第38話:彼女を手放さないための最適解
帰りのホームルームが終わり、生徒たちが帰りの支度を始めたとき。
「ねぇ、ちょっと良いかな」
アロイスを引き留める声があった。
アステリア王国の筆頭公爵家嫡男であるノエル・ド・ルヴィエールである。
「ドミニクたちから聞いたよ。なんでもここ2日、君たちの綺麗な皇子様が僕の裁縫士に絡んできているそうじゃないか」
場所を人気のないテラスへ移動するや否や、彼は笑顔を浮かべながらそう切り出したのだった。
「滅多に姿を現さない。それでいて、これまで他者とは最低限の接触しかしてこなかった大国の皇子様が、どういうつもりかな?」
カチャン、と隙のない仕草で紅茶のカップをソーサーに置きながらアロイスを射抜くノエル。
口元はにこやかであるが、その目は一切笑っていない。
「……さすが、勘付かれるのがお早いですね」
アロイスは一度目を伏せると彼に相対する覚悟を決めて、ノエルに向き合った。
「ご明察の通り、我が主君はレヴェリア嬢にご興味をお持ちです」
「興味ね……」
曖昧な単語ではあるが、この場合の意味合いは一択である。
(大陸の覇権ニルヴァス帝国。その皇太子の座に最も近い位置にいるディートリッヒが、いち男爵令嬢であるレヴェリアを見初めたと。それを側近が認めると言うのか)
今どき恋愛小説でもそうそう見かけない展開に、ノエルは大袈裟に手を広げ、頭を振った。
レヴェリアは絶世の美少女。その容姿に惹かれる単純な輩は山ほどいる。
皇子とレヴェリアの接点を見出せないノエルは、彼も彼女の美貌に狂わされた一人だと結論付けていた。
「そもそも儀式を控えた大国の皇子が男爵令嬢とどうなる気だい?その場限りの遊びだなんて論外だよ」
レヴェリアを取り巻く厄介な友人代表として、彼は絶対零度の冷たさを孕んだ目を向けた。
「ご心配には及ばず。殿下は決して、そのような軽々しいお気持ちで接しておられるわけではありません」
アロイスも負けじとその紫の瞳で視線を返す。
だが、ノエルは逃がさなかった。
「ふーん。なら具体的にどうする気なんだい?帝国の身分制度にはいち男爵令嬢を皇族の側に置くための『手立て』でもあると言うのかな」
畳みかけるようなノエルの追及に、アロイスは表情ひとつ変えずに一礼した。
「殿下のお考えを、私の口から軽々に申し上げることはできません。……ですが、ひとつ伺っても?」
アロイスは静かに視線を上げ、ノエルの笑顔の奥を凝視した。
「ルヴィエール公子。あなたは、随分とレヴェリア嬢を気にかけておられるのですね?」
「……僕の裁縫士だからね。最高のパートナーを心配するのは当然だろう?」
ノエルは肩をすくめてみせたが、アロイスはその瞳の奥に宿る、静かで異常な執着を見逃さなかった。
(この男……ただの友人でも、保護者気取りでもない。彼女を自らの手元に囲い込んでおきたいという、深いエゴだ。今ここで殿下の『公爵家との養子縁組』という計画を明かせば、確実にこの男に妨害される――)
アロイスは悟った。
ノエル・ド・ルヴィエールは、ディートリッヒの目的において明確な『障害』になり得ると。
「追々、お分かりになるでしょう。……それでは、私はこれで」
アロイスはこれ以上何ひとつ情報を落とすことなく、深々と一礼してテラスを後にした。
取り残されたテラスで、ノエルは静かにソーサーの上のカップを見つめていた。
(アロイスは何も言わなかった。……だが、どうやら皇子が『本気』であることだけは確かだ)
ノエルは紅茶を一口含み、思考を高速で巡らせる。
儀式を控え、帝国の権力闘争の渦中にいるディートリッヒが、男爵令嬢を本気で手に入れようとしている。
実力主義と権謀術数が渦巻くニルヴァスで、身分違いの令嬢を正式に迎えるために、彼ならどう動く?
(……身分の底上げ。それも、帝国の皇妃として申し分のない格を短期間で与える方法。……そうか。帝国の大貴族の『養女』に据える気か)
そこまで思い至った瞬間――ノエルの頭脳に、雷が落ちたような悪魔的な閃きが舞い降りた。
(……なら、僕たちが彼女をルヴィエールの親戚筋の養子に迎えればいいんじゃないか?どうせ彼らは儀式の間は派手に動けまい。時間はたっぷりあるのだから)
ノエルのレヴェリアに対する感情は恋ではない。
自身のアイデアを形にする裁縫士として、あるいは理解者としてずっと手元に置いておきたい、綺麗な鳥を鳥籠で飼うような歪な愛着である。
ルヴィエール公爵家の遠縁にあたる伯爵家あるいは子爵家へ養女として彼女を引き入れさせ、本家であるルヴィエール公爵家が『後見人』に就いたなら。
ルヴィエールの後見下におくことで、彼女の結婚や進路の決定権をノエルが握ることが出来る。一生涯手元に置いておく正当な口実ができる。そして同時に儀式が終わるより先に婚約させれば、帝国の皇子へ嫁いで遠くへ行ってしまうことも阻止できるのだ。
(まぁ、彼女が果たして帝国に靡くかは別として……)
ノエルは静かに、そしてひどく楽しげに微笑んだ。
(……素晴らしい手立てを考えるヒントをくれて感謝するよ、皇子様)
***
「殿下。ルヴィエール公子が動きを察知し、接触してまいりました」
執務机に向かうディートリッヒに、アロイスは影のように寄り添い報告を入れた。
「さすが目ざといな。それで、何と言っていた?」
「レヴェリア嬢に対する殿下の『本気度』を探ってまいりました。具体的な計画……レヴェンタール公爵家との養子縁組については伏せましたが、あの男の目は危険です」
アロイスは紫の瞳を静かに細めた。
「ルヴィエール公子は、レヴェリア嬢に対し、単なる友人以上の異様な囲い込みの意志を持っています。今後、殿下の計画において最も厄介な障害となるかと」
「……そうか」
ディートリッヒはペンを止め、面白そうに目を細めて微笑んだ。
「小鳥を籠から出したがらない厄介な兄貴気取りがいるというわけだ。……面白い。だが、誰にも渡す気はない」




