第55話:暴かれた亡国の姫君と、情報屋の正体
アステリア王都近郊にあるブランシェール男爵家。
1500フィートに及ぶ広大な敷地には、手入れの行き届いた薔薇園や軽く乗馬が出来るほどの見事な芝生が広がっている。
本邸の手前には白亜の噴水があり、陽光を反射してきらきらと涼しげな水しぶきを上げていた。
そこに、帝国の皇族の刻印の入った重厚な馬車が滑り込むように到着した。周囲を固める近衛騎士たちがずらりと並ぶ姿は、長閑な男爵家の敷地においては異質でありながら、圧倒されるほど壮観である。
馬車の扉が開き、静かに降り立ったのは、白い正装を身に纏った青年だった。白銀の髪に、皇族由来の金灰色の瞳を宿した美しき皇子、ディートリッヒ・ヴォルフ・ヴァン・ニルヴァス。
そしてその斜め後ろには、黒いローブをすっぽりと被り、情報屋『ディーダ』に扮した側近のラファエルが影のように控えている。
ブランシェール男爵家も最大の礼を持って、本来なら決して訪れるはずのない高貴な客を迎えた。
玄関扉の前に並ぶ使用人たちの中央。そこには当主であるクロード・ブランシェールに並んで、美しく着飾ったレヴェリアの姿もあった。
彼女は馬車から降り立つ見慣れたローブ姿を見つけるや否や、パッと顔を輝かせ、誰にも気づかれないよう小さく手を振った。
ローブ姿のラファエルが微かに顎を引いて会釈を返す。
その僅かなやり取りを、隣に立つ義父のクロードは静かに見ていた。
「ディートリッヒ第三皇子殿下。本日は遠路はるばるよくいらっしゃいました」
「まずは訪問を受け入れてくださり感謝いたします。レヴェリア嬢が公爵家に養子に入られたと伺い、そちらに伺い先を変えるべきか悩みましたが……彼女より実質的なお父上はあなただと伺いましたので」
「大変恐縮なことです。この度レヴェリアはルヴィエール公爵家の人間になりましたので、今回の話し合いも、私の一存では決めかねること、ご承知おきいただきたく存じます」
「ええ、存じ上げております。本日は彼女をここまで育て上げた貴公と直接お話をさせていただきたかったのです」
ディートリッヒの視線が、クロードの隣で控えるレヴェリアへと移る。
「殿下、私の留学に関しまして、本日はご足労いただき誠に感謝いたします」
レヴェリアはドレスの裾を優雅につまみ、非の打ち所のない完璧なカーテシーを披露した。
その洗練された所作に、ディートリッヒは目を細める。
「いえ。貴女のような優秀な方が我が国に来てくださることこそ、我々の願いですから」
***
一行は、屋敷内で最も格式高い応接間へと移動した。
極上の茶が振る舞われ、和やかな、しかしどこか探り合うような空気の中で留学に関する条件のすり合わせが行われた。
「……待遇に関しては以上になります。ご質問などありましたら何なりと」
「ありがとうございます。事前にレヴェリアからいただいていた書類の通りですね。彼女の身の安全も含め、大変素晴らしいご条件で……」
アロイスの説明が終わり、クロードが書類に目を通しながら頷く。
ディートリッヒは紅茶のカップをソーサーに置き、静かに言葉を継いだ。
「仮にイレギュラーが発生した場合、私の権限で彼女を保護し、必ず無事にアステリアへ送り届けることもお約束します」
「イレギュラー……ですか」
クロードの目が、ほんの僅かに鋭く細められた。
彼は書類から顔を上げると、背後に立つ執事にちらりと目配せで合図を送った。
「失礼いたします。レヴェリアお嬢様、家庭教師の先生がお見えです」
「え、今?何かあったのかしら」
「レヴェリア、先生を待たせるといけない。中座して行ってきなさい」
「……はい。殿下、大変申し訳ありませんが、失礼いたします」
レヴェリアが不思議そうな顔をしながらも部屋を退出する。
重厚な扉が閉まり、彼女の足音が完全に遠ざかったのを確認すると、ディートリッヒは背後の側近たちに振り返った。
「ラファエル、アロイス、他の者も下がってくれないか」
「はっ……殿下、いやしかし、護衛を外すのは」
「命令だ」
有無を言わさぬ声色に、騎士たちは一礼して部屋を出て行った。
広い応接間に、ディートリッヒとクロードの二人だけが残される。
「念のため、防音の帷を張りました。……あなたも聞かれたくはないでしょうから」
ディートリッヒが指を鳴らすと、部屋の空気が微かに揺らぎ、外部への音を遮断する結界が展開された。
室内の空気が、先程までの和やかなものから一変して重く張り詰める。
「……よくぞここまで隠し、育て上げられたものだ」
ディートリッヒは姿勢を正し、先程までの柔和な皇子の仮面を捨て、冷徹な統治者の眼差しで目の前の男を見据えた。
「グレイシア王国侯爵家子息エドヴァルド・アズ・セヴェル。こちらがあなたの本当のお名前ですね?」
クロードの表情はピクリとも動かない。ただ、その瞳の奥底に静かな殺気が灯る。
ディートリッヒはレヴェリアがグレイシア出身であることを読んでから、その謎に包まれた養父のことを偽装された現在でなく、消えた過去から、辿った。
十五年前のグレイシア併合の際、姫を逃がせるほどの、高位で、武に長けた忠臣は、誰か。グレイシアの記録から、併合の混乱期に消息を絶った、あるいは死亡したことになっている伯爵家以上の身分の騎士を洗い出し、現在のクロードの年齢・容姿・技量に合致する人物を探し当てたのだ。
「また、グレイシアの教会で十六年前に稀に王女に与えられるミドルネーム『ルミナ』が授与された記録を私の部下が確認済みです」
同時にレヴェリアの出生の痕跡を探すべく、属領となっているグレイシアの教会の洗礼記録を洗い出した。すると、王城近くの由緒ある教会で両親が不明ながら、特別な名前が扱われた痕跡が明らかになった。
(まさか、そこまでたどり着いているとは)
クロードはポーカーフェイスを保ったまま、目の前の皇子の用意周到さに舌を巻いた。
本国の情報をそこまで握られては言い逃れ出来ない。
その上でのやり取りならば、アステリア公爵家の養子縁組を盾として使うことにより彼女の待遇を出来るだけ守るしかない。
彼は静かに覚悟を決めた。
「祖国が貴公の正体に気付いたのは、先日の遺跡の際、私に同行したアナスタシア王女をよく知るグレイシア出身の兵士の証言がきっかけでしたが……実に上手く痕跡を隠したものだ。しかし、グレイシア本国の記録は隠しきれませんでしたね」
これはディートリッヒの混ぜた巧妙な嘘である。
彼はこの交渉を絶対に成立させるためには、すでに本国が知っていることにすることが前提条件になると踏んでいた。実際のところ、彼はレヴェリアの正体を祖国どころか、自身の腹心以外誰にも明かしていない。
「これは取引です。私たちはすでに彼女の存在を確信している。私が引いても、帝国は姫君を諦めることはないでしょう」
「……ほう」
低く、地を這うようなクロードの声が響いた。
「ですが、私ならレヴェリア嬢を、決して彼女の母親と同じ轍を踏ませないと約束出来る。私が皇位を得た暁には、アナスタシア王女の解放と、グレイシアの権限をレヴェリア嬢へ返還することも視野に入れています。……不安があれば、私の血を以て『皇血誓印』を交わしても良い」
ディートリッヒの提案に、クロードは僅かに眼を見張った。
(……皇血誓印だと!?)
『皇血誓印』とは、ニルヴァス帝国の皇族の持つ特別な『皇血』を用いた絶対的な契約印だ。
皇血で結ばれた契約は世界そのものが履行を強制する。
その絶対的な効果ゆえ、契約に使える血は一生で限られた量であるという、帝国皇族の持つ最も貴重かつ最大の権能である。
それを持ち出されるとは。
美貌の男爵はゆっくりと腕を組んだ。
「……随分と、虫が良過ぎませんか?なぜそこまで、戦敗国であり現在は属領となっている我々に有利な条件を提示なさるのです?」
クロードの鋭い眼光が、ディートリッヒの金灰色の瞳を射抜く。
「殿下、あなたは二つ嘘を吐いておられますね。一つ、『本国が知っている』……これは嘘ですね?もし本当に帝国が姫の生存を知っているのなら、ここ来ているのは表向きに帝国留学という別の目的を掲げたあなたではなく、皇帝直属の軍のはずです」
「……」
「そしてもう一つ。気付いたきっかけについてもです。アナスタシア王女をよく知るほどの兵士が遺跡にいたとすれば、私がその視線や気配に気付かないはずがありませんから」
(……さすが、15年間も姫君を隠した男だ)
ディートリッヒは内心で感嘆の息を漏らした。
ハッタリは通用しないらしい。
「それでも」
クロードは身を乗り出して続けた。
美しき皇子の眼をじっと見据えて。
「あなたはそこまで確信していながら本国に黙っているのは何故です。手柄とすればさらに皇位が近づきましょうに」
その問いに対し、ディートリッヒはふっと自嘲気味に息を吐いた。
そして、纏っていた皇族としての威圧感を解き、一人の青年としての素顔を見せた。
「あなたのおっしゃる通り、本国には伝えていません。帝国へ赴く際も彼女の身分を隠すため、皇妃候補としてでなく留学生として迎えます」
一国の皇子らしからぬその言葉に、クロードは訝しげに眉をひそめた。
「……実は私、以前よりレヴェリア嬢と交流がありまして」
「……?娘からは聞いておりませんが」
「先ほど、玄関で黒いローブを着た者が私の隣にいたでしょう。あれは本日、特例として私の側近に着せていますが……普段、あのローブを羽織り、彼女と接しているのは私なのです」
「は?」
歴戦の騎士であるクロードが、今日一番の呆けた声を上げた。
「私はずっと、第三皇子という素性を隠した状態で、情報屋の『ディーダ』として彼女と会っていたのですよ。……私は、彼女を私の唯一の皇妃……未来の皇后として迎え入れたい」
ディートリッヒの真っ直ぐな言葉に、クロードは絶句した。
ニルヴァス帝国の皇帝は皇后の他にも皇妃を複数娶るのが慣わしだ。皇妃であっても絶対的な身分で、帝国貴族がこぞって娘を納めたい地位である。
彼はレヴェリアの本来の血筋を知らなかった際は当初側室として、公爵家に格を与えて手元に置くつもりだった。それが精一杯だと思っていた。
だが彼女の血統が判明したことで、側室ではなく、唯一の妃——つまり、皇后として迎えることを決意したのだ。
「初めは『ヒロイン』になりたいという彼女の願望を応援する……いや、面白おかしく見守るつもりでした」
『ヒロイン』。
クロードの脳裏に、レヴェリアが幼い頃から何度もその言葉を口に出していた記憶が蘇る。
「しかし、彼女の真っ直ぐさと、前向きでひたむきな姿に……私は知らぬうちに惹かれていたのです。帝国の思惑も、グレイシアの血も関係なく」
ディートリッヒは立ち上がり、クロードに向けて深々と頭を下げた。
「どうか、彼女に『第三皇子ディートリッヒ』としてではなく、『ディーダ』という人物について尋ねてみてもらえませんか?それが、彼女の前で見せてきた私の全てです。……私へのご返答は、それからでも構いません」




