第21話 小さな大賢者は、研究会に招待される①
ゴーレム暴走事件から数日が経った。
帝国魔法学園の校舎には、まだその余韻が残っていた。事件の記憶は人々の心に強烈な印象を残し、そして――その中心にいたエルフィーナ・ノクターンの名前もまた、急速に広まっていった。
小柄で、幼さを残す容貌の少女。だが彼女は圧倒的な魔力制御で暴走したゴーレムを止め、被害を最小限に留めた。
廊下を歩けば、生徒たちのささやきが耳に届く。
「……あの子が、ノクターンさん?」
「ええ、あの事件の……信じられない。あんなに小さいのに」
「でも綺麗よね。瞳も髪も、ちょっと普通じゃない感じ」
エルは俯きながら歩いた。注目を浴びるのは望んでいない。静かに潜入し、情報を集めるはずが……皮肉にも“英雄扱い”が、彼女を浮き立たせてしまっていた。
(……本当にやりづらい。これでは隠密どころじゃないわ)
授業中も視線を感じる。ノートを取っていれば、隣の席の生徒がちらちら覗き込み、解答を写そうとする。
昼休み、学食でパンを齧っていれば、知らない上級生から「君と一緒に食べてもいいか?」と声をかけられる。
(断るのも疲れる……)
そんな日々の中。ある放課後、教室を出ようとした瞬間、低く響く声が背後からかかった。
「ノクターン君、少し時間はあるか?」
振り返れば、ルートヴィヒ教師――冷静沈着な実技担当の教師が立っていた。眼鏡の奥の瞳は相変わらず鋭く、観察するような光を宿している。
「……はい」
エルが答えると、彼はゆっくり近づき、机の上に手を置いた。
「君は、ただ優秀というだけではない。授業での回答も、理論を組み替え、新しい筋道を作り出す。あれは年若い生徒が思いつくものではない」
「……」
褒め言葉。しかし同時に試すような視線。エルは気を抜けなかった。
「だからこそ、提案がある」
「提案……ですか?」
「研究部会に参加してみないか」
研究部会――その言葉にエルは目を瞬かせた。
聞いたことがない活動。普通のクラブ活動とは違う響き。
「研究部会?」
「授業外に、選ばれた者だけが集まり、魔導理論を研究する会だ。将来、帝国の研究機関に進むための登竜門とされている。そこで実績を示せば、未来は大きく開けるだろう」
教師は懐から一通の封筒を取り出した。濃紺の厚紙に銀の封蝋。学園の紋章が誇らしげに押されている。
「これは……」
「招待状だ。君がここに相応しいと思う者は少ない。だが私は、その一人が君だと確信している」
差し出された封筒を、エルは両手で受け取った。指先に伝わる冷たい重み。
(……これは好機かもしれない。帝国の研究者に近づけるかもしれない、だが――危険も同じくらい大きい)
心臓が速く打ち始める。偽名ではなく、本来の名前を使って学園に潜入している。今のところ正体は露見していない。だが、深く関われば関わるほど危うい綱渡りになるのは間違いない。
「考えてみます」
そう答えるのが精一杯だった。
ルートヴィヒは意味深に笑った。
「……いい返事を期待しているよ」
教室を後にしたエルの手の中には、まだ重みを持った封筒が残っていた。
夕陽に照らされ、銀の封蝋が鈍く光る。
数日後の午後。
エルは、学園研究棟の一番奥にある部屋の前に立っていた。
廊下は静まり返っている。生徒たちの賑やかな声も届かない。扉の前には、淡い光の膜――魔法の結界が張られていた。近づくだけで、魔力の反応が肌に伝わってくる。
(これが研究部会の入り口……)
小さな胸に深呼吸を溜め込み、拳を握りしめた。
コン、コン。
「失礼します」
扉を押し開けると、軋む音と共に光が散った。
中に広がるのは、普通の部屋とは違う光景だった。
本棚には膨大な書物。床には幾重もの魔法陣。壁際には水晶球や測定器具、魔力を流し込むと反応する未知の装置が並ぶ。
空気は熱を帯び、わずかに焦げた匂いが漂っている。ここでは実験が繰り返されているのだろう。
「――やあ、君が噂のノクターンだね」
声が響いた。振り向くと、一人の少年が立ち上がる。
金髪に切れ長の瞳。涼やかな笑みを浮かべたその姿は、いかにも帝国貴族の子弟らしい。
「僕はレオン・ヴァルター。この研究部会のまとめ役だ。歓迎するよ」
「……ノクターン、エルフィーナです。よろしくお願いします」
礼を述べた瞬間、別の声が割り込んできた。
「エルちゃーん!」
椅子を蹴って立ち上がったのは、フィオナ・レオニードだった。
栗色の髪を揺らし、まっすぐ駆け寄ってくる。
「来てくれたのね! もう、待ってたんだから!」
「えっ……」
両手を取られる。ぐいぐい距離を詰められ、エルは思わず後ずさる。
「お菓子あるわよ! 一緒に食べながら魔法のお話ししましょう!」
「え、あの……」
困惑するエルに、レオンは苦笑を浮かべた。
「フィオナ、落ち着きたまえ。初対面からそんな調子では、彼女が困ってしまうよ」
「だって! この間助けてもらったんだもの! 仲良くならなきゃ失礼でしょ!」
室内の他のメンバーがくすくす笑う。
だがエルにとっては笑い事ではなかった。
(……やりづらい。これではまた目立ってしまう)
手を解こうとするが、フィオナはしっかり握ったまま放さない。
その瞬間、心の奥でノワールの声が響いた。
(向こうから近づいてきてくれるなんて、好都合じゃないか。マクシミリアンの情報を引き出すなら、あの娘からだろ?)
能天気な声音。
エルは小さくため息を吐いた。
(……まったく、アンナ以来よ。こんなに強引に来る子は)
けれど、ここで距離を取っては機会を失う。
フィオナの手を握り返し、エルは小さく微笑んだ。
「……よろしくね、フィオナさん」
「ほんと!? うれしい!」
フィオナの笑顔は、室内を一気に明るく染め上げた。




