第20話:ヒロイン、女神の影武者となる
ブランシェール男爵家の朝は、眩い朝日と、目も眩むような黄金の富の匂いと共に始まる。
天井に描かれたフレスコ画からシャンデリアの光が降り注ぐ広大なダイニングルーム。
数十人が座れるであろう長大なマホガニーのテーブルの端にちょこんと座るレヴェリアの目の前には、専属の超一流料理長と錬金術師が共同開発した『究極のヒロイン朝食セット』が並べられていた。
「おはよう、私の愛しいレヴィ。今日の肌の艶も、女神が嫉妬するほど完璧ですよ」
「おはようございます、お父様!ふふ、お父様が毎朝用意してくださるお食事のおかげですわ」
クロード・ブランシェール男爵。
40歳を少し過ぎた彼は、一糸乱れぬほど完璧に撫でつけられた艶やかな金髪のオールバックが似合う、極めて洗練された紳士である。壮年に足を踏み入れる年ごろの彼は、レヴェリアたちの若者には持ちえない成熟した大人の余裕と、色気を醸し出していた。
さらにスラっとした長身に、最高級のスーツを好きなく着こなすその姿は、社交界のご婦人たちが決して放っておけない圧倒的な美貌を誇っている。
「レヴィ、なんでも今度学会に呼ばれるとか」
「はい、友人と共同研究した論文を教授が評価してくださり、夏休みに心理学学会にお邪魔することになりました」
「素晴らしい、さすが私のレヴィは世界一賢いですね。そのご友人とはどんな人物なのです?」
「公爵令息のドミニク・ド ・アシュフォルト様です。クラスの枠を超えて親しくしてくださっているんですよ」
ぴたっ、とレイヴンの動きが止まる。
「公爵、子息……?」
「はい、とても聡明な方です。私の自慢の『共同研究者』です」
「『共同研究者』……?」
レイヴンの整った眉がピクリと動いた。
(共同研究者だと……!?否、こんな美しい娘を前にして、恋に落ちない男がいるものか……っ!ドミニク・ド ・アシュフォルト、現宰相殿のご令息だな。幼いころから際立って賢いと評判だったが……成程、それほどの男なら身分の差のディスアドバンテージを考慮しても完璧な娘を囲い込もうとするのも頷ける。だが、実際にそういう話を聞くと心配でたまらないな……。あとで調べさせるか)
全く必要のない心配を胸に秘めながらブランシェール男爵は今日も娘を見送るのだった。
***
「レヴェリア!ちょうどよかった、放課後ちょっと付き合ってほしいんだが」
「フェリクス様?今日は修練所での鍛錬があるのでは?」
「いや……非常事態だ。お前の手が必要なんだ」
本来は雲の上の身分のはずのフェリクスが突然Dクラスにやってくるのにも慣れてきた頃合い。
今日の彼の様子はいつもの鍛錬の誘いとは違っていた。
「了解です、では校舎裏で」
「おう、よろしく。リュカ、今日は俺修練所の鍛錬休むから」
「了解っすフェリクスさん。ヴェルナーさんにも伝えときますね」
「ありがとな、それじゃあまた」
相変わらず爽やかに去っていく兄貴分。
その姿を見送りながらレヴェリアとリュカは目を合わせた。
「非常事態……。女神の手が必要だなんて何事っすかね」
「ね、どうしたのかしら」
(フェリクス様の深刻な顔……。もしかしてプレ・デビュタントのパートナーに私を誘うための口実!?それとも本当に何か隠しイベントの発生!?どちらにせよスチルの匂いがするわ!)
レヴェリアの脳内では既にヒロインとしてのシミュレーションが全開で回り始めていた。
『プレ・デビュタント』は実践礼法試験という名称の通り、王宮の舞踏会に参加するための試験であり、「誰と組んでも、初対面の相手でも、完璧なマナーとステップで踊れるか」を審査するためのものだ。
つまり、事前にパートナーを決める必要はなく、仮に決めたとしてもシャッフルさせられてしまう。
ただ、仲の良い男女で共に入場することは暗黙の了解で良しとされており、『Eternal Lovers』ではその入場シーンもスチル発生タイミングなのであった。
(確か好感度の高い対象から誘われるのよね。ふ……私ったらついにフェリクスルートに足を踏み入れてしまったのかもしれないわ)
突如だらしない笑みを浮かべ、「ど、どうしたんすか!?」とリュカを心配させるレヴェリア。
そんな彼女の幸せな思考を遮るように、パタパタと小走りで駆け寄ってくる足音があった。
「レヴェリア様〜!こちら、見てくださいっ!星紡ぎの陣で着る衣装のデザイン、徹夜で考えてみたんですけど……!」
「まぁアイーダ様!凄いわ、こんな才能まであったの!?とっても素敵よ!優秀なパタンナーを知っているから、すぐに型紙を作ってもらいましょう!」
「あっ有難きお言葉ですわ……!レヴェリア様に一番お似合いになるデザインを一生懸命考えましたの!」
ポッと頬を染めたアイーダが広げた羊皮紙には、動きやすさと可憐さを両立した見事な戦闘装束のスケッチが描かれていた。
ただ一点、なぜかレヴェリアの衣装だけ最前線で敵の攻撃をすべて受け止める前提の、分厚い魔力装甲と防刃マント付きという、ヒロインらしからぬ重武装デザインになっていること以外は。
「おっ、さすがアイーダ嬢。女神の戦い方を完全に理解してるっすね!」
「もう、リュカ君ったら!私はただ可憐に応援するだけだと言っているのに!」
クラスメイトたちとそんな平和で少しズレたやり取りを交わしながら、レヴェリアは放課後の時間をいまかいまかと心待ちにしていた。
***
放課後。
人目のつかない校舎裏のベンチで、フェリクスは腕を組み、かつてないほど険しい表情でレヴェリアを待っていた。
「来てくれたか、レヴェリア」
「ええ。それで、非常事態とは……?」
レヴェリアは(さあさあさあ、私のことを誘いなさい!予定はがら空きですよっ!)という期待を込めた上目遣いで尋ねた。
しかし、フェリクスの口から出たのは、甘さの欠片もない物騒な言葉だった。
「エレインにストーカーが現れたんだ」
「え、ええっ?何!?ストーカー!?」
予想外の単語に、レヴェリアは素っ頓狂な声を上げた。
プレ・デビュタントの誘いでも甘いイベント発生でもない。
いつも通りの『エレイン案件』であった。
その事実にガーーーンとショックを受けながらも。
「いやいや、公爵令嬢にストーカーなんて。私じゃなくってもっと相応しい報告相手がいるんじゃないの!?学園の警備隊とかいつも一緒にいるルシウス殿下やドミニク様とか!」
「いや、大事にしたくないし、あいつらにも言えない。……エレインが、酷く怯えた様子で、俺にだけ助けを求めてきたんだ」
「え?」
「『フェリクス、私……最近誰かに見られているみたいで怖いの。でも、殿下たちに伝えたら大事になって、皆を不安にさせてしまうわ。……こんな弱音、一番強くて頼りになるあなたにしか言えない』ってな」
フェリクスはギュッと拳を握り締め、熱っぽい、しかしどこか夢見るような瞳で虚空を見つめた。
「あんなに気高く美しい女神のような彼女が、小鳥のように震えて俺の袖を縋るように掴んだんだ。……騎士として、俺が誰にも知られず裏で完璧に解決して、彼女の安らかな微笑みを守り抜かなければならない」
(完全に『騎士の庇護欲』をピンポイントで抉る完璧なセリフ回し!!あの転生悪役令嬢、攻略対象の属性に合わせて一番効く頼み方を使い分けているわね……!これが恋愛スキルカンストの能力だというの!?)
レヴェリアは内心でギリィッとハンカチを噛み締めた。
しかし、これは逆に言えば大チャンスである。エレインが他の男たちと逆ハーレムを満喫している間に、レヴェリアはフェリクスとの個別イベントを独占できるのだ。
「そこで俺が独自に調査をした結果……今夜、奴が学園の庭園で生徒会帰りのエレインを待ち伏せているという情報を掴んだ。だが、相手は正体不明。か弱い彼女を囮にするわけにはいかない」
フェリクスはそこで言葉を区切り、レヴェリアの目を真っ直ぐに見つめた。
「俺は茂みに潜み、奴を現行犯で捕らえる。だがそのためには、エレインのローブを羽織り、夜の庭園を歩いて奴をおびき寄せる『影武者』が必要なんだ。……危険な任務だが、お前の『実力』なら適任だと判断した。どうか頼めないか」
(これは来たんじゃない!?転生悪役令嬢の逆ハーレムの隙を突いた、王道ヒロインの『身代わり囮ミッション』!!)
レヴェリアの脳内で、イベント発生を知らせるファンファーレが高らかに鳴り響いた。




