9.娘の願い
「こらーーーー! 青藍! 出てこいや! おい!」
数日後。
能島の島内にある南部の平坦地海岸にて、夕焼け色に染め上げられた海に向かって義弘は吠えていた。
と言うのも、この数日の間に玉を連れて北畠親子に芸予諸島の島々を案内してまわっている最中にも、やはり顕長はちょこちょこと奇妙な不運に襲われ続けたのである。
その度に義弘は龍神を呼ぶのだが……。
いつもはすぐに応答していた青藍は、なぜか一度も声をかえしてこない。角のカケラも全くの無反応で、無言を貫いていた。
そうこうしているうちに、領域の拠点をひと通り巡り終わった事で北畠卿は、伊予国の豪族であり一応は義弘の主家である河野氏の元へ戻っていった。
そして二人を送り届けた後に能島にきた義弘は今、心おきなくぶちキレているのである。
浜辺でひとり怒鳴り散らしているその姿を、巡回中だったり見張り台で警戒している配下たちは目撃しても、大将のお仕事でストレスが溜まりまくっているようだと、同情の眼差しでそっとしておくのだった。
「いいかげんにしろよ! さっさと出てこないとまた封印してやるぞ!」
さすがにこの脅し文句が効いたのか、胸に下げている角のカケラがぼんやりと光り出すと、
『お前なんぞが、私を封印できるものか』
ようやく交戦的な声で青藍が反応したのであった。
「はっ! 舐めんな、鯛崎に木をブッ刺してやる!」
怒りのおさまらない義弘が、ふんぞりかえってさらに脅しをかけるのだが、
『……何の木を刺すというのだ』
「は? 何の……? まあ、そこらへんの木をだな」
『愚かな。知らぬ口を叩くな』
「うるせーよ!」
冷静に返されて地団駄を踏む。しかし、要件はそこではない。
「それよりも、お前だろうが!」
そう怒鳴ると、しばらく間を置いてから、
『……知らぬな』
と、ぼそぼそした声が返ってくる。
「はは、とぼけても無駄だ! 俺はさっき何の事か言ってなかったのに、お前はちゃんとそれを知っているようだな」
そう突っ込んでやると、またしばらくの間を置いてから返事がきたのであった。
『……何の話だ?』
「遅せぇよ!」
唾すら飛ばしながら、義弘はまくし立ててゆく。
「一体、どういうつもりで顕長にちょっかいを出す?」
『……知らぬな』
「んなわけないだろう! あのような事が人になど出来るか! お前しかいないだろう!」
『……本当に分からぬ』
「あのな——」
ふと、青藍が答えた最後の返事に引っかかりを覚えた。
(ん? 今、分からないと言ったな。どういう事だ? 確かに顕長への所業は、人が意図して出来るものではなかった。しかし……)
とりあえず自身も冷静になろうと、義弘は大きく息をすう。胸いっぱいに潮の空気を入れると、ゆっくりと吐きながら頭を冷やしたのであった。
そして、胸に下がる角のカケラをいじいじしながら、改めて青藍へ問いかけてみる。
「お前は本当に、顕長へ何もしていないのか?」
『……してはいないと思う。なぜならば、私はそもそも人へ干渉などしない存在のようだからな。反対に人へ何かしてやりたくとも、そのやり方も分からない。ただ——』
「ただ?」
『最近、イライラはしている』
「はあ?」
全然話しが読めなくて、義弘はその場にどかりと腰をおろした。
「イライラねぇ……。お前は何をそんなに怒っているんだ?」
『……さあ』
「何で自分の事なのに分からねぇんだよ。……あっ、まさか、また人がお前に悪さでもしているのか?」
そうギョッとすると、していないと返されてホッとする。
う〜むと腕を組んで何となく空を見上げると、いつの間にか茜色が島の影の方へ追いやられており、薄く藍色が滲むように広がり始めていた。
しばらく互いに無言になってしまっていると、青藍の方から小さな声が聞こえてきたのであった。
『……玉が』
「ん?」
『玉が、長く私を呼ばないと……イライラする気がする』
「は?」
『玉の隣に……雄がいると……イライラする気がする』
「なんだそれ? ってか雄とか言うな、男と言え——ん? あれ?」
破天荒な義弘といえど、曲がりなりにも彼は一大勢力の頭領である。
ここまで言われれば、さすがに気づく事はあった。
「って言うとなにか? お前は……玉が好きなのか?」
『玉は好きだ』
深い意味を含まない感じで返ってきた言葉に、互いの姿が見えていないのは分かっていても思わず片手を振ってしまう。
「そうではない。えっと、お前は玉に惚れているのか?」
『……なんだそれは?』
内心で舌打ちすると、義弘は少し考えて質問を変えてみる。
「玉の隣に男がいるとイライラするんだろ? って事はお前は顕長にヤキモチをやいたって事だよな?」
『……なんだそれは?』
今度は内心ではなく盛大に舌打ちすると、髪をわしわしとかきながら頭を抱えてしまう。
(そういえばこいつは龍神だから、こういう人の心みたいなもんを知らないのか……? これまでに人と関わりを持ったのは俺が初めてだ、つってたからなぁ)
大きくため息をつくと、
「えっとだな、それは——」
その感情を説明しようとしたが、ふいに義弘の頭の中でざわりと何かが予感して言葉を途切れさせてしまった。
『それは……何なの……だ?』
妙に緊張を帯びているような声で、青藍が恐る恐る先をうながしてきた。
「ん? あ、えっとぉ〜……」
このまま続けていいものなのかどうか、義弘がまごついていた時だった。
急に青藍の気配のようなものがハッとしたように揺れると、バチンと胸にある角のカケラから静電気を放ったような衝撃がきたのだ。
「痛てっ! なんだ?」
慌てて義弘が胸元を見てみると、角のカケラは光を無くしており、通信が終わったいつもの状態に戻っていた。
すると、その直後に後ろから声がかけられたのである。
「父上」
座ったまま顔だけをそちらに向けてみると、そこに玉が歩いてきたのが見えたのであった。
(あいつまさか、玉に驚いて反射的に逃げたのか?)
そんな事を思っていると、近くまできた玉はゆっくりと隣に腰掛けてくる。
「なんだ、お前まで能島に来たのか?」
「うん、与一さんがここにくるって言ったから舟に乗せてもらったの。父上、青藍と話をしていたの?」
「うん? ああ。でも終わったから……お前も喋るのか?」
そう言って角のカケラを結んでいる紐を、首から外そうとしたのだが、
「あ、待って。少し……父上にお話があるの」
と玉は慌てて両手を振ってきた。
「俺に?」
珍しいことだと思った。
娘が幼い頃は、こっちが話しかけなくとも他愛もない話をあーだこーだと喋りたおしてきたものだが、自身の仕事の忙しさも相まって、二人でゆっくり話をする機会もなかった事にも、気がついたのだった。
「ふむ、何だ?」
あぐらをかいていた片方の足の膝を立て、そこに腕を置きながら義弘は尋ねる。しかし玉は、山にした両膝を抱えて海の方を向いたまま、黙ってしまっている。
(言いにくい話なのか?)
何となくそう察すると、しばらくは一緒になって同じ方向を望んだ。
心地よいリズムで打ち寄せては返す波は、まだ茜色が残っている。
それでも空にはもう、一番星が淡く瞬き始めていた。
長くその状態が続いてくると義弘はさすがにしびれをきらし、気持ちがそわそわしてきてしまう。
(もしかして、顕長の事か?)
そんな事を思ったので、もう先に口を開いているのであった。
「ああ、う〜んと……。北畠の若様の案内、ありがとな。若様、お前のこと褒めていたぞ〜。しっかりした人だ〜とかなんとか、いろいろと〜」
すると玉は、前を向いたまま尋ねてくる。
「うん。……あのね、父上は……もしかして、私を若様へ嫁がせたいと思っているの?」
ぎくりとしたが、とりあえずは平静を装いながら義弘は慎重に答えている。
「ま、まあ、嫁に行くとかそう言うのは考えていなかったが……。あいつ、なかなかいい男だったから〜もしかしたら玉が気にいるかな〜とは、思ったかな」
「そうなんだね。確かに、若様はとても素敵だったからどこへ行っても島中の女の子たちが喜んでいたわ。お竹だってもう、すごい夢中になってしまって若様から離れなかったのよ」
そんな妹の可愛らしい姿を思い出してくすくすと笑う玉ではあったが、なぜお竹の方がと、義弘はがくりとしている。
「玉は〜若様を気には……入らなかったかな〜?」
めげずにもはや単刀直入に聞いてみると、その顔から笑顔が消えてしまったので内心でやっちまったと思う。
そこからまた、玉が考え込むように黙ってしまったので、今度はもう義弘もじっと待つよりほかなくなったのであった。
やがて茜色が遠く島の山際にだけ残り、空では月が目立ち始めた頃。
ようやく呟くようにして玉が口を開いたのであった。
「父上、お願いがあるの」
「……何だ?」
声の感じからして嫌な予感しかなかったが、義弘は静かに次の言葉を待つ。
「私、これからもちゃんと家の手伝いをするわ。漁の仕事だって、針仕事でも何でもする。だから——」
ひと呼吸をおいて顔を横へ向けると、玉はちゃんと父の目を見て自分の気持ちを伝えるのであった。
「私をどこにもお嫁に出さないでほしい……」
義弘は息をのんだ。
その様子に構わず、今まで伝える勇気を出せずに沈黙していた分、堰を切ったように玉は話しだした。
「それから、いつか能島に青藍の為の小さい社を建てたいの。そしてそこを守りながら、私は一生を過ごしていきたい」
「…………」
「それにね、頑張って徳を積んでいたら……もしかしたら私も……龍になれるかもしれないと思うの。でも……なれなくても、私は死ぬまで、青藍のそばにいたいから」
真剣な眼差しを受け、その言葉が胸に冷たく染み渡るように感じたのだが、義弘はさほど驚かなかった。
なぜならば、ずっと前から……もしかしたら、娘が龍神と邂逅したその日からなのかもしれない。
いつか、このように言われるのではないかと、絶えず予感がしていたからだ。
だからこそ、青藍から玉を離したかった。
それでも、娘の嬉しそうな笑顔には、どうしても勝てなかったのだった。
義弘は、言葉を返せなかった。
ふいに視線を逸らすと、次には義弘の方が海を見つめたまま黙りこくってしまったのである。
そんな父の横顔を、玉は静かに見ていた。
正直、怒られるものだと思っていた。すぐさま反対されるものであるとも。
反対の立場であったら、自分はそうしていたに違いないとも思っていた。
でも、何も言われなかった。
その表情には、怒りも悲しみも失望も浮かんでいない。
ただ、それを意外だとは思ったが……、良しとも言われなかったのだった。
玉はもう十五であるがゆえに、この願いの重さもよく分かっている。
小さく息をつくと、
「先に戻るね」
そう言って立ち上がると、後ろを向いて山道の方へ歩き出したのだった。
義弘はそれに答えることもなく動かなかった。
片膝を立てて腕を置いたまま、ぼんやりと海を眺めて座ったままでいた。
するとふいに、背中になにか飛びついてきた衝撃を感じた。
それでも、振り向かないで穏やかに寄せる波間を見つめていると、背中の着物が握られる感触がしてわずかに湿ってくる。
「……ごめんなさい」
玉の震える声が聞こえてきた。
「……ごめんなさい……親不孝で……」
ここで義弘は、眉を寄せた。
だがやはり、振り向きはしなかった。
仄暗くなった海から目を離さないでその言葉に対して、
「……よせ」
それだけしか、言えなかったのであった。




