にうまいこと『おねだり』という名の恐喝でいいように転がされてしまったディートリッヒは苦い顔をしていたが。
(へぇ。……ちゃんと接点あったんだ)
とノエルが案外兄らしい顔をしていたことには気付かないでいたのだった。




