第25話:知性派キャラの自尊心を満たす悪役令嬢と類まれな集中力を発揮する彼女
夏休み初日。
レヴェリアは王立図書館に来ていた。
邪魔にならないよう髪をまとめ、空調が効いている図書館のために長袖の作業しやすいドレスを身にまとっている。
「レヴェリア嬢、時間通りですね」
「こんにちは。ドミニク様」
そこへ現れたのは洗練された私服にピシッと身を包んだ知的な美男子ドミニク・ド ・アシュフォルトだ。
彼らは学会発表のためのレヴェリアの心理論文の準備と、別枠で執筆中の互いの論文の所感のやり取り、また客観的アドバイスのために待ち合わせていたのだ。
「あなたの『気付き』を元にしたこちらの仮説、とても興味深いですね。つまり相互利益を目的とした関係性より、見返りを求めない無償の感情投資の方が結果的に最も強固な信頼関係と魔法的共鳴を生む。そしてそれは相互関係のみでなくさらに第三者への信用効果まで波及すると」
「はい、こちらの執筆のために本日は社会心理学、進化生物学、行動経済学の参考文献を集めようと思います」
「良い文献が見つかると良いですね。私は学会発表の際の想定問答集を作成します。互いの作業がひと段落したら意見交換しましょうか」
レヴェリアはエレインのドレス修復の際に触れたノエルの『本物の愛』に心から感動していた。
そしてその際に得た気付きの原理を解き明かしたいと、『相互利益を前提としない利他的感情が、対象の魔力伝導率および心理的防壁に与える向上効果について』という新たな論文を書き始めたのである。
前回に引き続き、論文を執筆するにあたり博識で的確な意見をくれるドミニクは、レヴェリアの中で『エタラバの攻略対象者』から、思う存分知的好奇心をぶつけられる貴重な『共同研究者』へと昇華していた。
二人は各自黙々と作業に取り組み始めたのだった。
そして、しばらく時が経ったときだった。
「あら?ドミニク様では」
鈴のような声が図書館の静寂を破った。
ふわりと、高級な香水の匂いが漂ってくる。
振り返ると、そこには漆黒の髪を揺らす蠱惑的な美女、エレイン・ド ・ベルクロアの姿があった。
上質だが知的な印象の夏用ドレスに身を包んでいる。
「エレイン様。奇遇ですね、あなたも調べ物ですか?」
「ええ……。実は、この古代精霊語の解釈がどうしても分からなくて」
エレインは困り顔で分厚い本を胸に抱きしめると、ドミニクを見上げてウルウルと瞳を潤ませた。
「お恥ずかしいのですけれど……学園一聡明なドミニク様にしか、こんなこと聞けませんわ。少しだけ、私に教えていただけないかしら……?」
(す、すごい……!!『知性派キャラには教えを乞うて自尊心と庇護欲を満たせ』という乙女ゲームにおける完璧なお手本ムーブをなんてナチュラルに決めているというの……!)
レヴェリアは内心で『あざといボタン』を連打した。
先程までごく冷静に研究内容について意見を交わしていたはずのドミニクは、エレインの計算され尽くした『上目遣い&知的な庇護欲くすぐり』の前に、一瞬で顔を赤らめた。
「も、勿論です。あなたのお役に立てるなら何なりと……。レヴェリア嬢、すみませんが想定問答集は後ほど仕上げることにします」
ドミニクは先程まで熱く語っていた『利他的感情』の仮説など綺麗さっぱり忘れた様子で、エレインの隣に座って熱心に個人授業を始めてしまったのである。
それを特等席でまざまざと目にしたレヴェリアは、完璧な恋愛スキル(物理ならぬ心理の暴力)の前に、ただただ圧倒されるしかなかった。
***
その日の夜。
自室のベッドの上で、レヴェリアの膝に置かれた『宵語りの晶石』が淡い光を放った。
『―—お、繋がったか?』
晶石から響く、落ち着いた声。
レヴェリアは待ってましたとばかりに、石に向かって今日一日の出来事を捲し立てた。
「聞いてよ情報屋!今日は論文の執筆と学会の打ち合わせのためにドミニク様と図書館に行ったんだけど、なんとエレインと出くわしたのよ!」
『初日だってのに早速凄い引きだな。というか本当に偶然なのかそれは』
「いや~あのエレインの立ち回り、全くもって見事だったわ……!乙女ゲームのヒロインとして完璧なムーブ。恋愛スキルカンストの真骨頂を見たわよ」
『ふっ。もう見習うとは言わないんだな』
「ヒロインは引退しちゃったんだもの。今はただ友人と過ごす時間の方が楽しいわ」
『……そうか』
石の向こうで、情報屋が小さく息を吐く気配がした。
『で?ベルクロア公女の乱入で放置された元・自称ヒロイン殿は、残された作業をどうしたんだ?まさか悪役令嬢に圧倒されて泣きながら帰ったわけじゃないだろうな』
からかうような響きに、レヴェリアはふふん、と口角を上げた。
「誰が泣いて帰るもんですか。ドミニク様がエレインの個人授業に夢中になっている横で、一人で参考文献30冊を全部読み漁って、想定問答集まで完璧に一人で仕上げてやったわよ!」
『……は?30冊?いや待て、君はまさか、彼らがいちゃついてる真横でずっとカリカリペンを走らせてたのか?』
「ふふふ、むしろ二人の甘い会話をBGMにすることで、圧倒的な集中力(無心)を発揮してやったわよ。なんなら『インテリ男性がいかに計算された視覚的アピールに弱いか』っていう完璧な実証データとして、ちゃっかり論文の注釈に追加しておいたわ」
『ぐっ……ふふっ……ははははっ!』
堪えきれないといった様子の、情報屋の大きな笑い声が響いた。
『共同研究者を実証実験のモルモットにするとはやるな。アシュフォルト公子、後で自分の醜態が論文に載ってるのを見たら絶望するぞ』
「まぁそこは事実だから仕方がないわよね。……ふぅ、けれどこうして一日の終わりに今日の出来事を聞いて貰えると、なんだか凄くホッとするわ。厄介なハプニングも、あなたと話していると全部笑い話になっちゃうんだもの」
『そりゃどうも。俺にとっても、おたくの報告は最高の退屈凌ぎだからな』
情報屋の低く落ち着いた笑い声が、耳に心地いい。
やがて、ひとしきり笑い合った後、彼の声が少しだけ優しく、穏やかなトーンに変わった。
『……初日から飛ばしすぎだ。今日はもう寝ろ。また明日な』
「うん。おやすみなさい、情報屋」
プツン、と通信が切れ、晶石はただの美しいガラス玉に戻った。
(明日はフェリクス様と鍛錬する予定だったわね。……また何か面白い報告ができるといいな)
レヴェリアはガラス玉をそっとナイトテーブルに置くと、心地よい疲労感と共に、深い眠りへと落ちていった。




