第53話:とある乙女ゲームプレイヤーの憂鬱
公爵令嬢エレイン・ド ・ベルクロア。
濡羽色の黒髪にルビーのような紅の瞳を持つ、蠱惑的な美女である。
彼女は常に妖艶な微笑みを絶やさず、余裕を崩さない。
しかし、目の前で繰り広げられるまさかの光景に。
そんな彼女の笑みが引き攣りつつあった。
「ルヴィエール公爵令嬢、今日の放課後こそは僕に付き合ってもらうぞ。この前遺跡で発見した古代魔導書の解読だ」
「いえ、殿下。レヴェリア嬢は週末の学会発表に向けて私と想定問答集を作成する予定がございます」
「ドミニク、それは明日でも良いんじゃないか?今日は上級生が行事だから修練場が貸し切りなんだ!思う存分演習するチャンス、レヴェリア、逃したくないよな!?」
「皆様、お待ちを。彼女に用がある場合は兄である僕を通してもらえます?我が家でもルヴィエール家の一員になる上で必要な教育が山ほどありますので」
「大変恐縮ですが、今日の放課後はヘルマン先生の授業(王妃教育)を受ける予定がございますので……」
まさかの王国最高峰の公爵家の養子になってしまった元ヒロイン。
Dクラスに残留し、攻略対象の誰一人として落とせなかった彼女。
そんな彼女が自分の逆ハーレムを形成しているはずの最高峰の貴公子たちに囲まれ、放課後の予定を争われているではないか。
その中身は魔導書の解読、学会準備、剣術鍛錬に公爵家のしきたりの勉強と決して色気のある内容ではないが、全員が彼女の能力を買っており、信頼の置かれたものだ。
(……面白くないわ)
かつてゲームの『ヒロイン』としての地位を追われ悔し紛れの謎行動を繰り返していた少女は、今や男たちを傅かせる恋愛対象としてではなく、一人の等身大の人間として、最高峰の男たちから切望されていた。
その光景は、エレインが血の滲むような心理戦の末に築き上げた歪な城を、根底から揺るがすものだ。
さらに、彼女を慕うのは彼らだけではない。
バタンと談話室のドアを開けて駆け込んできたのはこれまたお決まりの面々である。
「レヴェリア様っ!!ルヴィエール公爵家に養子に入られたとお伺いしました!貴女様に相応しい素晴らしい家格ですわ…!」
「さすが女神っす!これで心行きなく鍛錬誘いにAクラスに行けますね!」
「平民が公爵家に入るだなんて……よっぽどあり得ない事態だけれど。まぁ、あなたなら、あり得るのかもね」
「びっくりしたけど、むしろ男爵令嬢より納得感あるよ……。おめでとう、レヴェリア嬢」
「ありがとう。なったからには全力で頑張るわ。ふふ、実は昨日から覚悟を決めて猛勉強を始めたのよ」
「「「何の!?」」」
クラスメイトからも人望があるなんて、本当に腹立たしいほど眩しい。
一方で自分は。
「ルシウス様の婚約者候補でありながら、公子たちを侍らせるなんて……。公女という立場でありながら下品ですわ」
「大きな魔力を持ちながら滅多に使わず、勉学だってドミニク様頼り。剣術の授業は決まって見学されていて、何のために学校にいらしてるのかしら」
最近耳に届くようになった、彼女にしか聞こえないトーンで溢される陰口。
チクリ、と胸の奥の柔らかな部分を突き刺すようなその悪意。
以前はもっと上手く立ち回っていたはずなのに、元ヒロインの台頭に危機感を抱き、逆ハー維持のため彼らとの絡みを増やしたことが、一部の令嬢の嫉妬を煽ってしまった。
まあ良い、どうせ夢の世界だ。所詮モブの嫉妬だと、別に気にならないと思っていた。
それがなぜ今になってこんなに苦しく感じるのだろう。
(まるでヒロインと悪役令嬢の顛末ね)
彼女はふとそう考えると、自嘲気味に笑った。
そもそも、エレインは現状を幸せな夢の延長線のように捉えていた。
なぜなら彼女も転生者であり、前世でプレイしたことのある乙女ゲームに転生するというあり得ない現実を、ずっとどこか地に足の付かないままの状態で生きてきたからだ。
ただ当然悪役令嬢の悲惨な未来は知っていたので、それを回避すべく立ち回った。どうせなら第二王子の抱えるコンプレックスを上手く擽ぐるようにして。すると、いとも簡単に自身に好意を持ってくれたではないか。
味を占めた彼女は他の攻略対象にも同様に接触し、乙女ゲームの醍醐味とも言える逆ハーレム状態を見事作り出したのである。
ただし、大変なのはそこからだった。
誰か一人に重心を置くと他の3人との均衡が崩れる。彼女は巧みな心理操作と会話術、そして可憐なヒロインとしての立ち回りで10年間、彼らの関心を一身に集め留め、さらに強固なものにしてみせたのだ。まるで乙女ゲームをプレイするかのように。
それは並大抵の能力では成し得ない。かつてレヴェリアが例えた通り、恋愛スキルを磨き上げた覇者の所業であり、一見優雅で努力とは無縁な道であるように見えながら、ひたすら剣を振り回し勉学に勤しんでいたレヴェリアとはまた別の修羅の道であった。
しかし、そんな彼女の影の苦労など誰も理解してもらえないだろう。
恋愛スキルにテストの点や剣術の試合結果のような分かりやすい指標などないからだ。
だからこそ彼女は自身の築いた逆ハーレムを失うことを恐れた。
エレインは誰にも聞こえないよう息を吐くと、いつも通りの美しい笑みを浮かべた。
「失礼、私、そろそろ生徒会室へ向かいますわ。応接室でお茶を淹れますので、もしよろしければいかがでして?」
普段なら全員が我先にと着いてくるはずの誘い。
しかし今日に限って。
「エレイン、ありがとう。しかし、こちらの本の解読を優先させたいからこの休み時間は僕はこちらに残るよ。して公女、ここの解釈だが……」
「いつもお誘いいただき恐悦至極です。しかし私も論文執筆が佳境でして。またの機会にお願いいたします」
「エレイン、ありがとな!けど俺はマルクスとそこの裏庭で鍛錬することになったからまた頼む!おい、レヴェリア、少しは顔出せよ!」
「ああ、エレイン。君のお茶を断らなければならないなんてとても辛いけれど、家が掛かっているから僕は彼女の面倒を見なくてはならないんだ。ぜひまた落ち着いたときに僕から誘わせて」
全員、ちゃんとエレインへ気持ちが向いているのは伝わる。レヴェリアはただの『戦友』であり『共同研究者』であり『好敵手』であり『妹』だ。
それでも、このタイミングで全員から断られるとは。
ミシリと彼女の心に薄いヒビが入る。
しかしエレインはにっこりと微笑むと誰よりも優雅に一礼した。
「承知いたしました。みなさま、ごゆっくりどうぞ」
エレインが談話室を出ると、その様子を待ち構えていたかのように、廊下のソファにはいつもの令嬢たちが陣取っていた。
そして彼女が自分たちの声が十分耳の届く距離まで近づいたのを見計らい、誰からともなく嘲るような笑い声が漏れた。
「やっぱり飽きられたのね」
「今までずいぶん必死でしたものね」
「毎日ルシウス様のところへ行って」
「ノエル様にもロイ様にも」
「そんなに囲い込まなければ誰も振り向いてくれませんものね」
その輪の中心で、ローズブラウンの髪を優雅にかき上げながら一人の令嬢がゆっくりと立ち上がった。
公爵令嬢であり、エレイン同様ルシウスの婚約者候補に名が上がっているシャルロット・ド・ロザウィールだ。
彼女は口元に笑みを浮かべながらも、その薔薇色の瞳には勝者だけが持つ余裕が宿っていた。
「あらエレイン様。本日はお一人ですの?めずらしいですこと」
「まあ、これはシャルロット様……」
エレインは微笑みを崩さないまま、シャルロットを見据えた。優雅な挨拶とは裏腹に、二人の視線は火花を散らすようにぶつかり合う。
「ルシウス殿下は未だ談話室でして?いつもご一緒にお茶をお飲みになっていらっしゃるのに、今日は違いますのね?」
「本日は他にご用事があるようですの。いつもだなんて
……殿下が喜んでくださるのでお時間が合う時だけご一緒しているだけですわ?」
「……公子たちも連れず、どうしたことかしら。あぁ、もしかしてみなさま、ルヴィエール公爵家の養子になられたレヴェリア様とご一緒なのかしら。彼女、とってもお美しいですものね?」
「あら、よくよくご存知でいらっしゃるのね。彼女たち、魔導書の解読をしておいでよ。シャルロット様も談話室で会話に混ぜていただいたらいかが?古代精霊語がお得意でしたら、きっと彼らも喜びますわ」
公爵令嬢同士の何者も立ち入れられないかのような壮絶な睨み合い。
取り巻きも思わず息を呑む応酬。
そこへ談話室の扉が開き。
「あの、エレイン様。よろしければなのですが。私がお茶をご一緒してもよろしいでしょうか……?」
その空気をぶった切る乱入者が現れたのだった。




