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第25.5話 小さな大賢者は、部活動に巻き込まれる

 翌朝、寮の廊下はやけにざわついていた。

 昨日の研究部会での実演――火と水の“位相合わせ”が、思った以上の速さで学園中に広まっているらしい。エルが食堂へ向かうだけで、ひそひそ声が尾のように付いてくる。


「……あの子?」「昨日の」「十歳だってよ」「小さいのに」

「小さいは余計です」

 つい、ぼそっと口が滑った。すれ違った二人が「聞こえた!?」と跳ねる。ノワールが肩で震え、笑いを噛み殺した。


《主、珍しく素直だったな》

「朝から“可愛い”を五回は聞かされたら、誰だって反射的に返します」


 席に着くと、トレーの上に封蝋付きの小さな封筒が二通、ぽん、と置かれた。差出人は――演劇部、音楽部。中身はそれぞれ「魔法演出の相談」「共鳴理論を音響実験に」の招待状。エルが溜息を小さく一つ落とすと、向かいの椅子に、当然のようにフィオナが腰をおろした。


「やっぱり来たわね、勧誘!」

「見れば分かる」

「ねぇねぇ、どっちから行く? 私は劇場の方が好き。派手だし、拍手もらえるし、エルフィーナも絶対似合う!」

「私は派手なのは――」

「――似合う!」

 話がまったく通じない。けれど、その明るさに、少しだけ救われる気もする。


《主。“潜入任務”が“学園ミニ文化祭”に変質していく音が聞こえる》

「……放っておいて」


 結局、午前は演劇部、午後は音楽部をのぞくことになった。机の端には、運動系クラブからの“見学”の紙も増え続けていく。

(静かに暮らす、はいつになったら実現するのかしら)

 内心で自嘲しつつ、エルは立ち上がった。


 学院劇場の裏手は、朝から衣装と小道具で大混乱だった。火竜の頭部、紙で作られた城壁、金色の王冠。埃っぽい匂い、ぎらぎら光るスポット、幕間に走り回る部員たち。その中心で、部長の三年生が満面の笑みを浮かべて両手を広げる。


「来てくれたね、ノクターン嬢! いやぁ、君の“共鳴”を聞いてからというもの、ずっと待っていたんだよ。舞台に“本物の火”を――いや、もちろん安全な範囲で――お願いできないかな!」

「……安全の定義を先に決めましょう」

「すばらしい! プロフェッショナルだ!」

 褒められているのかどうか分からない。部長は台本をくるくる回し、舞台図面を広げる。


「第三幕、王女をさらう火竜。ここで“炎の吐息”が必要でね。いままでは紅い布を風でばさばさやっていたんだけど――不評で」

「それはそうでしょう」

「そこで君だ! 舞台の奥から、こう……ぶわっと」

《主、ぶわっと、らしいぞ》

「擬音で発注しないでほしいわ」


 安全距離、熱量の上限、観客席への熱の伝わり方――必要事項を一つずつ確認し、簡易の魔法式で空気の流れを制御する構造を描く。火を“見せて安全に”扱うには、火そのものより周囲の空気の道筋を決める方が重要だ。

 準備が整うと、エルは袖で小さく指を弾いた。


「《フレイム・ループ(低出力)》」


 舞台奥の暗闇で、輪状の炎がふっと灯る。音は最小限、熱は抑え、ただ“赤”の存在感だけを前に押し出す。それに合わせ、側方から風の薄い層流を流し、炎の向きを穏やかに誘導する。ちらちら、と観客席に“触れない程度の”温度変化が走り、空気が色を帯びたように感じられる。


「――っ!」

 舞台袖にいた役者たちから一斉に息が漏れた。部長は膝に両手をつき、目を剥いている。

「これだよ! これ! “恐いのに美しい”! 欲しかったのはこの矛盾なんだ!」

「欲しい形容矛盾が明確なのは良いことですね」


 試しの一回が終わると、今度はフィオナが勝手にマントをつけて飛び出した。

「悪の火竜よ! 王女を返しなさい!」

「予定にない台詞が入ってます」

「こういうのは勢いが大事!」

 宙から降りる吊り物のタイミングを読み、エルは風の層流にさりげなく“支え”を忍ばせる。フィオナの着地が、まるで本物のヒロインのように滑らかに決まった。


 練習が終わる頃、拍手が本当に起きた。演劇部員たちは口々に「本番に来て」「名前を掲示板に出す」と騒ぎ、エルは遠い目をした。


《主。舞台袖に“出演者リスト”って紙があった。お前の名前、勝手に“特別演出:E”って書かれてたぞ》

「……やめてほしい」


 午後の音楽室は、演劇部とは別種の混沌だった。譜面台の海、鍵盤、管楽器、そして音響用の魔導器が壁一面。音楽部の部長は、線の細い青年で、理屈で世界を測るタイプだと直感できる。


「噂は聞いた。音も波だ。ならば“位相”の問題は音響でも応用可能だろう?」

「理屈の上では」

「――実践だ」


 エルは許容量の大きい魔導器を選び、基準振動を作る。そこに小さく火の魔力で“わずかな熱のゆらぎ”を加え、空気の密度差を微細に起こす。

 次の瞬間、部屋がふっと広がったように感じた。音が“深く”なる。ひとつの和音に厚みが乗り、聴く者の胸の奥を直接押すような重心が生まれる。


「これが……共鳴の“下支え”……!」

 部長の声が震えた。奏者たちが次々に音を重ね、音楽室は一気に“音の海”へ変わる。

 ――問題は、熱。

 増幅しすぎれば、窓ガラスが本当に鳴き始める。エルは手の内で風の層流を作り、熱の逃げの道を細く通した。


《主、楽しそうだな》

「音は……嫌いじゃないわ」

《顔が緩んでる》

「緩んでない」


 しかし、調子に乗ったのは部長の方だった。

「次はホールで! 客席全体を“包む”音を!」

「ホールの窓は古い。割れます」

「補強する!」

「人間の鼓膜は補強できません」

「……合理的な反論だ」

 ようやく納得したらしい。音楽部もまた「また来てくれ」の大合唱で、エルは静かに退室した。


 夕方。運動場で「魔法球技部」が練習をしていた。球体に微小な魔力を付与し、各自の属性で軌道を操る。帝国では人気のスポーツだ。

 部長は筋骨隆々で、しかし笑顔がやたらと眩しい。


「おお、ノクターン嬢! 聞いたぞ、君は風の“切り返し”が上手いそうだな!」

「……誰情報ですか」

「演劇部から!」

 情報網が早すぎる。エルはため息をつき、球を一つ受け取った。


「私は加勢できないけど、補助は」

「おお頼む!」

 彼らの属性は水が主流。滑りの良い軌道を作るのは得意だが、切り返しや加速の鋭さは苦手だ。エルは球の縁に“風の細刃”を薄くまとわせ、回転の軸に“雷の微振動”を――。


《主、やりすぎるな》

「分かってる」


「いきます」

 軽く指を弾く。球はすっと走り、半歩先に“空気の溝”を感じ取るように曲がり、さらに加速して――ゴール網を軽く鳴らした。

 五秒。

 沈黙が訪れ、そのあと爆発した。


「速っ……!」

「いまの軌道、見えたか!?」

「いや見えない!」

「もう一回!」


 調子に乗ってはいけない。そう思っていた。

 だが、エルを取り囲む目が、純粋に嬉しそうで――つい、二回、三回と調整を重ねてしまう。直角に折れる球、スピンで相手の足もとをすくう球、ゴール手前でふんわり浮いてから刺す球――あ、これはさすがにやりすぎ。


「怪我人、出ます」

「あぶなっ!」

 慌てて“風の緩衝”を敷き、速度をぎりぎりで落とす。部長は顔を青くしながらも、親指を立てた。


「革命だ……!」

「革命に巻き込まないでください」


 グラウンドの端。ミナとサムがこっそり見学していたらしく、遠くから手を振っている。

「エル、すごーい!」

「小さいのに――」

「その台詞は却下です!」

 ミナの口が丸く止まり、サムが肩を震わせて笑った。


 日が傾く。学院の中庭のベンチで、エルとフィオナは紙コップの甘いミルクティーを飲んでいた。噴水の水音が、今日一日の賑わいを洗うようにやさしい。


「ねぇ、楽しかったでしょ?」

「……どうでしょう」

「楽しかったでしょ!」

「……少し」

 フィオナの笑顔は真っ直ぐで、嘘を許さない。エルは観念して認める。


「でも、私は任務でここにいる」

「知ってるよ。――ううん、知らないけど、なんとなく分かる。エルはただ“遊びたい”だけの人じゃないもの」

 紙コップがカタリと鳴る。フィオナは遠くを見た。

「だから……私、難しいことは分からないけど、エルが困った時は助けるよ。友達だから」


 胸のあたりが、少しだけ痛んだ。

 任務のために近づく――はずだった。

 けれど、ここまで真っ直ぐに差し出される“友情”を、完全に道具のように扱えるほど、エルは無感覚でもない。


《主。お前は“弱点”を作りたくないのだろう》

「……そうね。でも、無視はできない」

《やれやれ。面倒な道を選ぶ》

「いつもそう」


 寮に戻る帰り道、今日関わった部の子たちが入れ替わり立ち替わり声をかけてくる。

「演劇部、また来て!」「次の曲、エルがいないと成立しない!」「明日の練習、見ていって!」

 口々に叫び、走り去っていく足音は、やけに眩しい。


『人気者だな、主』

「違う。珍しいだけ」

『珍しさは、時に権力より強い。……気をつけろ』

「分かってる」


 寮の門の前、フィオナがふいに立ち止まった。

「ねぇ、明日――空きコマ、開いてる?」

「何の用?」

「研究部会で、“防御の応用”の続き。……それと、たぶん、誰かが見に来る」

「誰か?」

 フィオナは小さく舌を出した。

「内緒。驚かせた方が、反応が楽しいから」

「……あなたって、本当に厄介」

「でしょ? だから、飽きないよ?」


 別れ際、フィオナはいたずらっぽく片目をつむった。

 エルは小さく手を振り、門をくぐる。夕暮れの空は薄紫で、どこか甘い匂いがした。

 肩のノワールが、長く息を吐く。


『で、主。今日の評価は?』

「……悪くない。――この“遊び”が、道を開くなら」

『マクシミリアンへ、か』

「ええ。正面から行きたくない。けれど、正面に立たねば見えない景色もある」


 ノワールは黙った。代わりに、尾が一度だけ小さく揺れた。

 部屋へ戻る。机に手帳を広げ、今日の短い記録を書く。


――舞台演出:火は視覚、風は経路。熱は“触れない印象”で与える。

――音響:熱のゆらぎ+層流。鼓膜にやさしく、心臓に重み。

――球技:雷の微振動は“ルール破壊”。次回は禁止。

――フィオナ:距離は近いが、悪意はない。橋渡しとして有用。ただ、守ると決めた場合のコスト大。


 最後の行の末尾に、小さな印をつける。

(友達――か。私には、まだよく分からない)

 灯りを落とす。窓の外、遠くのグラウンドではまだ誰かが走っていた。

 静かな夜が、ようやく訪れる。


《主》

「なに?」

《明日も“手加減”を学べ》

「努力するわ」

《本当に?》

「……できるだけ」


 闇に目が慣れる頃、エルは小さく笑った。

 そして、明日の“明るい厄介事”に、ほんの少しだけ胸が弾むのを、認めた。

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