第47話:彼女の面影
王都リラ・フレーヌの一等地にそびえ立つルヴィエール公爵家の本邸。
もともとは貴婦人がお茶をするための豪奢なサンルームだった部屋に、今や部屋の中央に巨大な特注のマホガニー製の製図用テーブルが鎮座し、壁際には仮縫い用のトルソーがいくつも並べられている。
幼い頃にファッションへの関心を諦めなかったこの世界線のノエルは、その頭の回転の速さと機転を活かし、領内の織物産業と結びつけたブランド戦略を両親に提示した。
そして実際に大きな利益を生み出したことによって両親を黙らせ、堂々と針と糸を握る権利を獲得したのだった。
そのアトリエで、ノエルとレヴェリアは真剣な面持ちで新作ドレスの打ち合わせをしていた。
「それで今回は、動いてもドレスのラインが一切崩れない、魔法回路を組み込んだ『次世代型の夜会服』にしたいんだ。君の確かな縫製技術で、僕の引いたこの型紙を立体化してくれないか」
「これは……中々に複雑ね。ここはわざとダーツを曲線で引いてる?身体のラインをより強固に補正する狙いかしら」
「そうだね、それは……」
二人が図面に没頭していたその時、アトリエの扉の向こうからコツコツと優雅な足音が響いた。
「ノエル。今日は随分と可愛らしいお客様がいらしているのね」
現れたのは、ノエルの母親であるルヴィエール公爵夫人だった。
帝国の北に位置するノルドレイン聖国の由緒正しい公爵家出身の夫人は、ノエルと同じハニーブロンドに美しい翠眼を優雅に細めていた。
盛夏星誕祭を病欠していた夫人がレヴェリアを見るのは初めてのことだった。
扇を手に、公爵家を取り仕切る女主人としての威厳と気品を纏った彼女は、階段をゆっくりと降りながらレヴェリアへと視線を向ける。
そして――レヴェリアの顔を真っ直ぐに見た瞬間、夫人の動きがピタリと止まった。
(――アナスタシア様!?)
夫人の見開かれた瞳が、微かに揺れる。
レヴェリアの透き通るようなプラチナブロンド。ゆっくりと振り返る気品ある所作。穏やかに微笑む表情――そのすべてが、夫人の記憶の底にある『ある人物』と重なったのだ。
「…………ノエル。そちらのお嬢さんはどちらさま?」
微かな震えを押し殺した夫人の声に、ノエルはいつもの完璧な微笑みを浮かべて紹介する。
「学園の友人であり、僕の専属の裁縫士でもある、レヴェリアブランシェール男爵令嬢です」
「はじめまして、ルヴィエール公爵夫人。レヴェリア・ブランシェールと申します」
「……ブランシェール男爵令嬢、ですって……!?」
夫人は思わず声を漏らしたが、すぐに扇で口元を隠し、ハッと我に返った。
「……そう。遠いところをよくいらっしゃいましたね。極上の紅茶を用意させますから、レヴェリア様は先に応接室でお待ちになって」
「あ、ありがとうございます」
メイドに案内され、レヴェリアが一礼してその場を離れる。
彼女の背中が完全に見えなくなったのを確認するや否や、公爵夫人は扇を閉じ、息子に向かって鋭い声で言い放った。
「ノエル。あなた、あんな女狐はよして、あのお嬢さんと婚約なさい」
「え……?」
ノエルは一瞬、きょとんと目を丸くした。
あの、常に冷静沈着なノエルから、素の驚きの声が漏れる。
「……彼女は男爵令嬢ですよ?身分制度に人一倍拘る母上が、随分と珍しいことを仰いますね」
ルヴィエール家ほどの歴史ある公爵家が、下級貴族を正妻に迎えるなど本来なら絶対にあり得ないことだ。特に母は、家柄と血統を何よりも重んじる厳格な人のはずである。
しかし、夫人の目は真剣そのものだった。
「いいえ、彼女はただの男爵令嬢ではないわ。彼女はグレイシア王家に連なる血筋である可能性が極めて高い。たった今、お会いして確信いたしました」
「グレイシア、王家……?」
ノエルの夫人譲りの翠眼が僅かに細められる。
「これから話すのは国家機密です。決して外に漏らしてはなりませんよ」
夫人は周囲に人がいないことを確認し、声を潜めて告げた。
「神話から連なる系譜を持つ古国グレイシア。そちらの王女アナスタシア殿下は帝国に征服された際、自ら先帝の妃として幽閉されることで国民を守りました。ただその時、王女は完全に制圧される前に内密に女子を出産していた。そして産まれたばかりの姫君を忠臣に託し、他の地へ逃したのです。親交の深いノルドレイン王家は、その逃亡を陰から支援した.…」
以来、その姫君の存在は歴史から忽然と消えた。
公に残された記録はなく、真実を知る者も沈黙を守り続けている。
「ですが、その姫君がどこへ匿われたのかは、今なお王家と一部の忠臣しか知りません。征服した帝国すら知らない、王女の最後の抵抗と言えるでしょう」
夫人は少しの間を置き、まるで歴史の深淵を覗き込むような瞳で、静かに言葉を続けた。
「わたくしはその昔、ノルドレインの王族が主催した晩餐会で、公女としてアナスタシア殿下と数日間ご一緒した経験があります。レヴェリア嬢は、彼女の持つ気高い気品、そして不意に見せる笑みの形まで、あの御方と驚くほどに重なっておられるのです」
夫人は当時を懐かしむようにふっと笑った。
彼女にとってアナスタシア王女は気高く美しい、憧れの姫君であった。帝国に征服され幽閉されたという報せを聞いてどれだけ嘆いたことか。
諦めきれなかった彼女は、密かにアナスタシアに関する情報を集め、いくつかの目星を付けていたのだ。
「さらに、彼女を育てたクロード・ブランシェール男爵。北方系貴族に多い金髪と翠眼を持ちながら、その出自には不自然なほど空白が多い。それに、一代であれほどの財を築いた人物ですもの。以前から、何か大きな後ろ盾があると考えておりました。」
グレイシア王国。
それはかつて北方に存在し、ニルヴァス帝国の先代の『覇業』によって滅ぼされ、併合された歴史ある国だ。
(――なるほど)
ノエルの脳内で、散らばっていたパズルのピースがカチリとはまる音がした。
あの『大規模魔物討伐演習』でレヴェリアの養父であるクロード・ブランシェールがノルドレイン聖国の騎士を帯同してきたこと。そして、ブランシェール家について調べても巧妙な情報操作の壁に阻まれ、核心に辿り着けなかったこと。
(王族の末裔を匿うためなら十分あり得る。ブランシェール男爵の莫大な財産についてもだ。金融も海運も元手の掛かる業種だ……その開業資金が『王家の隠し財産』だとしたら)
また、帝国の皇族であるディートリッヒがただの男爵令嬢である彼女に異常な執着を見せている理由。
武力で蹂躙した国の生き残りの血筋(あるいはその面影)だからこそ、何かしらの因縁や、特大の政治的価値を見出しているのではないか――?
ノエルはそこまで考えると、伏せていた長い睫毛をゆっくりと持ち上げ、いつも通りの優雅な笑みを浮かべて母に向き直った。
「……母上のお言葉、重く受け止めます」
彼は心のうちで一人ほくそ笑んだ。
(アステリアに縛るため、彼女の持つ才覚と上位貴族との交友関係を提示して、帝国より先に親戚筋への養子縁組を勧めるつもりだったが。まさか彼女がそんな破格の血統の持ち主だったとは)
さらに一番厄介な母親が彼女の価値を見抜いているというのは僥倖だ。
ノルドレインとグレイシアは古くからの友好国。帝国に併合された後もその古国の復興を誓う『深き絆』は健在であり、聖国出身の夫人は未だにグレイシアの現状を嘆いていたのだった。
(第三皇子は気付いて彼女を手に入れようとしている?だとしたら……ますます丸腰の彼女を渡すわけにはいかないよね)
「母上。レヴェリア嬢が帰った後、一つご相談があります。後ほどお時間頂けますと幸いです」
ノエルはそう言うと、盤上の駒を動かすかのような冷徹な瞳で薄く微笑んだ。




