第26話:武闘派キャラの庇護欲を擽る悪役令嬢と卒業後の進路を考える彼女
夏休み二日目。
容赦ない夏の日差しが降り注ぐ王立貴族学園の裏庭に、木剣が激しくぶつかり合う鈍い音が響き渡っていた。
「おおおっ見事な防御だ、我が好敵手!俺の全力の唐竹割りを片手で受け止めるとは、今日もやるな!」
「フェリクス様こそ、この前よりさらに太刀筋が鋭くなってるわ!さあ、もう一本行くわよ!」
汗だくになって木剣を振るうレヴェリアとフェリクス。
彼女は10年間の修行でカンストさせた己のステータスを遺憾なく発揮し、屈強な騎士団長子息と一対一で打ち合い、更なる高みを目指して切磋琢磨していた。
(ああ、剣術ってなんて単純明快なのかしら!無心になれてとっても楽!案外私、こっちの道もありなのかな)
ヒロインを引退したレヴェリアは三文芝居を一切返上して、弾ける笑顔で剣を振り回していた。
攻略対象から自身の『好敵手』へと昇華したフェリクスとの鍛錬は、血湧き肉躍る刺激に満ちていた。
かつてか弱いヒロインとして却下していた騎士団入隊進路も意外とありかもしれないと頭に浮かべていると。
不意に、印象派の絵画から抜け出してきたかのような日傘を差した貴婦人、漆黒の髪を揺らしたエレインが現れたのだった。
「まあ……お暑いところご苦労様ですわね」
「エレイン!」
ぱっと顔を輝かせたフェリクスが大型犬のようにエレインの元へ向かう。
「休み中に学園に来るなんてめずらしいな」
「提出書類があってね。偶然お会いできてうれしいわ」
レヴェリアからしたら二日連続での遭遇である。
昨日情報屋が呟いた「というか本当に偶然なのかそれは」というセリフが頭に木霊した。
「しかし今日はひと際暑い。君のような繊細な令嬢が外を出歩く時間じゃないぞ。早く帰って休んだ方がいい」
「まあご心配ありがとう。そうね、今日は本当に暑い……きゃっ」
その瞬間だった。
エレインの体が、夏の強い日差しの下でふらりと揺れた。
太陽をはじきながら彼女の日傘が手から滑り落ち、彼女はまるで糸が切れた操り人形のように、力なくフェリクスの広い胸元へと倒れ込んだのだ。
「エレイン!?大丈夫か!?」
「ああ、ごめんなさい……。日差しが強くて眩暈が。フェリクスが居てくれて助かったわ……。あなたの腕の中、とても安心する。もう少しだけ、こうしていてもいいかしら?」
フェリクスの逞しい胸にすっぽりと収まり、熱に浮かされたような潤んだ瞳で彼を見つめ上げるエレイン。
それはまさに、夏の鉄板イベント――『暑さに倒れる夏の儚きヒロイン』の完璧な実写化であった。
「も、もちろん……!いや、すぐに涼しい日陰へ運ばないと!」
エレインからの殺し文句に完全に庇護欲を撃ち抜かれたフェリクスは、顔を真っ赤にしながら彼女を軽々と姫抱きすると、風通しの良い木陰へと駆け出していった。
「レヴェリア!すまないが今日の鍛錬はここまでにしてくれ!」
見事に武闘派の心を鷲掴みにし、完全に彼を独占して去っていくエレイン。
その後ろ姿を、レヴェリアは木剣を持ったまま、ただただ感心した目で見送っていた。
(その流れるような所作、正に神業……っ!完璧なタイミングでの『よろけ』から、密着と上目遣いの確定コンボ……!あそこまで計算し尽くされたヒロインムーブを見せつけられると、もういっそ清々しいわね!!)
ヒロインの座を降り、常識的な思考を取り戻しつつある今のレヴェリア。
だからこそ彼女は、エレインの鮮やかな立ち回りの恐ろしさと見事さを客観的に評価していた。
以前の彼女なら、ここぞとばかりに対抗して「私もクラクラするわ〜!!」と倒れ込む三文芝居を打っていただろう。しかし、今の彼女にはそんなことをする必要はなくなったのである。
ただ自身とは別のベクトルの卓越した猛者に対する密かな戦慄だけを覚えたのだった。
「まあいいわ。今日はこれくらいにして、図書室にでも寄って帰ろうかしら」
決してやってこないお姫様抱っこの気配。
しかし、無理な演技をやめて自然体で笑うレヴェリアの顔は、かつてヒロインの役割に縛られていた頃よりもずっと清々しく、夏空の下で生き生きと輝いていた。
***
夜のブランシェール男爵家。
レヴェリアは湯編みを済ませ、ネグリジェを着て天蓋付きのベッドに横になっていた。
横目で眺めるのは、淡く光るガラス玉のような晶石。
ふと、晶石の光が揺れた。
『……起きているか』
「こんばんは!情報屋」
レヴェリアはパッと身体を起こすと、晶石を両手のひらに乗せた。
「ねえ聞いて!今日はフェリクス様と学園で鍛錬していたんだけど、またもやエレインが現れたのよ!」
『二日連続か。これが偶然なら縁があるのは君とベルクロア公女だな』
レヴェリアは、昼間の裏庭での出来事――フェリクスとの鍛錬中に現れたエレインと、彼女の完璧すぎた『熱中症ヒロインムーブ』を、興奮気味に的確な分析を交えて報告した。
「本当に見事だったわ!フェリクス様が駆け寄るドンピシャのタイミングで日傘を手放して、倒れ込む角度、密着度合い、そして極めつけの『あなたの腕の中、とても安心する』っていう上目遣いの確定コンボ!フェリクス様の庇護欲と好感度を、たった数秒で完全に掻き攫っていったのよ!私ったら彼女の卓越したスキルに思わず戦慄しちゃったもの。もはや達人の領域と言っていいわ」
『……なるほど。相変わらず、恐ろしく計算し尽くされた手口だな。恋愛スキルカンストは伊達じゃないってわけだ』
晶石の向こうから、やれやれと呆れたような彼の吐息が漏れ聞こえてくる。
「それにしても」
レヴェリアは、昼間に木剣を握っていた己の手のひらをうれしそうに見つめた。
「フェリクス様と打ち合ってると剣術って本当に楽しいって思えるのよ。私、いっそのこと騎士団に入るのもありかなと思うのよね」
『なに?』
いつもは余裕とからかいを含んでいる彼の声から、スッと温度が消えた。
「え?なによ、変な声出して。卒業後のこと、少しずつ考え出してるところなんだから」
『……却下だ。やめておけ』
「え、いや。私、フェリクス様やヴェルナー様とも互角以上に打ち合えるのよ?自分で言うのもなんだけど相当な資質を持った武人なんだから」
『腕っ節の問題じゃない。騎士団なんてむさ苦しい男ばかりの集団だぞ。それに泥や血の匂いにまみれて、いつ本物の魔物や刃に引き裂かれるか分からない。……おたくみたいなのが行く場所じゃない』
「お、おたくみたいなのって……一応私、物理防御には絶対の自信が……」
『ステータスの話をしてるんじゃない』
ピシャリと遮った情報屋の声は、いつものからかいを含まない、妙に真剣で低いものだった。
『……とにかく、騎士団はやめろ。おたくが騎士団なんか入ったら、周囲が胃を痛めるだけだ。何より君の過保護な父親が卒倒するぞ』
晶石越しでもはっきりと伝わってくる、有無を言わさぬ強い響き。
予想外の強い反対に、レヴェリアは驚いてぱちぱちと瞬きをした。
「情報屋……。あなた、ひょっとして私のこと心配してくれてるの?」
『……ただの忠告だ。俺の貴重な話し相手に、むざむざ死地に行かれては困るからな』
少しの間を置いて返ってきた言葉は、いつものぶっきらぼうなトーンに戻っていたものの、どこか誤魔化すような響きが混ざっていた。
まだまだ始まったばかりの夏休みの夜。
窓の外には満天の星空が広がっている。
吹き込む夜風が頬を撫でる静寂の中、微かに届く彼の息遣いだけがすぐ耳元で重なっていた。




