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田舎の貧乏男爵の娘ですが、前世の知識でパンを焼いていただけなのに王都の騎士団長に溺愛されてます〜気づけば兵站改革で国が強くなってました〜  作者: はりねずみの肉球
第3章:レシピ公開という選択

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シーン1:士気と兵站を爆上げする、魔法の黄金糧食

石窯の中で赤々と燃える炎が、パチパチと心地よい音を立てている。

 むせ返るような熱気の中、小麦とバターの暴力的な香りが厨房全体を満たし、壁の石板にまで深く染み込んでいくようだ。


「よし、生地の温度完璧! 料理長さん、次の一批バッチを窯に入れるわよ!」

「おうさ、お嬢ちゃん! 俺の可愛い『酵母ちゃん』たちも、絶好調に息をしてやがるぜ!」


額の汗を豪快に拭いながら、丸太のような腕をした料理長が満面の笑みで答える。

 つい一週間前まで「水が多すぎる」「泥水だ」と喚いていた男は、今や私の一番の弟子として、赤ん坊を抱くような優しい手つきで高加水の生地を扱っている。

 彼が生地をこねるたびに、バンッ、バチィンッという小気味良い音が響き、弾力のあるグルテンが形成されていく。


「ピキュッ、ピキュイ!」


作業台の隅では、小麦粉で鼻先を真っ白にしたトゲマルが、後ろ足で立ち上がって応援のダンスを踊っている。

 第一騎士団総本部の厨房は、あの騒動以来、完全に私のベーカリーと化していた。


「焼き上がったわ! 冷めないうちに食堂へ運んで!」


私がピールを使って窯から黄金色のカンパーニュを引きずり出すと、待機していた若い調理兵たちが「おおぉっ!」と歓声を上げ、手際よく木箱に並べていく。

 表面には均等なクープ(切れ込み)が入り、見事な焼き色がついている。そして何より、このパンの真骨頂は『二度焼き』による極限の水分保持と長期保存性だ。


厨房の扉が開き、食堂へと続く廊下にパンの香りが流れ出す。

 その瞬間、外から地鳴りのような歓声が聞こえてきた。


「来たぞ! エリナ嬢ちゃんの黄金パンだ!」

「押すな押すな! 俺は昨日の夜からずっと、この匂いのせいで眠れなかったんだ!」


兵士たちの熱狂ぶりは、日に日にエスカレートしている。

 かつては重苦しい沈黙と、拷問のような咀嚼音しか聞こえなかった大食堂。今では、焼き立てのパンをかじり、熱いシチューと共に笑顔で語り合う男たちの活気で満ち溢れている。

 ただの『燃料』だった食事が、心を満たす『ご褒美』へと変わったのだ。


「エリナ先生、今日も最高のパンをありがとうございます! 俺、これのおかげで剣の素振りがいつもの倍できるようになりました!」


厨房の小窓から顔を出した若い兵士が、涙ぐみながら私に敬礼をする。


「大げさね。でも、ちゃんと噛んで食べるのよ。消化に悪いから」


私が笑って手を振り返すと、彼は「はいっ!」と元気よく返事をして、大事そうにパンを抱えて席へと戻っていった。

 その様子を見守っていると、背後からスッと冷たい風が吹き込んだ。

 いや、風ではない。この灼熱の厨房の空気を一瞬で冷ます、圧倒的なプレッシャー。


「ずいぶんと慕われているようだな、エリナ」


振り返ると、黒鋼の鎧に身を包んだレオンが、腕を組んで静かにこちらを見下ろしていた。

 相変わらず感情の読めない灰色の瞳だが、以前のような威圧感の裏に、わずかな柔らかさが混じっているのを私は知っている。


「レオン。今日もつまみ食いに来たの? 団長さんなら、ちゃんと食堂で並びなさいよね」

「つまみ食いではない。視察だ」


レオンは真顔でそう言い返すと、作業台の上に置かれていた焼き損じの小さなパンの欠片を、自然な動作で口に放り込んだ。

 サクッ、という軽快な音が響く。

 彼は満足そうに目を細め、一度飲み込んでから、手に持っていた羊皮紙の束を広げた。


「お前に報告がある。先ほど、東の国境付近の哨戒任務から、第三部隊が帰還した」

「あ……あの、私が作った『携帯用保存パン』を持っていった部隊ね」

「そうだ。その遠征結果の報告書がこれだ」


レオンは羊皮紙を指で弾き、私を真っ直ぐに見据えた。


「結論から言おう。お前のパンは、我が第一騎士団の兵站ロジスティクスを劇的に変異させた」


その声のトーンが、一段階低く、真剣なものに変わる。

 料理長や調理兵たちも手を止め、ゴクリと息を呑んで団長の言葉に耳を傾けた。


「まず重量だ。従来の石のように硬い標準パンに比べ、水分を閉じ込めたまま軽量化に成功したお前のパンは、食糧物資の総重量を約三十パーセント削減した」

「三十パーセント……それって、荷馬車の数を減らせるってこと?」

「そうだ。荷馬車が減れば、護衛の兵も減らせる。結果として、部隊の行軍速度が従来の1.5倍に跳ね上がった。敵の予測を上回る速度での進軍が可能になったということだ」


レオンの言葉に、厨房がどよめく。

 パン一つで、軍の機動力が上がった?

 私は自分の作ったものがそこまで影響を与えたという事実に、少しだけ眩暈を覚えた。


「さらに特筆すべきは、腐敗率の低下と、兵士たちのコンディションだ。二度焼きされたお前のパンは、高温多湿の野営地でも全くカビが生えなかった。そして……」


レオンはそこで言葉を区切り、一歩、私に近づいた。

 長身の彼に見下ろされると、灰色の瞳に吸い込まれそうになる。


「兵士たちは、馬の鞍に跨ったまま、水もなしにお前のパンを美味そうに咀嚼していたそうだ。行軍しながらカロリーを摂取し、しかもそれが士気を爆発的に高める。結果、今回の遠征での脱落者および傷病者は――ゼロだ」


ゼロ。

 その響きが、厨房の熱気の中に静かに落ちた。


「俺たちのパンが……兵士たちの命を、一人の無駄死にもなく繋ぎ止めたってのか……」


料理長が、震える両手で自分の顔を覆う。

 彼らが今までどれほど『兵士を倒れさせる不味い配給』に心を痛めてきたか、痛いほど伝わってくる。


「……よかった。私のパンが、少しは役に立ったのね」


私が安堵の息を吐くと、レオンはスッと手を伸ばし、私の頬にこびりついていた小麦粉を、親指の腹で優しく拭い取った。

 黒革の手袋越しに伝わる、不器用で熱い体温。


「少し、ではない。お前は戦争の常識を変えたのだ。この価値は、金貨何万枚積もうが測れない」


至近距離で囁かれる低音に、私の心臓がドクンと跳ねる。

 彼が私をただの『便利な道具』としてではなく、唯一無二の存在として独占しようとしているのが、痛いほど伝わってくる。


「だからこそ、だ」


レオンは私の頬から手を離すと、再び冷徹な騎士団長の顔に戻り、厨房の入り口へと視線を向けた。


「この圧倒的な戦果は、すぐに王都中に知れ渡る。美味くて、軽くて、腐らない魔法の糧食。……あの豚どもが、黙って見ているはずがない」


豚ども。

 その言葉が指し示すのは、既得権益にしがみつくパン職人ギルドと、彼らと癒着する一部の貴族たちだ。


私の作った『常識を覆すパン』は、軍を救う光であると同時に、古い社会構造を焼き尽くす危険な炎でもある。

 遠くで、重い鉄の扉が乱暴に叩かれる音がした。

 それは、私の平穏なパン作りが終わりを告げ、国家の陰謀という名の泥沼へ引きずり込まれる、不吉なノックの音だった。

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