第54話:元ヒロインと元悪役令嬢の奇妙な和解
その乱入者の存在は劇薬であった。
なぜならレヴェリア・ド・ ルヴィエールは、この貴族学園唯一の平民の孤児上がりの元男爵令嬢。
本来学園に通えるだけでも御の字の境遇であるというのに、アステリアにおける筆頭公爵家に養子に入ったばかりでなく、第二王子を始めとした錚々たる貴公子たちに囲まれている金髪碧眼の絶世の美少女だ。
シンデレラストーリーの具現化のような存在であり、由緒正しい令嬢たちにとっては、自分たちが積み上げてきた家柄や教養、努力の価値そのものを否定するような最も忌すべき存在であった。
つまり、シャルロット含む令嬢たちの標的は、すぐさまエレインからレヴェリアへと切り替わったのである。
「これはレヴェリア様……。ルシウス殿下たちとご一緒でしたの?」
猫撫で声で尋ねるシャルロット。
「え?あ、はい。先日遺跡で手に入れた魔導書の解読をお手伝いしましたけど」
「まぁ遺跡の!?殿下と一晩ご一緒にお過ごしになられたとかいう!?」
シャルロットの明らかにわざと誤解を誘導するような一言に、後ろに控えた令嬢たちが一気に燃え上がる。
「え、もしかしてそういう事?」
「ノエル様とも度々二人きりで被服室においでよね」
「まぁ、さすが平民上がり。いやらしいですこと」
令嬢たちがここぞとばかりにヒソヒソと、レヴェリアの尊厳を踏み躙るような陰口を繰り広げた。
(はぁぁ!?何この頭お花畑の令嬢軍団は!!エタラバはR18展開ないわよ!?こちとら遺跡で死にかけたし刺繍で腱鞘炎になるくらい酷使されてるんですけどォ!?)
レヴェリアが内心で(こんな下品な陰口は流石に畑違い(昼ドラあるいはR18乙女ゲーム)!!こういうこと言う輩がいるからうっかり公爵令嬢になっちゃったんじゃない!!)と憤慨し、かと言って立場ある令嬢として安易に反応する訳にはいかない、と奥歯を噛み締めたとき。
「ねぇ、エレイン様」
シャルロットが薔薇色の瞳を細めて、エレインに呼びかけた。
「あなたもそう思うでしょう?……婚約者候補として、一言仰っていただけませんこと?」
それはまるで、エレインの前に甘く垂らされた蜘蛛の糸。
この邪魔な元ヒロインを一方的に断罪し、再び自分が中心に返り咲くための、誘いの糸だった。
(乗ってしまえば、楽になる)
頷けば良いだけだ。たった一言、同意すれば、揺らいだ地位も、奪われた視線も、元通り。
エレインがそっと唇を開きかけた、その時。
ふと、磨かれた窓硝子に、自分の顔が映った。
優美な笑みの下で、蛇のように濁った瞳。
それは――前世で何度も見た、あの『悪役令嬢エレイン』の顔だった。ヒロインを嗤い、最後には無様に裁かれる、なりたくなかった姿そのもの。
(……冗談じゃないわ)
十年、足掻いてきたのは、誰かを蹴落とすためじゃない。この世界を、自分の力で生き抜くためだ。
こんな令嬢たちと群れて、安い優越感に酔うために、心をすり減らしてきたんじゃない。
エレインは、垂らされた糸を、静かに振り払った。
「見苦しくってよ」
凛とした鈴のような声だった。
「噂話しかできない方ほど、他人の功績を色恋に結び付けたがるものですのね?」
彼女は真紅の扇をバサァッと広げると、扇の縁越しにシャルロットたちを射抜くように冷たく睨み下ろした。
「そもそも、彼女は私を助けてくれた命の恩人です。古代遺跡の深部に入って生きて帰ってこられるお方だけがおっしゃいなさい。次同じ類の虚言を聞いたら、即刻殿下のお耳に入れます。よろしくって?」
エレインは有無を言わさぬ声色でそう述べると、「行きますわよ」と小さな声で告げ、レヴェリアを連れ出した。
***
やってきたのはエレインの所属する生徒会室の応接間。
静かに紅茶を淹れる彼女に、レヴェリアはおずおずと声を掛けた。
「ありがとうございます、エレイン様。助けていただいて……この前も」
ピタリ。
エレインの優雅な動作が止まった。
この前。
アストリアの公子だけに留まらず、ニルヴァス帝国の美しき皇子たちに彼女が囲まれていたときの話だ。
あの時、彼女に美味しい思いをさせたくない、と思わず嘘を伝えて彼女を離脱させたが、まさか感謝されるとは。
その鈍感さがエレインには、まるで恋愛の駆け引きも知らずに全方位から好意を集める、純粋無垢な正ヒロインの台詞に聞こえた。
そしてそれこそが、恋愛の駆け引きに執念を費やしてきた彼女の心の最も深い部分を刺したのだ。
先ほどひび割れた彼女の心が、更に軋む音がした。
エレインからいつもの余裕の笑みが消え、代わりに『悪役令嬢』の人を嘲笑うかのような笑みが浮かぶ。
「ふふ、私、別にあなたを助けた訳じゃないのよ。というか…………鈍感ヒロインってやつ?私、嫌いなのよね。恋愛とは別のことに打ち込んで、好かれる努力をしなくても男が寄ってくるやつ」
わざと嫌悪感を剥き出しにした、意地悪な言葉。『Eternal Lovers』の原作に登場する『悪役令嬢エレイン』のような台詞だ。
(なんだ。私ったら、やっぱり悪役令嬢なんじゃないーー)
エレインが自虐的にそんなことを思い浮かべた。
だがその時。
それを聞いたレヴェリアはーー何故だか、さも知ってますとばかりにドヤ顔を浮かべたのだった。
「ふっそれはまあ……あなたほどの女性ならそりゃあそう感じるでしょうね、分かります。けど、突然何です?乙女ゲームの話ですか?ネット小説?」
彼女は「は?」という顔で固まるエレインに構わず続けた。
「あ、それで、本題よろしいでしょうか。あの、私、先日……」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!そういうところよ、あなた」
「え?何がなんですって?」
ついにエレインは限界とばかりに声を荒げ、余裕たっぷりの公女の仮面をかなぐり捨てた。
「あなたの話だって言ってるの!目に見える努力をして賞賛されて、さぞ良い気でしょうね?ヒロインならステータスが上がるのは当然だし、努力してて楽しかったでしょ?結果としてあなた、鈍感ヒロインとしてちやほやされて最強じゃない!」
「は!?私が鈍感ヒロイン!?いやいやいや、鈍感も何もチヤホヤらしいことなんて何一つされてないし(※本当)!というかそれもこれもあなたが攻略済みだからでしょうが!おかげで私、年から年中あなたの学業やら安全やら衣類を陰ながら物凄く支えてるのよ?その立場をお分かり?むしろ鈍感なのはあなたの方よッ!!」
レヴェリアは負けじと言い返すとビシィッとエレインを指刺した。
突然の猛反撃と、あまりに切実な裏方としての被害報告に、エレインは毒気を抜かれたようにポカンと口を開ける。
「まあせっかくだから言いたいこと言わせてもらうけど、あなたの恋愛スキル、高すぎるのよ。一朝一夕では仕上がらないものだわ。真似しようとして何度失敗したことか……。私から言わせてみれば別ジャンルの覇者!そのお手並み見事なものよ」
レヴェリアは力強く力説しながら、熱に浮かされたように両手をぐっと握り込んだ。
「ノエル様のあなたへの無償の愛なんて美しいのなんのって……私感動して論文書いちゃったくらいだわ!あれだけ想われておいて本当今更何言ってるのって話。鈍感にも程があります」
彼女は「ハイ論破!!!」と言わんばかりに胸を張って言い切った。
ツッコミどころがあり過ぎる内容ではあるが、その眼差しは真剣そのものであり、エレインが誰にも認められなかった『10年間の影の努力』を、他の誰よりも正確に評価し、称賛していた。
その能天気で真っ直ぐな台詞は、誰にも理解されない領域で孤軍奮闘していたエレインに刺さった。
(何よそれ、私が馬鹿みたい……)
誰も見ていないと思っていた。誰も、自分のこの血の滲むような影の努力など、生まれ持った美貌と公女という立場のせいにして、評価などしてくれないと思っていたのに。
皮肉にも同じ前世の記憶を持つ『ヒロイン』が、誰よりも正確に『悪役令嬢』の戦いを見届け、あまつさえ手放しで称賛してくれていたのだ。
「……ふ、ふふっ、あははははっ!」
エレインは堪えきれず、顔を覆って吹き出した。
公女としての優雅さも、悪役令嬢としての完璧な仮面もかなぐり捨てた、年相応の少女の心からの笑い声だった。
「え……な、なに!?」
「はぁ、なんだか阿呆らしくなってきたわ」
自体を飲み込めていないレヴェリアに、すっきりした顔のエレインが向き直った。
「……それで?」
「え?」
「さっき『先日』って言いかけたでしょう」
エレインの問いかけに、レヴェリアは自身が彼女に声を掛けた理由を思い出した。
「あ、ええ。えっと実は先日色々ありまして。ただ、詳しくは話せないことなので、これだけはお伝えしたくて来ました」
レヴェリアは胸の前でぎゅっと両手を握りしめた。
本当なら理由まで説明したかった。
しかし、それはルヴィエール家の政治に関わる極秘事項だ。
だから彼女は、自分に言える精一杯の誠意だけを言葉にした。
「私はあなたの恋を邪魔したくありません。これからもずっと」
「……ふうん」
エレインは目の前の少女からまっすぐ向けられた碧眼を見ながら、すぐに思考を巡らせた。
2か月前に第一王子が正式に、次席公爵家の令嬢と婚約したこと。
そしてつい先日、レヴェリアが筆頭公爵家であるルヴィエール家に入ったこと。
聡明な彼女は即座にそれらのピースを繋ぎ合わせた。
転生者という彼女しか知らないメタ知識も取り入れて。
(なんとなく、わかっちゃった。『小説』でも、ルヴィエールがあなたを推したのだもの。それにしてもこの子、わざわざ律儀に伝えに来たっていうの?はぁ、本当に、とんだおバカさんだこと)
彼女はゆっくりと頬杖をつき、レヴェリアをしっかりと見つめた。
「いいわ。分かった、って言ってあげる。その代わり……」
エレインはこれまでにないほど晴れやかな――しかし、どこか悪女らしい不敵な笑みを向けて言い放った。
「あなた、たまにここに来なさい」
彼女は美しい真紅の瞳を細めると、有無を言わせぬ絶対的な覇気をまとい、静かに見下ろした。
「私の話し相手になって頂戴」
「え、こ、光栄なのですが、家庭教師とルヴィエール家の教育が詰まりに詰まっておりますので……」
「それじゃあ昼休み。殿下たちが絡むようなら『レヴェリア様に無骨な用事ばかり押し付けるのは、殿方として無粋ですわよ』って、上手く手綱を引いてあげるわ。私の盤面調整の腕、あなたなら信じられるでしょう?」
「……!!さすが別ジャンルの覇者!謹んでお茶会に参加させていただきます!!」
こうして元ヒロインと元悪役令嬢の奇妙な和解は成立し、レヴェリアはエレインと定期的にお茶を飲むことになったのであった。




