第39話:黄昏色の彼女
「ディーダったら、最近疲れてるの?」
「ああそうだ。疲れている……」
彼は心底疲れていた。
ただでさえ皇族としての公務で忙しいというのに、
彼女に近付くどころか厄介な邪魔者が次々と現れる。
結局のところ、本来の姿で彼女と縁を紡ぐことがほとんど出来ないでいる。
気付けばもう半年が経ってしまった。
自分に赦された最後の自由時間。
次に本国に帰ったら、今度こそ皇位継承と向き合わなければならない。
ディートリッヒ・ヴォルフ・ヴァン・ニルヴァスは、皇子として生まれながら帝国の在り方が好きではなかった。
圧倒的な力で蹂躙し、死骸や瓦礫の上に立つ支配。
幼い頃から帝王学や統治哲学を学び特段優秀だった彼は、必要とあれば誰よりも冷酷に判断し結果を残せるだけの能力を持っている。
しかし彼の本質的な部分が、それを良しとしないのであった。
遊学中も結局のところ高い皇位継承権を持つ彼の皇子としての責務は減ることもなく、周囲からも当然特別視される。
祖国から出たところで何も変わらなかったことを嘆いた。
ある時、息苦しいしがらみから逃れるように、あてもなく街でも彷徨ってみようと『占星術』で使うローブを羽織った。
そんな折に出会ったのがレヴェリアだった。
感動的なところなど微塵もない、ふざけた出会い。
『聞いて……この世界は私が前世でプレイした乙女ゲームの世界なのよ』とかいう常人が聞いたら精神病院を勧めるであろう馬鹿げた話。
しかし、それを語る彼女は真剣そのもので、常に熱意に満ちた目をしていた。
その姿を見ているうちに、現実に雁字搦めになっていた彼は、案外この世界も大したことないんじゃないかと、逆に肩の力を抜くことができたのだ。
帰ったら面倒な儀式に巻き込まれ、母親筋の公爵令嬢か、あるいは近隣の王族の姫君と婚約することになるだろう。
帝国の皇位は、長子相続ではなく、皇帝による指名制だ。
唯一皇后を母に持ち、誰もが認める資質を備えたディートリッヒは、皮肉なことにその玉座の最有力候補であった。
帰国し、勢力争いの総決算となる舞台が始まれば最後、彼自身の意志とは無関係に巨大な歯車が回り出す。
母方の実家であるヴォルフスベルク公爵家、ラファエルたちレヴェンタール公爵家、ヴェルナーの実家であるヒルシュタイン侯爵家をはじめとした錚々たる貴族たちが彼を皇帝にするため目に見えた動きをしてくるはずだ。
そして勝ち上がった彼は皇太子となり、やがて多くの犠牲と献身によって成り立つ玉座に君臨する冷徹な皇帝として、必要があれば戦場を蹂躙し、少数派の意見を切り捨て、複数の相手と子を成すことになる。
そこに彼の意思の入り込む余地など微塵も残されていない。
自分に残された僅かな自由。
人間としての確かな感情。
それらを賭けて、自分が自分であるためにどうしても得たい存在が出来てしまった。
彼は、刻一刻と終わりの時が迫る中で、この奇跡のような繋がりをどうすれば永遠に自分のものにできるのかと、息が詰まるほどの焦燥感に身を焦がしていた。
ふと思考を止めて顔を上げると、彼女は窓際に座り外を眺めていた。
そこに在るのは夕陽に照らされた、女神のように美しい少女。
しかし、彼が惹かれたのは外観的な美しさではない。
ただ一人の人間としての自分と、陽だまりのような時間を共有してくれた、真っ直ぐで前向きで一生懸命、時にはドジで間抜けな一人の女の子としての彼女が好きなのだ。
彼は胸の奥から込み上げるその切実な思いに突き動かされるように、彼女に手を伸ばした。
「……手を」
ふと気付いたときには自然と口から出ていた。
「手を貸してくれないか」
「え?」
ハッとしたときにはもう遅く、(俺は何を言っているんだ)と焦った矢先。
「はい、どうぞ」
と差し出されたレヴェリアの一回りちいさな白い手。
彼は面食らいながらも、躊躇いがちに、自らの手を重ね合わせた。
夏より暮れるのが早くなった夕陽が辺りを真っ赤に染めている。
(ディーダったら、突然どうしたんだろう)
レヴェリアは、これまでにない彼の様子を不思議に思いつつ、なぜだか自身の頬がほのかに熱を帯びるのを感じたのだった。




