第51話:公爵令嬢の宿命と腹を括る彼女
「ヘルマン先生、驚かないで聞いてください。実は私、公爵令嬢になってしまったんです……!」
「存じておりますよ。まずは、おめでとうございます」
「ありがとうございます……。あの、実はまだ実感がないのですが。公爵令嬢になると具体的にはどう言ったことが起こり得るのでしょう。名誉男爵家の令嬢とは明らかに立場が変わりますよね。これからルヴィエール公爵家で教育を受ける必要があると伺ったのですが」
「ふむ、そこに思い至るとは素晴らしい」
王室御用達の凄腕指南役であるヘルマン・リヒターは、そう言うと静かに眼鏡のブリッジを押し上げた。
レヴェリアは、男爵令嬢が公爵家の養子になるというネット小説でもなかなか見なかった展開にどう対応したら良いか分からず、危機管理について教えてくれているこの家庭教師に、藁にも縋るような気持ちで相談を持ちかけていたのである。
彼女は元々乙女ゲーム『Eternal Lovers』のヒロインとして生を受け、謎の声に導かれながら前世の記憶を取り戻して以来、およそ十年にわたって『完璧なヒロイン』を目指して修行を重ねてきた。
だが、いざ学園に入ってみれば、本来悪役令嬢のはずのエレインは全く違った人物像になっており、『攻略対象』であるはずの王子たちも展開も原作通りでなく、なんと全員がエレインに心酔しているという予想外の事態に陥ってしまう。
それでも唯一の味方である『情報屋』と共に本来の物語を取り戻すべく奮闘していたが、『攻略対象』の一人であったノエルによるエレインに対する献身的な愛を目の当たりにしたことで、レヴェリアは理解したのだ。この世界はもはや乙女ゲームなどではなく、ちゃんと人が生き、笑い、泣く、一つの現実なのだと。
だからこそ彼女は『乙女ゲームのヒロイン』という自己認識を捨て一人の『モブ令嬢』として、自分の身分とこの世界のルールをしっかりと理解し、地に足を着いて生きていくことを心に誓った。
そして一代限りの名誉男爵の娘である身分を弁え、卒業後は官僚か騎士かブティック、今は友人の斡旋してくれる帝国の上級官僚も良い進路だと思い立った。
公爵令嬢になったのは、そんな矢先のことだったのだ。
「私、帝国の高級官僚へのスカウトを受けているのですが、王国の公爵令嬢になってしまった今、他国の官僚になるのは厳しいですよね?」
レヴェリアも当然無理だと分かり切ってはいるこの進路。
しかしついこの前まで思い描いていた未来を断ち切れず、彼女は思わず口にしてしまったのだった。
ヘルマンはその言葉を聞いた瞬間、ピタリと動きを止めた。
そして、ゆっくりと眼鏡のブリッジを中指で押し上げる。カチャリ、と微かな音が室内に響いた。
「良いですか、レヴェリア様。はっきり申し上げます。男爵令嬢時代ならばいざ知らず、今の貴女の身分では厳しいどころの話ではありません。王国の公爵令嬢が帝国の『官僚』として就職するなど、前代未聞、天地がひっくり返ってもあり得ないことです」
「天地がひっくり返っても……」
「はい。もし公爵令嬢が他国へ渡るとすれば、それは就職活動ではありません。『亡命』か、『政略結婚』、あるいは『最高級の政治的人質』と呼ばれるものです」
その身も蓋もない現実的な単語の羅列に、レヴェリアは雷に打たれたように固まった。
前世のネット小説でよく見た『公爵令嬢が家を出て隣国でカフェを開く』や『男装して隣国の騎士になる』といった展開がいかにファンタジーであったか、現実の厳格な身分制度の壁が容赦なく彼女の常識を打ち砕く。
「でも、私……できれば帝国に留学したいんです。官僚への就職がダメでも、留学生として帝国へ行くことはできるんでしょうか……?」
ヘルマンは深々とため息をつき、頭の中で天文学的な政治的リスクを計算した。
帝国が他国の公爵令嬢を単なる『一学生』として扱うはずがなく、必ずや政治利用しようと輩が群がってくるのは明白だ。
しかし、この純粋な令嬢の希望を完全にへし折るのは得策ではないと判断し、彼は慎重に言葉を選んだ。
「留学自体は許可されるでしょう。ですが、留学期間終了後は速やかにアステリアへ帰国することが絶対条件となります。公爵令嬢という身分は、家のため、国のためにあるもの。貴女の就職先は、基本的に『王族の妃』か『同格の高位貴族の正妻』と決まっているのです」
「公爵令嬢の就職とは、結婚なのですね……!」
レヴェリアは、じわじわと現実が染み込んでくるのを感じていた。
(確かに、知識としては理解していたわ。でも、それが自分の未来なのだと改めて告げられると、やっぱりちょっと、現実味がないわね……)
たった一日で世界が変わってしまったレヴェリアは、どこか宙に浮いているような不思議な感覚を抱いていた。
男爵令嬢が公爵家に入るという異常事態を、彼女はそれでも、いつでも自分を一番に考えてくれる養父の判断なら、何か深い理由があったのだろうと胸に納めていた。
困ったことと言えば彼女が思い描いていた未来――騎士、官僚、ブティック経営――が悉く潰れてしまったことだが。
しかし、実のところ、レイヴンは卒業後には本来の彼女の身分に相応しい相手と縁組をする予定でいた。つまり彼女の夢は、遅かれ早かれ叶わぬものとなる運命だったのであった。
「相手は選べるものなのでしょうか?」
恐る恐る尋ねたレヴェリアに対し、ヘルマンは一切の容赦なく首を横に振った。
「原則として、否です。公爵令嬢の婚姻は、両家の莫大な富、領地、そして派閥の力学を動かす『国家規模の取引』と同義。そこに個人の感情が介入する余地は一ミリもありません。……そして」
ヘルマンはそこで言葉を切り、鋭い眼光でレヴェリアを射抜いた。
「貴女が養子に入ったのは、他でもないアステリア筆頭である『ルヴィエール公爵家』。彼らはすでに富も権力も頂点に達しており、今更小賢しい政略で他家に媚びる必要がありません。となれば、ルヴィエール公爵がわざわざ貴女を迎え入れた目的は限られます」
ヘルマンは机上で指を組み、冷静に言葉を積み上げていく。
「まず前提として、第一王子殿下と次席公爵家のご令嬢の婚約が正式発表されたことはご存じですね?」
「は、はい。確か二月ほど前の話ですよね?」
ルシウスの兄である第一王子。
幼い頃から優秀で、原作のルシウスのコンプレックスとなっていた存在だ。
しかしこの世界線のルシウスは、幼少期にコンプレックスを払拭し、前向きに努力を重ねたことで、第一王子と同等か、それ以上の能力と人格を持ち合わせている。
「王家に娘を入れた家は、表立って口こそ出さずとも、宮廷内で絶大な発言力を持ちます。王妃の実家となればなおさらです。ルヴィエールほどの家が、その立場を他家に明け渡して黙っていると思いますか?」
レヴェリアはそれを聞き、真実を知ってしまったとばかりに口に手を当てた。
「ま、まさか……ルシウス殿下と?」
「ええ、現時点で私が最も可能性が高く見えるのは、その線です。第二王子ルシウス殿下を擁立し王に押し上げ、その妃……つまり未来の王妃を自家から出す――。さすれば王宮の主導権は引き続きルヴィエールが握り続けることになる。筆頭公爵家としては、極めて合理的な一手と言えるでしょう」
レヴェリアの背筋に、ゾクリと冷たい汗が流れた。
エタラバのメインヒーローであるルシウス・ヴェルクール・ド・アステリアーー。
自認ヒロイン時代は全くと言っていいほどフラグが立たなかった彼。
まさかここに来て縁が繋がるとは、と彼女は自分が恐ろしい運命の歯車に巻き込まれてしまったような錯覚を覚えた。
ふと考えてみれば、公爵家の養子縁組の際にも彼は同席していたではないか。
(まさか……そういうこと!?遺跡で一見仲を深めたように見えた我々を勘違いした公爵家がルシウス殿下の新たな婚約者候補として私を養子に……!?しかも未来の王妃に!?)
「え……!ちょっと待ってください、しかしルシウス殿下にはすでに有力公爵家令嬢の婚約者候補がいらっしゃいますよね?なかでも殿下はベルクロア公爵令嬢と懇意にしていらっしゃいますが……」
「ベルクロア公爵家が有力候補であることは否定しません。ですが、候補と決定は別です。そして婚姻は最終的には、王家と筆頭公爵家の政治的合意で決まる……。ルヴィエールが本気で第二王子を担ぎ、その妃の席を自家に確保するつもりなら、他家の令嬢がどれだけ殿下と親しかろうと覆せない話ではありません」
(……更に言えば、ルヴィエールほどの家がただの元平民の孤児を家に入れるはずがない。おそらくこの娘には、何らかの高貴な血統が流れているはず)
ヘルマンは眼鏡の奥の鋭い目を細めながら、密かに心の内で呟いた。
一方でレヴェリアは盛大に頭を抱えていた。
(そ、そんな……!私が、ルシウス殿下の愛の障害に……!?)
遺跡で、はにかみながらエレインへの慕情を語ってくれたルシウスの顔を思い浮かべ、彼女は何とも言えない気持ちを抱いた。
そして同時に、ピシャーンと雷に打たれたかのように彼女の中に特大のひらめき(勘違い)が舞い降りた。
(ていうか……これ、あれじゃない!?『王妃になりましたが夫は別の女性に夢中です』っていうネット小説でよく見たあるある展開!!ルシウス殿下は筆頭公爵家の令嬢となった私と結婚するけど、エレイン様への恋心が諦めきれず、私はお飾り王妃として一人広い王宮でバリバリ仕事をする運命になるってやつ……!)
夫であるルシウス殿下は愛するエレインの元へ通い、正妻である自分には(恋愛的には)見向きもしない。
となれば、王族としての厄介な世継ぎ問題やドロドロの愛憎劇からは完全に解放される。
しかも王宮の予算管理や書類仕事に全振りできる環境――つまり、実質的に国の中枢を担う『超エリート公務員(終身雇用)』と同じではないか。
(まあ、大抵はその後何かしらで離縁され、追い出されたところを隣国王子とかに見初められて溺愛されるパターンだけど……ルシウス殿下はなんだかんだお優しい方だし、愛はなくとも友達夫婦としてそれはそれで楽しく暮らせるでしょう)
レヴェリアはそこまで考えるときりっと表情を引き締めた。
決まってしまったものは仕方ない。
王妃となった暁にはエレインとルシウスの恋愛も潔く認め、自分は二人の愛を邪魔してしまった分もしっかり働こうじゃないか。
奇跡的に振り出しに戻った着地点。
そうと分かれば勉学に励み、せっかくなら凄腕の王妃になってやろうと腹を括ったレヴェリアは、ギュッと両手で拳を握りしめ、真っ直ぐに顔を上げた。
「ヘルマン先生、私……やります。凄腕の王妃になってみせます!」
「素晴らしい意気込みです。ならばこれからは危機管理だけでなく、王国の全法典、周辺諸国を含む高度な政治戦略論、宮廷における複雑怪奇な派閥の相関図、そして、王族を相手に一歩も引かずに渡り合うための『極位の交渉術と宮廷儀礼』など。私の持つ知識を総動員してあなたに知恵を授けましょう」
こうして、またしても二人の間に完璧で強固な師弟関係が結ばれた。
二人の熱意は完全に一致していたが、その見据える未来図が根本から明後日の方向へすれ違っていることに気付く者はいない。
(……けど、留学には行けるみたいでよかったな)
腹をくくりつつも、胸のどこかでそんな安堵の息を吐き出すレヴェリア。
王妃という重すぎる未来が(彼女の中で)確定したからこそ、友人の生まれ育った異国への純粋な憧れが、彼女の心の中で一層鮮やかに輝いて見えたのであった。




