第56話:冷徹な皇子と、一人の青年
夜の静寂が包むブランシェール男爵家の一室。
灯火に照らされた机に向かい、レヴェリアは一心に勉学へ没頭していた。
その静寂を破るように、控えめなノックの音が響いた。
彼女が「どうぞ」と返すと、クロードが静かに部屋へ入ってきた。
彼はいつもの完璧な紳士の仮面を外した、どこか疲れたような、しかしどこか懐かしげな父親の顔をしていた。
「レヴィ、少し良いですか」
「お父様……?こんな夜更けに珍しいですね」
レヴェリアは首を傾げ、クロードが椅子を引き寄せて向かいに座るのを眺めた。
クロードはしばらく沈黙し、躊躇うように切り出した。
「今日……帝国の第三皇子殿下が訪問されたでしょう」
「はい、相変わらずお美しくご聡明なお方でしたね」
「……そうですね。では、彼の側にいた側近について覚えていますか?」
クロードの言葉に、レヴェリアの目がパッと輝く。
「ディーダのことですね。もちろん覚えています。今日は殿下の側近としていらしてましたが、お父様とお話されている間、挨拶もできなくて……」
その様子を、クロードは複雑な面持ちで見つめる。
娘の、殿下に向ける礼儀正しくも一線を引いた眼差しと、ディーダに向ける親密な微笑み。そのあまりの温度差に、クロードは先ほどの応接間でのディートリッヒの言葉を反芻した。
「……レヴィ。あの情報屋の『ディーダ』という青年につい、あなたは、どれくらい知っているのです?」
「彼について?そうですね、3年生で帝国出身で名前がディーダというくらいでしょうか。不器用で照れ屋なところもありますが、とても聡明で私の話をよく理解してくれる、素晴らしい友人です」
彼女はとても爽やかな笑顔できっぱりとそう告げた。
不器用、照れ屋。あの飄々とした掴みどころのない皇子にはおよそ結びつかない単語だ。
レヴェリアは付け足すように、少し眉を下げて続けた。
「実は、私が帝国へ行きたいと思うきっかけをくれた人物でもあります。この半年、私の心の支えになってくれた優しい友人ディーダ。……私はそんな彼の生まれ育った国を、一目見てみたいなと考えたのです」
その表情を見た彼は思わず息を呑んだ。
優しげに答えた彼女は、一人の年頃の少女の顔をしていたのだ。
その一連の回答を聞いて、彼は内心天を仰ぎ、盛大に頭を抱えたい衝動に駆られた。
(何ということだ。『皇后へ』とはっきり述べるほど見初められていると言うのにその好意に全く自覚がない。それでいて、本人も殿下に対して明らかな好意を抱いているのに、自分の感情にもまた無自覚でいるとは)
何も知らない呑気な娘が、自身の極大の政敵である帝国の皇子を無自覚に惚れさせ、結果として、破格の待遇を引き出したという衝撃の真実。
自身の名前と彼女のミドルネームという証拠を押さえられるという本来最悪の危機的状況でありながら、まさかの『美しき皇子との奇跡的純愛による恋愛結婚』の末に『アナスタシア王女の解放』と『祖国の権限の譲渡』まで約束されるという考え得る中で最高の条件を勝ち取ろうとしている。
(……結果だけ見れば、これ以上ない着地点だ)
そう結論付けて、公爵家への報告と説得内容をまとめようと頭を切り替えたところ。
クロードは、とある重大な事実(?)を思い出した。
(というか。そもそもレヴェリアはアシュフォルト公子と交際中なのではなかったか!?……まさか公子のベルクロア公女に対する浮気が原因で我が娘も他に拠り所を求めたのか!?)
クロードの頭の中で国際問題に発展しかねない恐ろしい修羅場が猛スピードで展開されていく。
思えば先日養子縁組を結んだルヴィエール公爵からも『レヴェリア嬢は良い縁に巡り会えそうですな』と上機嫌に告げられたばかりではないか。
アシュフォルト公爵家は宰相を輩出する名門であり、ルヴィエール公爵家とも同派閥。
そういった政治の思惑もあったはずだ。
クロードはそこまで考えると、ズキズキと痛み出したこめかみを深く押さえた。
そしてこれ以上複雑な愛憎劇を引き起こすわけにはいかないと、あえて厳格な父親の顔を作って口を開いた。
「レヴィ。ディーダという青年に対するあなたの感想は分かりました。ただ、帝国に行くのにアシュフォルト公子は賛成しているのですか。そもそも、交際している相手がいながら他の男性と二人で会うなどもっての外。そんな娘に育てた覚えはありませんよ」
「え?ドミニク様のことですか?交際って何のことです?」
「は?以前パートナーと言っていたじゃないですか」
「ええ、『研究』のパートナーですけど……」
ここに来てやっと解けた誤解とドミニク暗殺の危機。
ちなみにルヴィエール公爵はノエルから「演習で二人きりで遭難して以降ルシウス殿下はレヴェリア嬢を追いかけています。きっと良いご縁があるかと」という嘘ではないが紛らわしい事実を吹き込まれた故の、アステリア王家との縁を期待しての言葉であった。
「アステリアの公子たちとはそれぞれ『共同研究者』『好敵手』『パタンナー兼兄』として仲良くしておりそれ以上の関係はございません。ルシウス殿下も遺跡で共に遭難して以来『戦友』として何かと声をかけてくださいますが、そもそも全員エレイン様にゾッコンでいらっしゃいますので……」
(何!?我が娘を前にしてそんなことあり得る訳が……)
絶世の美少女である娘を前に恋に落ちない男などいるはずがないという特大の親バカならではの極論。
しかし密かに行った娘付近の『身辺調査』には、確かにそのような内容が記されていた。
(いや待て、事実なのか?)
自らが放った優秀な密偵たちの報告を思い返す。確かに、公子たちが娘の周りで繰り広げていたのは恋愛劇ではなく、単なる学術討議や剣術鍛錬、ドレス制作ばかりであったではないか。
(この天使を前にして全く靡かないだと……!?ベルクロア公女はどんな心理術の使い手なんだ!?)
そこまで行き着いたクロードはガーンと頭を強く打たれた気分であった。
まさかのレヴェリア、全くモテていない事実が判明(今更)。
ならば、あれだけ真剣に想ってくれている美貌の皇子に預けることこそやはり彼女にとって最善の道に他ならないのではないだろうか。
クロードはレヴェリアの部屋を出た後、深々と溜め息を吐きながらも、その口元を小さく緩めた。
(こちらの最も望むことーー祖国と王女を救う手立てを『皇血誓印』を使ってまで掲げた英明な青年。あれほど真っ直ぐに娘を望む彼に未来を託せることは、これ以上ない救いなのかもしれない)
十五年間。
彼女を隠し、何不自由なく育てる箱庭を作り、最高の教育を叩き込んだ。
強く賢く美しい自慢の愛娘。
クロードはこれまでレヴェリアに、彼女の出自に関することを伝えたことはない。
今なお現在進行形で続いている、どうすることも出来ない祖国と彼女の母親の現状。
それを彼女に伝えることが酷く残酷なことに思えたからだ。
そして同時に、成長するごとに、母親に似た凄まじい行動力を発揮する彼女に打ち明けることは、思いもよらない結果を招くことになるのではと恐ろしく感じていた。
仮に彼の庇護のもと帝国へ行った際、自分の母のことを知っていたら、あの娘なら会いに行きかねないのでは、と。
娘の性質をよく知る養父は、彼女なら単身で皇宮の奥深くに忍び込みかねないという恐ろしい予想図を思い描き、身震いをした。
実際のところ、ごく最近、彼女はヒロインを辞めたことにより暗殺や身分差を気にする現実主義者に転換し、そんな無謀は果たすことはなくなったのだが。
そんな極端な転向など知る由もない彼は、ルヴィエール公爵家やディートリッヒに対して徹底した秘匿を確約させた。
そして彼女に打ち明けるのは、時が満ちてからにしようと改めて心に誓い、今はただ彼女の身の安全をあの青年に委ねることにしたのだった。
応接間での張り詰めた交渉の末に見せた、あの真っ直ぐな金灰色の瞳。全てを掌握する冷徹な策士としての顔を捨ててまで、ただ真っ直ぐに娘への想いを口にした姿が脳裏をよぎる。
(彼は皇子として現れた。しかし最後に頭を下げたのは、確かに一人の青年であった)
彼は鉄壁の過保護の中で、密かに優しいため息を吐いた。




