第29話:ついに自認モブ令嬢へ進化(退化?)した彼女
待ちに待った夏休み最大のイベント、『聖夏星誕祭』の夜がやってきた。
舞台となる白亜の王城は、今夜ばかりは地上の星海と化していた。
天井から吊るされた無数の魔法石が、本物の星屑のように淡く幻想的な光を放ちながら宙を舞い、磨き上げられた大理石の床がその煌めきを鏡のように反射している。
やがて、祭りのメインイベントである夜の舞踏会が始まった。
王城の煌びやかな大広間には、着飾った貴族たちが集い、優雅なワルツの旋律が響き渡っている。
「さあ、行こうか。僕の美しき裁縫士」
エスコート役のノエルが、完璧な笑みを浮かべてレヴェリアの手を取った。
レヴェリアは、プレ・デビュタントの際のドレスをノエルと共に完璧にリメイクした、月光のような薄紫色のドレスに身を包んでいる。
本来、筆頭公爵家の嫡子が、名誉男爵家の令嬢を伴うことなど、身分違いも甚だしい。
だが、卓越した才の持ち主を家門が後見し、その庇護のもとで才能を披露させることは、由緒ある貴族の誉れある慣わしでもあった。
ノエルがレヴェリアを伴うのは、あくまで「才ある者への庇護」──表向きは、そういう体である。
「エスコートしてくださりありがとう、ノエル様。……けど、良かったの?エレイン様じゃなくて」
「言ったでしょ?僕は彼女が一番幸せな顔をしてくれれば、それで良いんだ」
(……それに。僕は君のパタンナーとして、やるべき勤めがあるからね)
ノエルは心の内でそう呟くと、ふっとその美しい瞳を細めた。
そう、忘れがちだがレヴェリアは絶世の美少女である。
たとえヒロイン補正がなくてもその圧倒的な美貌と洗練されたドレス姿は健在であり、彼女が入場するなり、会場ではまるでシンデレラが降臨したかのようなざわめきと感嘆の吐息が漏れていた。
ダンスの申し込みをと、何人もの貴公子たちが目を光らせて近づこうとしたが――そのすべてを、筆頭公爵家の嫡男としての絶対的な威光と、背筋が凍るような冷たい微笑みでノエルが牽制したのだ。
(この僕から奪えるだけの格と度胸のある男じゃないと認めてやらないよ)
過保護すぎるヤンデレ親友の鉄壁のガードに守られているとは露知らず、レヴェリアは白亜の王城の見事な様子に感嘆の声を上げた。
「ノエル様、私王城に来るのは初めてだけど、こんなに美しい場所だったのね……!」
「ふふ、プレ・デビュタントの分も今日は存分に楽しもう」
駆け寄ってきたアイーダやリュカたちとも挨拶を交わし、レヴェリアの気分は最高に高揚していた。
そんな中ふと視線を上げると、フロアの中心では、星空を切り取ったような漆黒のドレスに身を包んだエレインが、ルシウス、ドミニクやロイといった錚々たる攻略対象たちに囲まれ、誰もが振り返るような完璧な笑みを咲かせていた。
それはまるで原作の『聖夏星誕祭』のスチルを連想させた。
しかし。
その夢のような光景を遠くから眺めながら、レヴェリアは不思議なほどに心が凪いでいるのを感じた。
焦りも、嫉妬も、スチルへの未練も、もう何もない。
ヒロインの座を奪われた悲劇の令嬢でもなく、ただの『私』として、今この瞬間を楽しめている。
「……どうかした?誰か、踊りたい相手でも見つけた?」
「ううん。ただ、私……今すごく幸せだなって、思ってただけ」
レヴェリアの晴れやかな笑顔に、ノエルは少しだけ驚いたように目を丸くした。
二人は月明かりのバルコニーでそうしたように手を取り合い、和やかな雰囲気でダンスホールに溶けていったのだった。
一曲を踊り終えた頃。
ふいに大広間の音楽が止み、代わりに荘厳なファンファーレが鳴り響いた。
『――今宵の主賓、帝国第三皇子、ディートリッヒ・ヴォルフ・ヴァン・ニルヴァス殿下のご入場!』
侍従長の朗々とした声が響き渡ると、フロアにいた貴族たちが一斉に道を空け、臣下の礼をとった。
どうやら今夜の最大の国賓が到着したらしい。
人垣のずっと後ろの方、壁際に退避していたレヴェリアからは、その姿はよく見えなかった。ただ、彼を迎え入れる国王やルシウス王子たちの様子から、いかにその皇子が大物であるかが窺い知れた。
(帝国の第三皇子……?スレッズでネタバレ踏んで知っちゃったエタラバの隠れキャラじゃない。ディートリッヒって言うのね、初めて見たわ。それにしてもこんなイベント、原作にあったかしら。やっぱり何もかもが原作と違う流れになっているのね)
レヴェリアは、この世界がますます原作から乖離したことを確信しながらぼんやりと立っていた。
「ごめん、裁縫士。僕もルヴィエール家の人間として、挨拶の列に加わらないといけない。……ああ、エレインもあそこにいるみたいだ。少しここで待っていてくれる?」
「ええ、もちろん。いってらっしゃい、ノエル様」
***
「アロイス様」
挨拶へ向かったノエルを見送り、壁際で果実水を手にしていたレヴェリアは、見知った顔を見つけて声をかけた。
「レヴェリア嬢。ご無沙汰しております。今夜は一段とお美しいですね」
「ありがとう。……情報屋は来てないの?」
「あ、今日は上司は……その」
彼女が小声で尋ねると、アロイスは言葉に詰まらせ貴賓の座るロイヤルバルコニーへと視線を泳がせた。
その様子に来ていないのだと解釈した彼女は小さく息を吐いて果実水を口に含んだ。
そして彼の視線の先をちらりと横目で見る。
そこには恐ろしく端正な顔立ちをした帝国の皇子の姿があった。
彼は次々と挨拶に訪れる高位貴族たちに対し、非の打ちどころのない優雅な所作で、感情を一切窺わせることなく儀礼的な言葉を返していた。
バルコニーの眼下では、扇で顔を隠しながらも熱を帯びた視線を送り、あわよくばのチャンスを狙って色めき立つ令嬢たちが群がっている。
その姿にヒロイン時代の自身を重ねた彼女はふっと軽い笑みを浮かべた。
「そっか、残念。……というか今日の主賓の帝国の第三皇子、とんでもない美男子ね。乙女ゲームの醍醐味、鬼スペックの『隠しキャラ』として完璧な存在だわ」
レヴェリアが屈託なくそう褒め称えると、アロイスは(隠しキャラ……?)と聞きなれない単語を胸のうちで反芻しながら、神妙な顔つきで咳払いをした。
目の前の少女が、自分の主君を絶賛しておきながら、その正体には1ミリも気づいていないという事実を前に、彼はどう反応していいか分からなかったのだ。
「……レヴェリア嬢。実は私、ニルヴァスの出身でして。差し支えなければ、ご紹介いたしましょうか?」
「え、誰を?」
「我が国の第三皇子ディートリッヒ殿下です」
「ええ?いやいやいや、なんで!?一介の男爵令嬢が恐れ多いわよ!遠慮します!!」
全力で首を横に振って拒否するレヴェリア。
アロイスが「しかしですね」と食い下がろうとしたその時。
レヴェリアはアロイスの背後にノエルを見つけ、パッと顔を輝かせた。
「ごめんなさい、大切な友人を待たせてるから!失礼しますね」
そしてそういうと一目散にパートナーの元へと帰っていったのだった。
「……Aクラスのアロイス殿じゃないか。裁縫士、君、彼と知り合いなの?」
戻ってきたレヴェリアに果実水を手渡しながら、ノエルは少しだけ目を細めてそう尋ねた。
「えっ、アロイス様ってAクラスだったの?うん、ちょっとね」
「へぇ……。帝国の公爵子息と知り合いだなんて、何繋がりだい?」
「えええっっ!?アロイス様って公爵子息だったの!?しかも帝国の!?」
レヴェリアは思い切り目を剥いた。
貴公子だとは思っていた。
ただ、情報屋の部下という認識しかなかった青年が、予想以上の超高位貴族だったのだ。
(やばい、早速超高位貴族と関わってしまったわ!なんてことなの…!まあけれどあのアロイス様が私なんかに惚れちゃうなんて展開はないだろうからセーフかしら!?周りに誤解されると怖いからこれからは距離を取って接しよう)
「……きみ、本当に何も知らないで話してたのかい。大丈夫?無駄に美しいんだから、自覚を持ってよね。これからは誰かと会うときは、必ず僕に報告して?」
小言を言いながらも、レヴェリアのドレスの乱れを甲斐甲斐しく直してやるノエル。
一見すると、なんとも仲睦まじい完璧な美男美女のやり取りだ。
――その様子を、一段高いロイヤルバルコニーから、美しき帝国の皇子が横目でじっと見下ろしていたことなど、レヴェリアが気付くはずもないのだった。
***
『おたく、随分とルヴィエール公子と親しくしていたそうじゃないか。攻略はやめたんじゃなかったのか』
通信が繋がるなり飛んできた情報屋の第一声は、どこか棘を含んでいた。
「ノエル様とはもうすっかり親友みたいなものだもの。攻略なんて考えてないわよ」
『ふーん、親友ねぇ……』
明らかに納得いかないといった様子の声。
レヴェリアは、これまで自認ヒロインとして情報屋を巻き込んで引き起こしてきた数々の行動の非常識を思い出し(そりゃあすぐには納得いかないわよね)などと思いつつ、密かに固めた『生存第一』の決意をここぞとばかりに燃え上がらせた。
「あのね、私って完璧な美少女ではあるけど、そもそも男爵令嬢な訳よ。だから自認ヒロインを辞めた今、公爵子息のノエル様と結ばれたいだなんて大それたこと、本当に、これっぽっちも思わないわ!」
『は?いや待て。なんだ、随分と極端な価値観の転換があったな?』
晶石から情報屋のどこか焦ったような声が響いた。
『ヒロインをやめたのはわかった。イベントやスチルを諦めたことも知っている。……だが、その価値観の変容はどうした。ルシウス王子への関心はどうなったんだ』
「全くもう、情報屋ったら何言ってるの!ルシウス殿下に近づこうだなんて身分不相応にも程があるわよっ!下手したら秩序崩壊のトリガーとして暗殺案件よこれ!ネット小説で読んだことあるんだから!」
『おいおいおい……。ヒロインを卒業した途端、急にガチガチの現実主義に走りすぎだろうが……っ!』
ゲームのシナリオに囚われていたヒロインから、爵位の限界と暗殺を案じる超現実主義なモブ令嬢へ。
あまりにも極端すぎる振り幅に、帝国の第三皇子は晶石の向こう側で頭を抱えたのだった。




