11.企み
その日から、この地方にしては珍しいくらいの長雨が続いた。
ただ、降雨量としては多くはない。しとしとと、霧雨にも似たその滴が絶えず鈍色の空から降り注いでいる。
激しい雷雨に襲われる事もなければ、暴風がきた訳でもない、妙に涙を誘うような静けさすら感じてしまう、不思議なものであったのだった。
「なんかこう、くさくさするような雨だな〜」
「早く思い切り沖に出てぇな。身体が鈍るわ〜」
漁師たちとしても、さほど風や波がシケている状態ではなかったので、ある程度は海へ漁に出ては行っていた。
ところが雨だというのに意外にも漁獲量が少ないものなので、仕方なしに網や舟の修繕といったような陸の仕事の方に今は専念している。
「変な天気だなぁおい」
このように、島の人々がどうにも鬱々としてしまい、この愚痴をどこへぶつける事もできないで嘆いていた頃だった。
とある緑の深い山の奥に向かって雨に打たれながらも、笠を深く被って蓑を羽織っている男が走っていた。
ぬかるむ土に気をつけながら、左右に立つ木や地で露を弾く薮によって徐々に細くなっていく山道を進んでゆく。
やがてたどり着いた雑草に覆われている石段をのぼると、古びた小さい外門に飛び込んだ。
すると、急に横から槍の穂先が前を塞ぐように突き出てきたので、足を止めたのだった。
笠の男は蓑の中で手をもそもそ動かすと、腰にある組紐の飾りを外してその槍を突き出した男に見えるようにした。
その真っ黒な紐で円を編んだ飾りを認めた事で、目の前の穂先が下へおりたのだった。
笠の男が今度は歩いて進んでゆくと、屋根がだいぶ傾いていて、誰もが忘れてしまったかのように寂れている小さなお堂の入り口までくる。
そこにも見張りの男がひとりいたが、同じように組紐を認めると、ちょっとした木の階段を上がって入り口へ声をかけていた。
すると、中から応答があったようで、入って良いと言うように見張りの男が頷いて見せた為に、お堂の屋根の下で笠と蓑を外して男は入り口を開けたのであった。
中には五、六人ほどの男たちが円座で座っていたのだが、外の小雨が降る音が響いているほどに静かだった。
島の人たちにとっては鬱陶しい雨でも、今のこの密談の場では、声を消してくれる都合の良いものであるのかもしれない。
「お前か、来い」
入り口の最奥に座する大柄な男がそう言って片手で軽く手招きをしたので、入り口の戸を閉めた男はその足で円座の空いている場所にて座ると、真ん中には海図が広げられているのに気がついた。
「どうだ。何か見つける事はできたのか?」
円座にいる男に問われて、力なく首を横に振って見せている。
「いや……。なかなかに尻尾が掴めない。ただひとつ、小さいが確実な話というのがあった」
「ほう、それは?」
「その男は紫がかった着物で金鍔の太刀を佩いているとの事だ」
「ふむ……。今のところそのようなやつは見かけてもいないな」
「よもや、すでにあの海峡を渡ってしまっているのではあるまいな。まさかあの、落武者どもが取り逃した船だったり……」
流れてきたのを拾ってやったと言うのに、態度はでかいし威勢だけは良かったので、その落武者どもに商船を襲わせてみたのだが……。
まさかの村上の義弘ひとりに殲滅させられたという結果に終わったものであったのだった。
「違うな、北畠卿がやってきたのはその後だ。絶対にやつが絡んでいる。息子に海を見せに来たと触れ回っているのが白々しい。あやつが迎えにきたに違いない」
「そうだろうよ、どうやら近いうちにかなりの大船がくるそうだからな」
円座で言葉が飛び交っていると、最奥の男が突然に片手で持っていた細長い木の棒の先で反対の手のひらをペしりと打った音が響いた。
「わしらにとってはその頼まれ事など二の次だ」
その低い声から出た言葉に、一部の男たちが驚いたように顔をそちらへ向けている。
「要となるのはその大船が来ると言う事だ。おそらく、あの男を探しているあいつらはあの船を襲うと言うからな。そしてわしらの狙いは——」
ごつごつした顔にある小さく丸い、しかし獰猛そうな目を光らせて、黒旗と呼ばれる勢力の頭であるこの男は、棒の先端を海図へ向けると、
「ここだ。この機に乗じてこれを村上から奪う」
ひとつの島を示す場所をぺしぺしと叩いたのである。
そのような考えを持っていたとは知らなかった者たちが、感慨深げとなった。
「なるほど、あの頼まれ事のおかけでそちらへずいぶんと人が集まっている。ゆえに、我らにとっては大船の襲撃の方が囮となる……か」
「大船となると、村上のやつらもそちらにばかり目がいって、他が手薄となりますな」
「さすがは頭だ。私らではそこまで考えも及ばない」
口々に配下たちから称賛が飛び、黒旗の頭は気分を良くした。
「はは、ここがわしらのものに出来ればかなり大きい。そうだな、あの義弘めを海へ誘き出せれば楽に奪えそうなものだが……」
棒の先を肩に置いて唸っていると、円座から声がかかる。
「ならば、私の手の者をうまく使ってみようではないか」
その提案を聞いて頭はニマリと顔を歪ませると、再び棒の先で海図を指す。
そこには、島と島に囲まれている小さな滴にも似た形が、あるのであった。
ーー ーー
さらさらと振り続ける雨の音で目を覚ました北畠顕長はため息をついた。
すぐに褥から立ち上がって足早に部屋の縁側の方まで進むと、おもむろに引き戸を開いている。
「今日も雨か……」
力なく呟いていると、後ろで人の動く気配がしたので振り向いてみる。
すると、部屋の中ほどで寝ていた父も目を覚ましたようで上半身を起こしている最中であった。
「またですよ。しかも止む気配すらありません。伊予ではこんなにも雨が続くものなのですか?」
息子の嘆く声を聞きながら、北畠卿は両手で顔の筋肉をほぐしている。
「いいや、私も何度かこの地には来ているが……ここまでの雨は初めてだ」
「そうなのですか?」
眉を寄せた顕長は、そっと顔を廊下に出して人がいない事を確認して戸を閉めると、再び足早に戻って父の傍らに両膝をついている。
そして密やかな声となって不安を口にするのであった。
「父上、船は無事にくるのでしょうか? こられたとしても、ずいぶんとこの地で足どめをされてしまうのではありませんか?」
「まあ、そうなるかもしれないが……仕方のない事だ」
「だとしたら、危険もまた大きいのではありませんか?」
「そこはまた、ちゃんと考えている」
両手を真上にあげてう〜んと、のんびり伸びをしている北畠卿の様子に、顕長はもどかしげな気持ちとなってしまう。
「父上。もう義弘殿にだけでも、前もって話をした方が良いのでは?」
「ならぬ」
ふっと息を吐いて手を下ろした北畠卿が即答した。
「なぜですか? 私にはその方が安全だと思うのですが……。父上にとって義弘殿はそんなに信用がならないのですか?」
実は義弘と出会ってからというもの、顕長がそれとなく進言してきた事だった。
「まだ義弘殿とはお会いして日も浅いのですが、それでも私は、信頼のおける方だと思っております」
食い下がってくる息子に、そうではないと北畠卿は返している。
「私とて、義弘殿の事は信用している」
「でしたら、何ゆえに口外されるのを恐れるのですか?」
「そこではない」
「え?」
言われた事が分からず、目を瞬かせている顕長の前で立ち上がった北畠卿が目を合わせてくる。
「情報とは言葉だけではあるまい。口を開かずとも知られる事はある」
例えば、義弘へこの話をしたとして、気を配って護衛の数を増やしたりなどと、いつもと違う行動を取るとなると、そこから敵は何かしら察してしまうはずであった。
はっとなった顕長がその考えにようやく至り、口を閉ざしているのを見て、北畠卿はゆったりと板戸へ向かい、そのままサッと開いている。
縁側の先では、相変わらずけぶるような小雨が続いていたのだった。
そのとき後ろで、顕長がぽそりと言った。
「もし、後から義弘殿がこの事を知ったら……怒られません?」
それが聞こえて思わずハハっと声を上げた北畠卿は、くるりと振り向いて笑顔となった。
「ところで。義弘殿と言えばあの娘御たちは可愛かったなぁ〜。特にお竹殿になど、お前はずいぶんと懐かれているようだ」
「え? ああ……そうなのですね」
考え込んでいたところを、急にきた話題にキョトンとした顕長の前までいそいそと来てしゃがんだ北畠卿は、片手を口元に当てて声をひそめてきた。
「なあ、お前は本当にお竹殿を妻にするのか?」
「へ?」
今度は驚いた顔となった息子の肩を、父はにこにこしながらポンポン叩く。
「ほれ、昨日お竹殿に『大きくなったらお嫁さんになってもい〜い?』って聞かれていたではないか。そうしたらお前は『大きくなって、その気持ちが変わらなければね』などと、言っていたではないか。なぁ〜」
しかし、そう言われた顕長は不思議そうな顔となって首を傾げている。
「ああ、それは確かに言いましたけれど……。でも、お竹殿はあのような幼さです。私が帰ってしまえばすぐにそのような事、忘れてしまうでしょうから」
「そうなのか?」
「そ……うでは、ありませんか?」
「ふ〜ん……」
笑顔から一転してじっと至近距離で目を見つめてきた父に、冷や汗が出る思いで顕長が動揺していると……。
スッと北畠卿が片手をあげて、その若い額にデコピンをひとつお見舞いした。
「痛っ!」
そしてその悲鳴をよそに立ち上がると、
「お前もまだまだのようだな……。困ったものよ」
ため息をつきながら部屋を出て行ってしまったのである。
「え⁈ どう言う事なのでしょうか? 父上! あのっ父上!」
後に残された顕長は何が何だか分からず、目をぱちぱちさせた後に、慌ててその背中を追いかけていったのであった。




