第48話:彼女を守る二つの盾
クロード・ブランシェール男爵は黒檀で仕立てられた重厚な執務机に置かれた二通の手紙を交互に見やると、重いため息を吐いた。
一通は、ルヴィエール公爵家から。
レヴェリア・ブランシェールの類い稀なる資質を高く評価し、その将来を支える後ろ盾となるべく、公爵家の養女として迎えたいという申し入れであった。
もう一通は、ニルヴァス帝国第三皇子から。
レヴェリアを帝国へ留学生として迎え入れたいという正式な申し入れであり、その将来についても前向きに話し合いたい旨が記されていた。
(アステリアの名門、ルヴィエール公爵家……)
クロードは顎に手を当て、思考を巡らせる。
(先日、レヴェリアはドレスを作成するためルヴィエール公爵家を訪れた。その際に、ノルドレインの公女であった夫人と会ったのではないか。もしや、その際に何か勘付かれたのでは)
彼はそこまで考えて、すぐにかぶりを振った。
レヴェリアは確かに母親の面影を継いでいるが、あくまで彼女をよく知るものしか気付かない程度のものだ。さらに北の王家に多く見られる翠瞳を持っていない。聡明な彼女が面影だけで断定するとは思えなかった。
そこでクロードに他の貴族的理由が思い浮かんだ。
(レヴェリアは同じ公爵家のアシュフォルト公子と交際しているのではなかったか。ならば、このルヴィエール公爵からの突飛な申し出は、その婚姻を後押しするための布石なのかもしれない。アステリアの公爵家が『元平民』を家に入れるというのは余程の異例になるが、それ以上の政治的な実利があるのか)
一介の男爵令嬢が由緒正しい公爵家に嫁ぐとなれば、正妻として迎え入れるためにも、ある程度家格の体裁を整える必要がある。同じ派閥の公爵家同士で縁を繋ぐという意味でも、交友のある公爵家が後見人となり、養女という形でお膳立てをするというのは、貴族社会において決してあり得ない話ではないのだ。
どちらにせよ、これはアステリア国内での政治的な立ち回りの範疇であり、最悪の場合でも彼女の命や血筋そのものが脅かされる事態には直結しないだろう。
(しかし、問題はもう一通の方だ……)
漆黒の封蝋が押された帝国からの書状は、一介の男爵家に宛てられたものとしてはあまりにも異質で、有無を言わさぬ絶対的な圧を放っていた。
(レヴェリアから留学を検討している話は聞いていたが、まさか帝国の皇子から直々の手紙を受け、協議の席を設けたいという申し出ばかりか、使者を差し向ける日時まで明記されているとは)
彼女が優秀なのは今さら言うまでもない。だが、いち男爵令嬢の留学のためにわざわざ皇子から手紙が届き、それどころか会談の申し込みを受けるとは。
本来あり得ない事態に(まさか彼女の血筋が見抜かれたのでは)と、クロードの背筋を氷のような悪寒が駆け抜けた。
(帝国の皇子は三年生。校舎も違い、レヴェリアと顔を合わせる機会などそうあるまいと油断していたが――)
クロードは、先日のレヴェリアの遺跡遭難の際に救助に訪れていた白銀髪を持つ冷たい美貌の皇子の姿を思い浮かべた。
(彼女の正体は、私含めた古くからのグレイシア王家の忠臣数名、そしてノルドレイン王家とごく僅かな上層部しか知らない秘匿情報。仮に皇子が彼女の血統に疑問を抱いたとしても、それは未だ推察の域を出ていないはずだ)
決して気付かれないはずの彼女の正体。
しかし万が一にでも彼がレヴェリアの正体に勘付いた上でこの手紙を出したのだとしたら、これは留学という名の『軟禁』、あるいは特大の政治的価値を持つ『人質』としての要求に他ならない。
(どちらにせよ、手紙だけでまともに断れる相手ではない。使者が来る前に、レヴェリア本人と早急に対策を練らねば。場合によっては……ノルドレインに縁を持つルヴィエール家なら、あの子を守るにはこれ以上ない立場だ。帝国の思惑を封じるには、公爵家の養女という身分を利用するのが最善かもしれん)
クロードは痛むこめかみを強く押さえながら、傍らに控える初老の執事に鋭く命じた。
「セブ。第三皇子ディートリッヒ殿下について、これまでの調査結果を全て洗い直せ。交友関係、留学中の行動、レヴェリアとの接点を時系列で整理しろ」
執事が手早く返事をして部屋を出ていくと、執務室に再び沈黙が落ちた。
「まさか、あの方が命を懸けて遠ざけた帝国へ、今度はあの子が自ら招かれるとはな……」
そう呟いた声は低く、自嘲にも似た笑みを含んでいた。
彼はかつて『傾国』とも評された絶世の美女ーー己が主君を眼裏に浮かべた。
ふとした所作や穏やかに微笑む表情、そして凛とした気品が、年月を重ねるごとにレヴェリアの中へ色濃く宿り始めていた。
思わず見間違えてしまう瞬間が、以前よりも確かに増えていた。
「アナスタシア殿下、貴女はいま、どのような日々を送られているのでしょうか」
彼は広い執務室でぽつり呟くと、静かに目を伏せた。
***
「良いですか、レヴェリア嬢。何も魔物だけが危機なのではありません。この厳格な身分制度の敷かれた世界では、社会通念や常識、暗黙の了解すらも危機に通じるのです。複雑怪奇な貴族社会を生き抜くには、力でねじ伏せることよりも、危うい兆候をいち早く察して全速力でその場を離脱するフットワークの軽さこそが最強の防壁です」
クロードの雇った王室御用達の凄腕指南役であるという家庭教師ヘルマン・リヒターは、眼鏡を光らせ、目の前の華奢な男爵令嬢にはっきりとそう述べた。
「つまり危機管理とは敵を倒すことではなく生きて帰ること。『逃げるが勝ち』ということわざがありますね?貴女は今後それをモットーにしてください」
レヴェリアは成程という顔で、彼の言葉をノートに書き留めた。
「なるほど……!危機管理とは、逃げること!先生、私、ちゃんと体現できている気がします!」
「素晴らしい。教えを実践することは容易くはありません。貴女の素直で真面目な性格は今後の人生を助けることでしょう」
彼女は、自身の(前世でネット小説を読みすぎたことによる過剰な)危機管理行動は正しかったのだと確信し、己の危機回避意識の高さに自信を深めた。
「しかし、今の貴女を取り巻く環境は『特級危険地帯』と言わざるを得ません」
「と、特級ですか……!?」
ヘルマンは眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げ、冷徹な口調で続けた。
「身分不相応な魔力量、そしてあまりにも目を引く容姿。これらは貴族社会において、貪欲な肉食獣たちを誘き寄せる最上の餌と同じです。近づいてくる有象無象の甘言には決して耳を貸さず、まずは三歩退いて相手の『裏』を読みなさい」
それを聞いたレヴェリアは雷で打たれた様な衝撃を受けた。
自分が元ヒロインであるばっかりに、凡庸に成りきれず標的となってしまっている。
これには心当たりがあった。
エタラバのメイン攻略対象であるルシウスと、隠しキャラのディートリッヒである。
彼らはヒロインとしての縁の名残があるためか、ここ最近接触機会が多い。
他の攻略対象とはすでに健全な関係を築いているが、万が一王族の二人に本格的に目をつけられてしまったら、それこそ暗殺の危機が現実になり得るのである。
「先生、仮に何かしらの縁で高位貴族と接触してしまうことがあった際に念頭に置くべきことはありますか」
レヴェリアの切実な問いに、ヘルマンは満足げに一つ頷くと、黒板代わりに広げた羊皮紙を指し示した。
「『例外』を作らないことです」
彼は眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
「高位の者からの接触に対しては、徹底して『事務的かつ凡庸』な対応を貫きなさい。好意には同等のつまらない品で返し、決して貸し借りを作らないこと。そして何より、彼らの『視界』に単独で入らないことです。常に第三者を挟み、物理的な距離を保つ。これが最大の防御となります」
(なるほど……!視界に入らず、ヘイトを稼がず、もしエンカウントしてもモブに徹してすぐ逃げる!)
前世の知識と、彼の教えが見事にリンクした瞬間だった。
レヴェリアは瞳を輝かせ、力強く両手を握りしめる。
「分かりました、先生!私、今日から徹底的な『壁』になります!王族の方々とは目を合わせず、半径三メートル以内には近づきません。万が一話しかけられても、当たり障りのない愛想笑いでやり過ごし、秒でその場を立ち去ります!」
「素晴らしい。その危機感とフットワークの軽さがあれば、貴女の平穏な未来は守られるでしょう」
完璧な師弟愛がそこに成立していた。
レヴェリアは平穏で輝かしい未来を守るために危機管理意識を高めることを心に誓ったのであった。
ーーもっとも、その教えが数日後、王族たちを盛大に振り回すことになるとは、この時の二人はまだ知る由もなかった。




