第4話:限界(カンスト)ヒロイン、別ルートへと突入する
放課後の図書室。
(今よっ!!)
本棚の陰で息をひそめていたレヴェリアは、攻略対象が歩いてきたことを確認すると、おもむろに上段の本へと手を伸ばした。
「あーっ、あの古代魔法陣学の本が取りたいのに、手が届かなくって取れないわー!」
図書室という場所を考慮した、対象にだけ聞こえる完璧な音量で、ヒロインのセリフを完璧(と彼女は思っているが結構棒読み)に決めたレヴェリア。
その美しい容姿と庇護欲を擽る高いところに手が届かないシチュエーションはまさに原作通り。
声につられて歩みを止めたのは……。
「私が取って差し上げますよ、勉強熱心なお嬢さん」
緑がかった灰色の髪をアシンメトリーに流した鳶色の瞳を持つ美形、宰相子息ドミニクだ。
(しめたっ!!)
想定通りの展開に、レヴェリアは心の中でガッツポーズを決めた。
***
春の風が舞い込む第二音楽室。
相変わらずフードで顔を隠した情報屋とレヴェリアが向かい合って、無駄に密やかに獲物のやり取りをしている。
「まずはアシュフォルト公子だな。彼は放課後、館内の人影がまばらになる頃を見計らって図書館を利用しているらしい。決まって座る席は手前から5番目の一番右。……一度着席したら集中してほとんど席を立たないから、声をかけるなら入室直後を狙うしかないぞ」
それを聞いてレヴェリアの中の攻略済みデータベースが彼のページを読み込んだ。
ドミニク・ド・アシュフォルトは、アステリア王国現宰相の子息である。
彼は幼いころから特別賢く、周囲の大人たちから畏怖の目で見られていた。
当然同年代に彼の思考や孤独を理解してくれる存在などもなく、入学当初は他人を見下す孤高な冷徹なキャラとして登場する。
やがてヒロインとの交流を経て、彼は「私の領域に踏み込んできたのはあなたが初めてです」と心を開き、唯一無二の理解者となったヒロインを理詰めで外堀から囲い込んでいく、超絶激重なインテリ溺愛キャラへと変貌を遂げるのだ。
「分かったわ!よーし、今日はドミニクの【密着☆個人レッスン】スチルを狙うわよ!正直、これを外したことはないんだから!」
「おい、あんまりフラグを立てるようなことを言うな」
レヴェリアは情報屋にカフェテリアで毎日20食限定のレモンケーキを渡すと、今日こそは記念すべき一枚目のスチルを回収する!と意気揚々に図書室へ駆け出した。
***
「お嬢さん、古代魔法陣学を学習されるのですか?こちらは後期に学ぶ範囲ですが」
「は、はいっ!自宅で予習してきたのですが、さらに予習を進めたくって!」
「ほう、素晴らしい学習意欲ですね。古代魔法陣学は私もすでに予習済みです。わからないところなどあればどうぞ、お気軽にご質問ください」
銀縁フレームの眼鏡をくいっと持ち上げながら目を細めるドミニクに、(しめしめ、計算通り……)とレヴェリアはほくそ笑んだ。
(ふっ。何を隠そう、完璧なヒロインであるために全教科のステータスを限界まで底上げ済みなのよっ!!今の私に1学年の範囲で解けない問題はないと言っていいわ!)
レヴェリアは心の中でドミニクもびっくりな学習意欲とその不純な動機を掲げ堂々と胸を張った。
そして、言葉に甘えて彼の隣の席を陣取り、ノートと古代魔法陣学の本を広げ、無言で魔法陣に係る数式をすらすらと書きはじめた。
魔導筆が紙の上をすべる音とページをめくる音だけが空間を支配してしばらく経った頃、ドミニクが読書に集中していた身を起こして「ふぅ」と小さくため息を吐いた。
その隙を見逃す彼女ではなかった。
(今だわっ!!!)
レヴェリアは彼の集中が一瞬乱れたことを確認すると、わざとらしく魔導筆を転がした。
「うーん……ここの公式、難しくって解けないわ~!あっ、あなたは先ほど声をかけてくださった親切なお方!もし差し支えなければ教えていただけませんかっ??」
「ええ、構いませんよ」
そう言いながら完璧な角度の上目遣いを決める。
その完璧なタイミングとセリフに理知的なドミニクが身を乗り出した。
(良し来たっ!今日こそスチル回収だわーーー!!!)
レヴェリアが勝利を確信して密かに手を握る。
しかし。
「ふむ、こちらですね。この魔法陣を解釈するには古代精霊文字の第3法則を用いて、魔力伝導率の基礎式を展開するんです。そうすれば――」
ドミニクがノートに流麗な数式を書き込み始めた、その時だった。
完璧なヒロインを演じるために、入学前に全教科のステータスを限界突破させていたレヴェリアの頭脳が、彼の些細な計算ミスを『自動検知』してしまったのだ。
「……あっ。でもドミニク様、そこは第3法則じゃなくて、第5法則の例外規定を当てはめないと魔力伝導率に矛盾が生じますよ? ほら、この文献の142ページにあるように、精霊の干渉係数を考慮すると……」
レヴェリアの口が、スチルに酔いしれる本人の意思を完全に無視して、自動でスラスラと動き出した。
スチルを黙って享受すればいいものを、ゲーマー特有の完璧主義が顔を出し、彼女はドミニクの手から魔導筆を奪い取ると、流暢な古代精霊語で彼の解説を真っ向から修正。さらに別解まで淀みなくノートに書き連ねてしまったのである。
圧倒的な知識量と完璧な理論展開の前に、ドミニクは身を乗り出した姿勢のまま、石像のようにフリーズした。
一通り解いた後で我に返ったレヴェリアはサッと顔を青ざめた。
(ああっ!?私のバカバカバカ!なに論破しちゃってんのよ!?せっかくの神イベントが……!)
彼女が自分の間違い(回答自体は正解)に気づき青ざめたその時。
スチルが発生するはずだった甘い雰囲気は完全に消滅し、代わりにドミニクの瞳の奥で、狂気的な知的好奇心がギラリと光った。
「……君のその見解、素晴らしい。まさかDクラスにこれほどの頭脳の持ち主が存在したとは……!僕の名前はドミニク・ド・アシュフォルト。レヴェリア嬢と仰るのですね。古代精霊語で『まどろみの祝福』の意を持つ素敵なお名前だ。どうか学友として今後とも共に学習していこうではないですか」
ギラギラと目を輝かせるドミニクに、レヴェリアは顔を引きつらせた。
「ひぃぃぃっ!! 原作と違うっ!? 謎ルートに突入しちゃったっ!?」
ドミニクはレヴェリアの両肩をガシッと掴み、分厚い論文の束を押し付けてきた。
レヴェリアは意図せず、『共同研究者』ルートへと足を踏み入れてしまったのだった。
「ドミニクー、お茶を淹れたわよ」
そのとき、図書室のドアが開き、鈴のような声が響いた。
すると、さっきまで狂気的なほどの熱意をレヴェリアに向けていたドミニクが、パッと振り向いた。
「エレイン様、これは有難きお誘いをありがとうございます。ただいま伺います」
声のトーンが2オクターブは上がり、見えない尻尾を振っているかのような顔になっている。
なんともわかりやすい差分である。
「レヴェリア嬢、君はこちらの例外問題を解いておいてください。私はエレイン様とお茶をして……ではなく、こちらの大問を完璧に仕上げて参りますので。ではっ」
ドミニクは言うや否や、颯爽とエレインの元へ駆け寄って行ってしまったではないか。
例外問題の宿題を課されポツンと残されたレヴェリアは「あ、あ、待って……神イベントが……【密着☆個人レッスン】スチルが……」と虚空に手をさまよわせるのだった。




