第23話:ついに『レヴェリア』になった彼女
ついに待ちに待った『実践礼法試験』当日。
令嬢たちは色とりどりのドレスに身を包んで色めき立っていた。
そしてそれはレヴェリアも同様であった。
彼女はたっぷりのビジューで飾られた薄紫色のドレスに身を包んでどや顔を決めていた。
(完璧……!どうよ、この日のためにお父様が用意してくださったヒロインに似合う最高級ドレス!今日の主役は私よっ!!)
「おおおっ!!女神!今日は一際お美しいっす!眩しすぎて直視できねぇ!」
「ああ、レヴェリア様っなんと神々しいお姿!ぜひ今度我が家お抱えの絵師にそのお姿控えさせてくださいっ!!」
「ふん、まあ悪くないんじゃない?……別に褒めてないわよ」
「まるで月光花のようにお綺麗です……」
彼女は『星紡ぎの陣』のメンバーたちにも褒められて(今日こそ第二王子ルシウス(エタラバのメイン攻略対象)と顔見知りになって見せるっ!!)という、大胆なんだか控えめなんだかよく分からない熱意に火を付けるのだった。
そこへ――。
「裁縫士!!ちょっと来て!君の手が必要な緊急事態だ!!」
バンッ!と勢いよく控室の扉を開け放ち、ノエルが血相を変えて飛び込んできた。
「えっ!?ノエル様!?いったい何事――きゃああっ!」
「いいから来て!時間がないんだ!」
ノエルは有無を言わさずレヴェリアの腕を掴むと、猛ダッシュで彼女を廊下へと連れ出した。
「ちょっと!被服室に向かってるじゃないの!!一体全体今日まで何があるっていうのよ!?」
「つべこべ言わないの!始まるまでの時間で良いから付き合って!君以上の裁縫士がいる訳ないんだから!!」
(この腹黒天使、強引過ぎるのよーーー!!!)と内心で毒づきながらも、レヴェリアは被服室に連行されていった。
するとそこには。
無惨にも刃物のようなもので引き裂かれた美しいドレスが置かれていた。
エレインが今日着るはずだったものだという。
「えっ。エレイン様……こんな嫌がらせを?」
「エレインは美人でルシウス殿下に好かれているからね。こういうことは一度や二度じゃないよ」
まさかの事実に眉を顰めたのも束の間、レヴェリアはノエルがここに連れてきた意図を悟った。
「え、まさか今からこれを直すって言うの……!?いくら私でも、こんな酷い裂け方は……」
「お願いだ、レヴェリア。君の『スキル』を僕に貸してくれないか」
普段の天使のような笑顔は消え、真剣そのものの表情のノエル。
その瞳に気圧され、レヴェリアは渋々「……分かったわよ」と針と糸を手に取った。
シャッ、シャッ。
レヴェリアの人間離れした超高速の運針と、ノエルの的確なデザイン補正によって、ドレスは見る見るうちに修復されていく。
ちくちくと縫い進める中、ノエルはドレスの生地を撫でながら静かに口を開いた。
「……このドレスは僕にとって特別なドレスなんだ。エレインが僕に、『男でもドレスが好きで良い。ありのままのノエルで良いんだ』って教えてくれたときに、彼女が『素敵ね』って認めてくれたはじめてのドレスだから」
ノエルの瞳に浮かんでいたのは、嫉妬や独占欲ではない。ただひたすらに純粋な、見返りを求めない愛情。
ノエルのその言葉に、レヴェリアは思わず持っていた針を止めて顔を上げた。
「これを着て最高に美しく笑ってくれるなら、一緒に踊る相手が例え僕じゃなくても――ルシウス殿下でも、かまわない」
「ええっ……!?」
そして彼の発した決定的な台詞に、彼女は雷で打たれたような衝撃を受けたのだ。
(えっ……なんですって?今のが、本当にあのノエルの台詞なの!?一度ルートに入ったら最後、腹黒でヒロインの逃げ道を徹底的に防ぐヤンデレの!?しかもこの世界の彼は幼い頃にエレインにトラウマを克服された分、年数を積んで重くなっているはずなのに)
「……それは、本心?本当にノエル様はそれで満足なの!?」
「えっ?」
水を差すような問いかけ。
しかしレヴェリアは口に出さずにいられなかった。
「だって、あなたはずっとエレイン様の傍にいた幼馴染じゃない!なのに他の人に彼女を取られちゃっても良いだなんて……あなたらしくないわ!このドレスの恩を盾にすれば入場パートナーの座だって奪い取れるはずなのに。それでもあなたは本気で見返りなく、ただドレスを直しているというの!?」
攻略対象としてのノエルでなく、目の前にいる一人の人間として真っ直ぐに問いかけるレヴェリア。
無意識のうちに、レヴェリアの口から『Eternal Lovers』原作の彼と目の前の彼の乖離を否む言葉が飛び出していた。
なぜなら彼女は愛する乙女ゲームの世界を少しでも取り戻すために奔走している真っ最中だからだ。
しかし、ノエルはそんなレヴェリアの不躾な問いに気を悪くするどころか、困ったように眉を下げた。
「僕らしくない……?まぁ確かに昔の僕が聞いたら驚くかもね。けれど、さっきのは紛れもなく僕の本心だよ」
ノエルは彼女が見たことのない表情で笑った。
「僕はエレインが好きだよ。だけど彼女を『勝ち取りたい』わけじゃないんだ」
「勝ち取る、わけじゃ……?」
「うん。僕の恋が報われなくても構わない。ただ、彼女が一番幸せな顔で笑ってくれる未来が見たいだけ。……これは誰かに用意された筋書きじゃなくて、僕自身の『本当の気持ち』だからね」
ノエルの瞳に浮かんでいたのは、嫉妬や独占欲、ましてやゲームのフラグのような計算でない本物の感情だ。
その真っ直ぐな光を前にして、レヴェリアは自身の信じていた価値観が根底から揺らぐのを感じた。
そして、これまでの『攻略対象』たちとの様々な出来事が脳裏に過った。
ドミニクとの真剣な論文の実証実験。
完成したときに思わず交わした握手。
その時の、互いを尊敬する熱い眼差し。
フェリクスとエレインのストーカーを撃退した夜。
好敵手の顔で熱意をぶつけてくる彼と、コツンとぶつけあった拳。
自身の才能への恐れなど微塵も感じさせない相手への純粋な信頼。
これらは原作の『人を見下すドミニク』、『どこか影があるフェリクス』では決して成立しないイベントだ。
断片的に感じていた決定的な事実が、じわじわとレヴェリアの胸を侵食し、これまで彼女をベールのように覆っていた『乙女ゲーム』という絶対的な世界観にピシリとヒビが入った。
(ちょっと待って。私、とんでもない認識違いをしていたんじゃない)
レヴェリアはノエルの一人の人間としての本物の愛情を目にして、今、やっと気付いたのだ。
【目の前にいるのは、攻略対象なんかじゃない】
【ちゃんと彼らという人生を歩んだ、彼らという一人の生身の人間なんだ】と言うことに。
こんな当然なことに、完璧なヒロインになるために10年間血肉を注いで準備してきた彼女は、今やっと、驚くほど胸に沁みて気づいたのだ。
(私……私、なんて浅はかだったんだろう。この人たちの本当の心なんて見ようともせず、エタラバのシナリオのためにイベントだのスチルだの好感度だの……完全に乙女ゲームを通して彼らを見ていた)
「ノエル様……私、本当に本当に、どうしようもなく浅はかだった。あなたの恋心、美しいったらないわ」
レヴェリアはガクッと肩を落とした。
『ヒロイン』という役割を演じることに必死で、目の前にいる生身の人間を見ていなかった。
誰かの幸せを無償で願うノエルの姿は、に奔走していた自分の薄っぺらい自己顕示欲を、見事根底から打ち砕いたのだ。
(そして何故かしら、今ならよく分かる。前提が狂ってる時点で、原作のシナリオを『取り戻す』なんて、初めから無理だったと。……なんでこんなに盲目になっていたんだろう)
彼女はふとそんな疑問を抱いたが、その考えは面と向き合ったノエルの表情を前に、即座に意識の外へと飛んでいった。
「はぁぁ〜〜全くもう。自分が馬鹿過ぎて涙が出ちゃう。こんなんじゃ私、一生恋愛なんて出来っこないわ」
俯いて猛省するレヴェリア。
そんな彼女の様子に、ノエルはふっといつもの柔らかい笑みを戻した。
窓から吹き込んだ柔らかな風が頬を撫でる。
「何言ってるのさ、とんでもなく美しい顔をして。その気になれば君の思うままだよ。ーー僕が君だったらうんと凄い相手を狙うけどね?」
「それこそ帝国の皇子様とか」と、ノエルは茶目っ気たっぷりに肩を竦めてウインクをした。
「……さて、あともう少しで完成だ。でも、胸元のこの一番大きな裂け目を隠すためのビジューが足りないな」
「迷っている暇はないわ。私のドレスのビジューを使うわよ」
レヴェリアは一切の躊躇なく、義父が用意してくれた自分の最高級ドレスの胸元から、力任せに豪奢な宝石をむしり取った。
「えっ!?何してるんだい!!そんなことをしたら、君がデビュタントに出られないじゃないか!」
「いいの。私には今、スチルなんかより……もっと大切なものがあるって気づいたから」
レヴェリアの迷いのない表情に、ノエルは少しだけ驚いたように目を丸くして、やがて「……ありがとう」と心からの感謝を告げた。
***
二人の決死の修復作業により、ドレスは完璧な姿を取り戻し、無事にエレインの元へと届けられた。
大広間からは、華やかなオーケストラの演奏が聞こえてくる。プレ・デビュータントが開幕したようだ。
胸元の装飾がもげて無惨な姿になったドレスのまま、レヴェリアは少し離れたバルコニーで、夜風に当たりながらその音楽を聴いていた。
「裁縫士」
背後からノエルの声。
彼も結局、プレ・デビュタントに参加しなかった。
彼はエレインのドレスをただ直して、彼女は別の誰かとそのドレスを着て踊っている。
「おいで。せっかくだから、この僕が相手をしてあげる」
振り返ると、そこには優雅に手を差し出すノエルの姿があった。
「ノエル様……」
そっとレヴェリアの手を取り、恭しく礼をするノエル。
二人は遠くから聞こえるダンスパーティーの音楽に乗って、月明かりのバルコニーで二人きりでワルツを踊った。
ロマンチックなシチュエーションではあるが、そこに恋愛特有の甘い熱はない。その雰囲気はまるで、共に困難を乗り越えた長年の戦友の功績をたたえるような、そして互いの深い絆を確かにするような、穏やかで温かいものだった。
(これってスチル!?……じゃないわよね。こんなイベント、原作の『エタラバ』にはどこにもなかったもの。けれど……こんなに嬉しくって楽しいイベントも、今までなかった)
クルリとターンを決めるたび、夜風がプラチナブロンドの髪を揺らす。
思えば最初から、エタラバらしいことなんて全くなかった。Dクラスに残留して、攻略対象から『共同研究者』とか『好敵手』とか『裁縫士』とか呼ばれて、スチルのために予行練習をして。挙げ句の果てにはドミニク様と『軍事的威圧』の論文を完成させたり、フェリクス様とストーカーを物理で気絶させたり、そしてノエル様とドレスを直したり……。
(私はエタラバのシナリオために、この10年間必死に頑張ってきたけど……別の形にはなったけど、決して無駄じゃなかったのかもしれないわね)
「ねえ裁縫士。いつか君に一番似合うドレスを僕がデザインしてあげる。……約束だよ」
夏の夜風に吹かれながら、レヴェリアはそっと、その宝物のような想いを胸の奥に仕舞うのだった。




