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第26話 小さな大賢者は、課外活動へ行く①

 翌朝の玄関ホールは、まるで小さな市場だった。

 遠足用の小型バッグ、折り畳みの杖ケース、携帯用魔力測定器――実用的なものから、やたら派手なおやつ袋まで。生徒たちの高揚が、床石の間から湧き出す泉みたいに空気を押し上げている。


「フィオナ、持ち込みは“必要最低限”って言われたでしょう」

「これは必要最低限のお菓子よ」

「十種類ある」

「味は最低限のバリエーションがいるじゃない!」


 教師の「没収するわよ」の声に、フィオナはしょんぼり肩を落とし、袋の半分をクラスメイトに押しつけた。瞬く間に分配は完了、食べ物はいつだって流通速度が速い。


《主。さっきのキャラメル、一個もらわなかったのか?》

「……甘いものは帰ってから」


 エルは旅行用の小さな鞄を肩にかけ、掲示板の集合時間を確認する。担当教員は実地魔法史のハルトマン先生。冷静沈着で、授業は端的、説明は明晰。少々融通が利かないが、課外授業の先生としてはむしろ心強い。


「ノクターン、点呼」

「はい」

「……レオニード、点呼」

「はーい! おやつ配布任務、完了!」

「任務ではない」


 点呼が終わると、二台の馬車が門の前で待っていた。学園の紋章が丁寧に刻まれた黒塗りの車体は、既に浮き足立った生徒たちのざわめきを映して鈍く光る。


(遺跡……帝国式の古い術式は“踏むだけ”で動くタイプがある。今日は観察のみ――のはず)


 そう自分に言い聞かせ、エルは馬車の階段を上がった。



 車内は想像通りの騒がしさだった。道が石畳から土道に変わるたび、歓声が小さく揺れる。

 向かいの座席では、ミナとサムが地図を広げて遺跡の位置を確認中。ミナはしきりに古文書用のルーペをのぞき、サムは「前回の先輩の記録、ここ!」と目印を指差す。仲がいい。


「エル、キャラメル食べる?」

「後で」

「じゃあ、クッキーは? これ、塩気が絶妙でね――」

「……ひとつだけ」


 差し出されたクッキーは、ほんのりバターの香りがした。かじると表面がさくりと崩れ、甘さは控えめ。思わずもう一枚、と手が動くところで、ノワールの尻尾が肩で揺れた。


《主。今日は“見学”だ。食べ歩きではない》

「分かっているわ」


「ねぇ、エル。遺跡って“罠”とかない?」

 フィオナが声を潜める。

「正確には罠じゃない。ただの“習慣的作動”。古い術式は、昔の使用者が“当たり前にしていた動き”を待ち続ける。たとえば、左から二歩目で立ち止まって礼をする、みたいな」

「礼?」

「古い祭儀はそういう手順が大事なの。今の私たちから見れば“妙なスイッチ”に見えるけど」

「へぇ……。じゃあ、間違った礼をしたら?」

「――動く」


 フィオナがわくわく顔になり、エルは(ややこしい子)と視線を逸らした。ミナとサムがそのやり取りに苦笑し、窓の外で野道が緩やかに丘へ変わっていく。



 遺跡は、想像以上に静かだった。

 低い丘陵の腹を抉るように口を開けた半円の石門。門の縁には古代文字が連なり、苔に覆われながらも、その溝は精確な線を保っている。正面には小さな広場、左右に崩落した柱。風が通るたび、石の匂いと草いきれが混ざった香りが頬を撫でた。


「本日は――観察のみ。繰り返す、観察のみだ」

 ハルトマン先生の声がよく通る。

「内部は第一層の前室まで。立入禁止の標は赤い符で示してある。勝手に踏み越えるな。質問はその都度。以上」


 生徒たちの返事は元気だ。フィオナは首を伸ばして石門の彫りを覗き込み、ミナは文字を写し取り、サムは柱の割れ目に指を入れて「硬い……」と当たり前のことを言う。


《主。門の縁に“節”がある。三十六箇所》

「見えてる。呼吸と歩幅で合致させる式ね」


 前室へ入ると、天井が思ったより高い。中央に祭壇のような台座、床には円環状の文様――薄く、蜘蛛の糸のように繊細な線が絡み合っている。

 ハルトマン先生がレーザーのような細い光を台座に走らせ、粉末状の可視化粉を軽く振りかけた。床の線がふっと浮かび上がる。


「見学は線の外側で」

「はーい」

 フィオナが返事をして、線までぴたりと歩み寄る。エルはその肩をつん、と引いた。

「近すぎ」

「だって、見たいんだもん」

「見学は目で、作動は手順で――」


 そのときだ。

 隣の班の生徒が、床に落ちた何かを拾い上げようと、線の内側へ一歩、すっと踏み込んだ。


「待ちなさい」

 先生の声が飛んだが、遅かった。


 床の線が、点灯した。

 淡い光が一斉に走り、円環が呼吸するように膨らむ。空気が薄く震え、耳鳴りのような高い音が広がった。緑がかった光の膜がぱっと張られ、前室は二分された。エルとフィオナ、ミナ、サムは内側。先生と大半の生徒は外側。視界は通るが、声はにじむ。


(……作動した)


 ハルトマン先生が素早く手元の符を叩く。外側からの術式解除を試みているが、膜はたわむだけで、その奥が閉じているのが見て取れた。


《主。これは“礼式の偏差結界”。外からは“入場の未達”扱いだ》

「つまり内側の“礼”で終わらせる式」

《ああ。ただし、礼の組み合わせが古い。三重だ》


「エル……?」

 フィオナが袖を引いた。

「大丈夫。――少しだけ、式に“息”を合わせる」


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