第20話 小さな大賢者は、ぐいぐい来られる
ゴーレム暴走事件から、まだ数日。
学園の空気は、私にとっていよいよ歩きにくくなった。
廊下を歩けば知らない上級生に声をかけられ、食堂に行けば他クラスの生徒が席を空けてくれる。「あの時の」「君が」「すごかった」の三点セット。おまけに男子生徒からは、お茶や勉強会の誘いがちらほら――。
「ごめんなさい、今日は予定があるので」
やんわり断ると、彼らはたいてい笑って引く。帝国の礼儀作法は、断られた側の体面も守るよう出来ている。ありがたい。
でも、そういう誘いより、ずっと厄介なものがある。
フィオナ・レオニード。
彼女の天真爛漫な距離の詰め方は、ターゲット(=任務対象)という肩書きを一瞬で忘れさせる。真正面から、にこにこと、迷いなく踏み込んでくる。
私は少し――正直に言えば、だいぶ――引いてしまう。
《主》
影の底で、ノワールがため息をつく。
《あの子は洪水だ。堤防を高くするか、舟を出すか、早く決めろ》
「どちらも準備中」
《準備中は大抵、流される》
言い返せないのが悔しい。
ミナ・シュタールとサム・レーン――机の近い二人は、事件のあとも変わらず接してくれる。
ミナは相変わらず理知的に観察を続け、サムは相変わらず調子よくおしゃべりだ。
「それにしても、エル。お前、ほんとに小さいのにな」
「その前置きは不要って何度言えば」
「ごめん、口が滑った」
ミナが肩をすくめる。「でも“すごい”は事実よ」
「“小さい”抜きで言ってくれると、もっと嬉しいのだけど」
そんな取り留めのないやり取りを挟みつつ、私は今日も気配を薄くする努力を続ける。――が、努力と成果は必ずしも比例しない。
角を曲がった先から、金の髪が勢いよく揺れて飛び込んできた。
「エル!」
距離ゼロ。笑顔百点。
フィオナは躊躇なく私の手を握る。「今日の実技、ペア空いてる? ね、空いてるよね?」
「……まだ聞いてないけど」
「じゃあ決まり!」
決まってない。
ノワールが無言でため息を重ねた。《洪水だと言ったろう》
「知ってる」
◇
(――フィオナ視点)
気になる子がいる。
飛び級で帝国に留学してきた、エルフィーナ・ノクターン。
最初は噂で知った。十歳、王国から、成績上位。
でも実際に見たら、噂よりずっと――可愛い。可愛いのに、強い。
入学してすぐの授業で、先生の質問に短く答えて、黒板の難しい式を一息で解いちゃう。
実技だって、すべての動きがきれい。“きれい”って、力があるだけじゃ出せない。無駄がなくて、流れがある。見とれる。
そして――先日のゴーレム暴走。
あれは、正直に言えば怖かった。氷壁を粉砕された時、私、ほんの一瞬だけ足が止まった。
その一瞬に割り込むみたいに、熱が視界を横切った。
爆炎。
気づいたら、私の手は誰かに引かれていた。
エルフィーナ。
小さな身体からは想像がつかない速さで、あっという間にゴーレムを倒してしまった。
――友達になりたい、と思った。
だから、事件の後から、私はグイグイ近づいている。教室でも、廊下でも、休み時間でも。
でも、彼女はいつも少し距離をとる。嫌いじゃない、むしろ話してくれるけど、どこかでブレーキがかかる感じ。
(どうすれば、仲良くなれる?)
お菓子をあげてみようか。王都で人気だって聞いた蜂蜜クッキー。
それとも、お茶に誘う? 学園の中庭に小さなティースタンドが出来たって聞いた。
あるいは、魔法の話。私、水属性だから、火は未知で面白い。相性は悪いはずなのに、合わせられるのかな。……彼女なら、きっと合わせられる。
廊下の窓に映る自分の顔は、たぶん浮ついてる。
父の前では決して見せない顔。
――ここでは、見せてもいい、よね。
◇
(――エル視点)
ノワールが能天気な声で言う。
《向こうから来てくれるなんて、楽でいい。マクシミリアンの情報は、あの子を通すのが早い》
「“楽”ではない。物理的にも、心理的にも」
《楽しいの“楽”だ》
「なおさら違う」
グイグイ来る子は、アンナ以来だ。
あの町の、あの元気な子。
今回だって、もし目の前で誰かが怪我をするなら、私は迷わず動く。任務がどう、余計な注目がどう、そんなのは後から調整すればいい。
……問題は、フィオナが“いつも”近くにいることだ。
今のところ、マクシミリアンの情報を得る最短の道は、彼女からだ。
性格も環境も、“鍵穴”がきれいに見えている。
鍵は――私の“距離の詰め方”が握っている。
◇
放課後。
寮へ向かう石畳の道に、二つの影が並んだ。
「ねえ、エル。好きな食べ物は?」
「唐突」
「大事でしょ、友達になるなら」
「……甘いもの。とくに固いクッキーが好き。瓶に入ってるやつ」
「へえ! 蜂蜜のやつ?」
「そう。王国のほうが種類が多いけど、帝国のも悪くない」
「じゃあ、好きな魔法は?」
「火」
「それは知ってる! えっと、火の中でも?」
「速くて、短くて、狭いの」
「わかるような、わからないような……」
フィオナはけらけら笑う。
私は肩の力を少し抜く。
彼女は、政治の匂いがしない話題を選ぶのがうまい。いや、うまいというより、本当にそれが話したいのだろう。
父の話も帝国師団の噂も、彼女の口からは出てこない。こちらから聞けば出てくるのだろうけど――今は、まだ。
「エルは、毎日どれくらい練習するの?」
「一時間、正確にやる。長くはやらない」
「集中型なんだ。私、つい二時間とかやっちゃう」
「二時間は長い。甘いものが必要」
「だから最初に食べ物聞いたの、当たり!」
会話は軽い。
でも、軽い会話にも“手触り”はある。
彼女の歩幅、息の速さ、笑う前にほんの少しだけ目を伏せる癖。
そういうものを、私は手帳にメモするみたいに覚えてしまう。
《主》
「なに」
《心拍が、五つ前より半拍だけ速い》
「……測らないで」
《測るのが私の役目だ》
黒い鼻先が影のなかで揺れる気配がした。
寮の前で、フィオナがくるりと振り向く。
「ねえ、突然だけど、今度――火と水、合わせてみない?」
「危険」
「そうなんだけどさ、私、見たいんだ。エルの火と、私の水。ちゃんと“喧嘩しない”形を」
真っ直ぐ。迷いがない。
私は少しだけ考えて、頷いた。
「条件を決めるなら、いいよ。場所と出力と、停止の合図」
「やった! じゃあ先生に場所を借りて――」
嬉しそうに跳ねる金の髪。
私は横目で空を見上げる。夕暮れの青が、帝都の硬い輪郭を柔らかくしていた。
◇
部屋に戻り、手帳を開く。
――注目は避けられない。注目の“質”を選ぶ。
――友人枠の形成:情報を求めない会話→信頼の基礎。
――フィオナ接触:主導権は向こう。こちらは“枠”を作る(条件・場所・合図)。
――男子の誘い:礼儀的に断る。上級生は距離を取る。
――ミナ、サム:アンカー役。雑談の“逃げ場”。
最後に一行、黒で太く書く。
――ノワールのため息は無視する。
《無視するな》
「読んでたの」
《読むのが私の役目だ》
「測るのと読むの、どっちが役目?」
《両方だ。主の影は忙しい》
笑って、灯りを落とす。
窓の外、帝都の夜は相変わらず硬い。
けれど、硬いものほど、踏み方を覚えれば音が小さくなる。
《さて、小さな――》
「ここでは内緒」
《……了解》
フィオナ・レオニード。
ターゲットで、同級生で、たぶん友達候補。
私は目を閉じ、明日の言葉の順番と、火と水を“喧嘩させない”条件を、静かに並べ直した。
戦場ではない場所の、戦い方。ここが、私のいまの前線だ。




