12.父の悩み
顕長が父からデコピンを受けた同日。
能島にある居館の書斎で義弘も、書類の束を横に文机に頬杖をついてぼんやりと縁側の向こうを眺めていた。
(もしかしてこの変な雨も、青藍の影響だったりしないよな……)
そんな事を考えている時だった。
遠くからバタバタと騒がしい足音が聞こえてきたと思ったら、廊下から勢いよく玉が部屋へ乱入してきたのである。
「うお! どうした? 部屋に入る時はひと声かけてから——」
注意を促そうとした義弘の言葉を遮って、玉は慌てた様子で迫ってきた。
「大変なの! どうしよう! 青藍が!」
その名にどきりとしたが、
「落ち着けって、あいつがどうしたよ? さっき角のカケラを渡しただろう、話をしていたのではないのか?」
義弘は冷静に問いかけてみる。
勢いよく首を横に振った玉は、ひどく混乱した声で訴えた。
「できないの! ずっと呼びかけているのだけれども、青藍の声が返ってこないの! 角も光らないし……こんなの初めてよ……」
手の中にあるそのカケラを見つめて、今度は目に涙を溜めてきている。
「どうしたのかしら? 青藍に何かあったの? ひどい目にあったりしていないかしら? あぁ……」
崩れ落ちるようにしてしゃがみ込んで膝を抱えてしまったので、義弘は慌てて立ち上がり歩いてゆき、丸まっているその背を撫でてやる。
すると、あっと小さく声を上げた玉が顔をあげて目を合わせてくる。
「もしかして……私に青藍とお話する力が無くなってしまったの? そんな! どうしよう! 青藍に会えなくなっちゃったの⁉︎……うぅ——」
動揺と不安のあまり、ついに玉は幼子のように大きな声で泣き出してしまったのだ。
「うおお! 玉よ、落ち着きなさい。そんな事は——」
こちらもおろおろと狼狽えていると、ふと視線を感じた義弘が顔をあげて廊下の方を見る。
すると、入り口の壁から妻とお竹が顔だけを覗かせてじと〜っとした目で見つめてきては、ヒソヒソとしているのを発見した。
「ち、違うぞ! 俺じゃないぞ! 俺は何もしていないからな!」
大げさな程に両手を振って弁明してから、義弘は立ち上がってわたわたと縁側まで走る。そのまま少し庭先に出ると、落ちてくる雨の向こうにある曇り空を見回してみた。ついでに海の方へも、ぐるりと視線を向けてみる
そしてまた丸まって泣いている玉の所へ戻ったのだった。
「玉よ、そう言えばここんとこ青藍の姿を見かけていないし、俺も声を聞いていなかった。もしかしたら……その……なんだ、どっか出かけているんじゃないかな〜」
そんな適当な事を言いながら玉の手から角のカケラを持つと、それをぺしぺし叩いている。
「青藍! おい、青藍ってばよぉ!」
試しに義弘が何度か呼びかけてみた時だった。
角のカケラがポッと淡く光り出したのだ。
そして、
『……たま……玉……』
ようやく反応が返ってきたのである。
「あっ! 玉! ほら、青藍が反応しているぞ!」
「……ふぇ⁉︎」
勢いよく顔を上げて涙で頬を濡らしているその目を大きく開くと、玉も角のカケラをみた。
『すまない、少し出掛けていて——』
義弘の耳にその言葉が最後まで届く前に、手のひらに飛びついてきた玉が角のカケラを取るなり部屋を飛び出していった。
「青藍! よかった! とっても心配で不安だったのよ——」
安心したかのような声が遠ざかってゆくと、豊とお竹の顔もひょいと壁の向こうに消えていったので、義弘もまた心底安堵したのであった。
「ほんとに出掛けていたんだな……」
これまでに、青藍が海から出てもその辺りの空を漂っているものを見るくらいで、芸予諸島を出てまで散歩に行くといった事は初めてだとも思う。
「龍のすることは分からんなぁ〜」
そのように独りごちていると、周りでさらさらと聞こえていた音が止んでいる事に気がついた。
「お?」
振り向いてみると、外ではいつの間にか雨が上がっていたのであった。
「嘘だろ……」
信じられない思いで縁側から草履をつっかけて庭先へ降り、空を仰いでみた。
まだ灰色の雲が広がってはいるのだが、その隙間から少しずつ陽の光がこぼれ出して地上を照らし始めているのが見える。
「青藍が戻ったからか? それとも、あいつが玉と話をしたからか? ……あ〜」
苛立つように頭をがしがしと掻いてから歩き出すと、義弘は玄関先にいた使用人に声をかけると、気分転換に屋敷から外へ出て行った。
てっぺんからぶらぶらと山道を降りてゆき平坦な場所に出ると、作業をしている配下たちが挨拶をしてくる。
片手をふって返しながらのんびり歩いてゆき、板橋を渡る途中に頬を撫でてきた潮風に心地よさを感じながら鯛崎島の上まで来た。
(ここに、棒がブッ刺さっていたんだよな……)
初めて青藍と出会った時の事を思い出している。
中央から少し海側へ外れたその辺りには、今は櫓を建てていた。
その梯子へ足をかけてのぼってゆくと、見張り台にいた二人ほどの配下が挨拶をしてきた。
「おう、ちょっと代わってくれや」
そう言われた配下たちは少し驚いた顔をしたのだが、おうと返事をしてすぐに入れ違いとなって梯子を降りていく。
一人になった義弘は、木の手すりに両肘を置いて体重を預けると、その先に広がる島々と穏やかな海を望んだのだった。
雨が降っていた影響なのか、いつもより少し高く立つ細波が白銀の光をちらちらと放っている。
頬杖までついてぼんやりと景色を眺めていると、先ほどの取り乱して大泣きしていた玉の姿が思い出されてきた。
(参ったな。あれはもう本気だ……かなり青藍を慕っている……)
盛大にため息をつくと、肘をついたまま頭を抱えてしまう。
(龍っつったって考えてみれば、全く得体の知れないやつだしなぁ。たとえ玉が龍になったとしても幸せになぞなれるんか? ……まったく分からん!)
子供の頃に青藍へ何となく龍の生態を聞いてみた事を思い出してみる。
『お前ってさ、いつからここにいんの?』
『さあ、知らぬ』
『なに食ってんの?』
『さあ、よく分からぬ』
『いつ生まれたんだ?』
『さあ、覚えていない』
『謎すぎんだろーがおい! そうだ、じゃあさ、お前がいちばん昔に覚えているここには誰がいたんだ?』
『……人がここに現れたのはそんなに古くはない。それに始めはもっと猿のような姿をしていた。もっと前となると……私のような大きさや姿をした生き物が多かったように思う』
『どう言うことだよ! さっぱり分からねぇ! ゲラゲラゲラ——』
大人になった今でも、やはり子供の頃は大爆笑しかできなかったあの会話からは、何も理解ができないのであった。
次に頭へ浮かんだのは、
『——それから、いつか能島に青藍の為の小さい社を建てたいの。そしてそこを守りながら、私は一生を過ごしていきたい』
海辺で聞いた玉のもう一つの願い。
(一生をこのちっさい島に閉じこもってひとりで生きていくなど……)
娘がよぼよぼのおばあちゃんになるまで小さな社の前にずっとひとりで座っている姿を想像して、義弘はなんだか切なくなってきた。
(普通に生きる方がよほど幸せではないのか? 普通の……幸せの……)
このように、悶々と考え込んでいる時だった。
「おい大将、こんな所にいたか」
後ろとなっている櫓の梯子から、与一がひょこりと顔をだしたのだった。
しかし義弘は、再び頬杖をつきながらも振り返らなかった。
「報告だが、大船は——って、どうした?」
見張り台に入ってもその後頭部は動かないので、不思議に思った与一が声をかけてみると依然、前を向いたままぼそぼそと声が返ってきたのだった。
「……幸せって、なんだっけか?」
「重症だな、おい」
こいつはヤバい事になっている、と与一は顔を引き攣らせると、梯子の横にある手すりに背を預けて後ろ手に両肘をつけると軽く身を乗り出した。
下に待機していた配下たちへ、この場を離れるように手を振って合図を送ってからひとまず仕事の話を後にして、この悩める友人の話を聞く体勢に入ったのだった。
「何だ、政か家か? どれの事だ?」
大勢の大将ともなれば、悩みなどいくらでも湧いて出てくるものであり、まずはそこを確認する。
そう聞かれた義弘はムスッと口を尖らせながらぼやいた。
「玉が一生、龍神に仕えたいっつーんだよな……」
「ふ〜ん。そりゃまあ、難儀なことだな」
手すりを背にしたままの与一からそう軽く返されて、義弘はぶつくさと口を開く。
「何でかなぁ。別に龍でなくたっていい男なんぞいくらでもいるんだが……。普通に人へ嫁いでくれれば安心なんだがな」
「確かに、その方が親は幸せだな」
「そうそう親が……なぬ?」
反射的に相槌を返そうとした義弘が、その言葉にはたとなると、ようやく振り向いている。
「どういう事だ?」
「今、自分で言っただろう。子が親の幸せだと思う生き方をすれば、親は安心だし楽だろうが」
目を合わせた与一がこともなげに言う言葉で、
『……ごめんなさい……親不孝で……』
玉がそう言った時が脳裏によぎり、義弘の胸がスッと冷えた。
「……てぇと何か? お前は、俺が俺の満足のために悩んでいるというのか?」
「まあ、そう言う事になるな」
返ってきた言葉に、義弘はしばし目を点にして固まってから——
「ふっざけんじゃねぇ! んなわけねぇだろうがよぉ! 俺が玉の幸せを願ってねぇとでも言うのかあぁ? はたくぞ!」
ぶち切れた。
対する与一も恐ろしく気が強く、
「やってみろやおい! 意図してなくとも結果的にそうなってんじゃねーかって話だろうがよ! 馬鹿じゃねぇのか?」
売られた喧嘩はもれなく買うので、二人は狭い見張り台の中で取っ組み合いとなっていった。
そしてひと通り小競り合った後には、互いに背を向けてそれぞれに手すりへ肘を置き、ふてくされているのである。
「あ〜くそ、普通でい〜のになぁ……」
義弘がまた海に向かってぼやいているので、与一もまた海に向かって呆れたように言ってやる。
「はっ、何を言ってんだか。『この海が誰を縛るっつってんだよ』なーんてガキの頃にほざいていたくせに。そもそも普通ってなんだよ、人の都合のいいもんが普通だとでも? らしくねぇ事ばっかり言うなや」
自由気ままに生きていた若かりし日を思い出しながら、義弘はう〜んと唸りつつ考えるのだが、
(それでも、玉が人ではないものになるよりは……。龍になっちまったら幸せもへったくれもないだろう……。ん? もしや、この考えが普通とかであって俺がそれに縛られてんのか? 普通……)
もはや頭がこんがらかってきて、何が何だか分からない怒りが込み上げてきたのだった。
「うおおおお! 俺の中に植え付けられた普通という概念を誰がぶっ壊してくれぇ!」
手すりをバシバシに叩きながら吠えている義弘に、
「お前はあれだけ自由に生きてきたのに、いつそんな事を植え付けられたんだよ」
鼻をふんとならした与一が、アホくさと呟いて梯子に足をかけた。
ところが、当初の目的を思い出して足を止めると、振り向きはしないものの忘れずに要件は伝えるのであった。
「ああ、そうだ。報告だ、北畠卿の船は予定通り明後日の遅くても昼には能島にくる。こちらの準備も全て終わっていて、北畠卿もここで船と落ち合うと言うから明日には連れてくる手はずとなった」
さすがに義弘も、仕事となると私情はいったん横に置いておく。
「そうか。……その明後日の船の守りには俺も出る」
与一が意外といった顔で振り向いた。
「なんだ、最近にしては珍しいな。大将が自ら出るのか? では当日の指揮は——」
「いや、指揮は予定通りお前だ。俺はそのへんをついて行く」
「ふーん。北畠親子の見送りか?」
「そんな面倒な事はしない。ただ、少し気掛かりがある」
「何がだ?」
ここまで言って義弘もまた振り向いた。
「どーせあの優いように見えて油断のならない男の事だ。ただの迎えではないだろうよ。それに、その船を黒旗が狙っているのではないかという話を聞いた」
「は? 何だと? 俺はそんな話を聞いてないぞ」
与一が眉をひそめたので、義弘まで同じ顔になっている。
「しかし、話を持ってきたのはお前んとこのやつだぞ」
「え? どいつよ」
「さあ、よく知らん顔だったな。新しく入れたやつだろう」
「だとしたらあいつか? くそ、なに勝手に大将のとこへ行ってんだよ。まずは俺に話すのが筋だろうが——」
苦々しい顔で舌打ちをする与一に、先ほどの怒りが再燃した義弘が、
「お前の耳が腐っていて聞き漏らしたんじゃねぇの?」
と軽く喧嘩を売ったので、
「何だとこら、テメェのイカれた頭よりはマシだろうがよ」
「ほう、やんのかチビ」
「おお?」
互いに顎を上げながらじりじりと近づいてゆき、止める者もいないが為に、激しい第二戦が始まってしまうのであった。




