鉄組壊滅作戦04
調査三日目。
ある日の早朝、虎之介の秘書から総介宛てに、『本日の午後、大徳寺邸へ来るように』との連絡が入った。総介は、美里亜から借りた年季の入った自転車を漕ぎ、高級住宅街の一角にある大徳寺邸へ向かった。
大徳寺邸へ到着した総介は、屋敷の裏門へ回り、インターホンを押した。
「甘井調査事務所の甘井ですが……」
『はーい。少々お待ちください』
若い女性の声が響いた。すぐにメイドが、勝手口から現れ、門扉に近付いてきた。メイドは、門外に立つ不審な男を、上から下まで値踏みするように観察していた。
「じーーーーっ……」
「し、少々お待ちください……」
メイドは、総介の様子をチラチラと伺いながら、屋敷の中へ入っていった。
(……もしかして、不審者などと疑われているのでしょうか?)
総介は、自分のヨレヨレのTシャツと色褪せたジーンズを見下ろす。確かに、大企業の社長宅には、あまりにも場違いな格好だ。
(ギャラが入ったら、新しい服でも買いましょうかね……)
しばらくすると、先ほどのメイドが、息を切らせて走って来た。
「た……大変、申し訳御座いません! どうぞ中へお入りください! 主が、お待ちかねで御座います!」
メイドは、深々と頭を下げた。
これで総介への疑いは晴れたようだ。総介は、メイドの案内で応接間へ通された。応接間へ入ると、虎之介と聖理奈が、既に打ち合わせを始めていた。
「あら、総ちゃん! 遅かったわね。待ってたわよ!」
聖理奈は、総介の手を引いて、虎之介の真向かいにあるソファに座らせた。
虎之介は、厳しい表情で一冊の封筒を取り出した。差出人は、『株式会社鉄興業』となっていた。
鉄興業は、広域指定暴力団『鉄組』の母体となる企業だ。
封筒の中には、内容証明書が一枚入っていた。
『-要望書-
弁天屋物産株式会社代表取締役社長・大徳寺虎之介殿
貴社所有の自社株の40パーセント及び、長女・涼音に対する親権の譲渡を要求する。
大徳寺早苗
後見人・鉄眞吾』
「……これは、どういうことですか?」
「これはね、総ちゃん……」
聖理奈が説明を始めた。
三年前、虎之介の妻・早苗は、若い男と不倫に落ちた。相手の男は、当時二十三歳。鉄組が経営するホストクラブの店長、鈴木マナブという男だった。
ある日、早苗は友人に誘われて行ったホストクラブでマナブと出会い、意気投合。二人の関係は、すぐに男女の関係へと発展した。
「……結局は、奥さんの不貞行為が原因で、離婚という結果になってしまったのよ」
それが、三年経った今になって、財産分与権や親権の主張をしてきたのだ。
「大丈夫ですよ、社長。財産分与権の主張は、離婚後二年が経過しているので無効です。親権についても、こちらが放棄をしない限りは心配ありません!」
つまり、妻側から送られて来た要望書には、法律的拘束力は何もないということだ。虎之介も、そのことは充分に理解していた。しかし、問題はこの件に『鉄組』が絡んでいるという事だった。
鉄組は、早苗だけでなく、愛娘・涼音をも手に入れ、虎之介を孤独に追い込んだ上で、弁天屋物産を乗っ取ろうと考えているに違いない。虎之介は、そう考えていた。
虎之介はソファの上で拳を強く握りしめた。
「……私は、涼音の父親であると同時に、五万人の社員の生活を守らなければならない立場だ!」
聖理奈は、しばらく考えた後、静かに立ち上がった。
「社長。会社の方は、私たち『ハッピー・ロー・カンパニー』が、全面的にサポートいたしますので、ご安心ください。涼音さんの方は、彼……甘井総介が、命を賭けてお守りします!」
聖理奈はそう言うと、総介の肩をポンと叩いた。
「ははは……、お任せください」
何とも頼りないボディガードだ。
午後四時、いつものように涼音を乗せた高級外車が、帰宅した。車を降りた涼音が、正面玄関から屋敷内に入ると、メイドと執事が彼女を出迎えた。
エントランスホールを抜け、リビングに入ると父・虎之介が一人でソファに座り、新聞を読んでいた。
「お……おかえり、涼音」
「……なんだ、居たんだ」
父親と数週間ぶりに会ったというのに、涼音は、何とも素っ気ない態度だ。
しばしの沈黙の後、虎之介は、意を決して口を開いた。
「な……なあ涼音、良かったら今夜、久しぶりに父さんと食事でもどうだ?」
虎之介にとって、娘を食事に誘うことは、女性をデートに誘うこと以上に難しい事だった。
「私、出かけるから」
涼音は、あっさりと虎之介の誘いを断ると、リビングを出て、自分の部屋へ向かった。
大徳寺邸を後にした総介は、自転車で帰宅の途に就いていた。
「総ちゃん!」
ドサッ!
聖理奈は、自転車の荷台に飛び乗った。
「せ……聖理奈さん、二人乗りはまずいですよ!」
「堅いこと言わないの。昔は、よく二人乗りしたじゃない!」
「今のあなたは、弁護士ですよね?」
総介と神崎三姉妹は、幼馴染だ。
今から十五年前。
国内外の各企業による都市開発が進む中でも、豊かな自然が残る街、茨城県つくば市に神崎家の別荘があった。毎年夏になると、三姉妹は避暑を兼ねて、ここで過ごしていた。
その神崎家の別荘から、そう遠くない場所に製薬会社の研究施設があり、総介の両親は、その施設で働く研究員だった。
近所のテニスコートで、楽しそうに『球打ち』をして遊ぶ幼い三姉妹。その様子を金網越しで、羨ましそうに眺める五歳の総介。
「一緒にやる?」
最初に声をかけてきたのは、聖理奈だった。これが、総介と三姉妹との出会いだ。
それから毎年夏になると、神崎姉妹は、総介と会う為、この別荘地へやって来た。それは、総介達親子が、あの痛ましい飛行機事故に遭うまでの五年間だったが……。
自転車を押す総介の横で、聖理奈は、当時のことを思い出していた。
「う……ん……」
「どうかしましたか、聖理奈さん?」
「ううん、何でもない。ちょっとね……、昔を思い出していただけ……」
「……?」
聖理奈は、あの『事故』以来、再び総介の隣で歩く日が来ようとは思ってもいなかった……。
それは、あまりにも突然な一報だった。
米国ハーバード大学への進学が決まり、新たな出発に心を躍らせていたあの日。聖理奈の携帯電話が、突然鳴り響いた。それは、既に米国へ留学中だ
った次女・美里亜からの電話だった。
「聖理奈さ……ん、総介さんが……、総介さんたち家族が乗った飛行機が、墜落したの!」
普段、温厚でおっとりとした話し方の美里亜が、かなり動揺している。
「えっ、今なんて!?」
「よく聞いてね、聖理奈さん。……総介さん達親子が乗った飛行機が、大平洋沖で……、墜落したのよ!」
その瞬間、聖理奈は、とてつもなく深い絶望感に陥った。それと同時に、両手が、震え出して止まらなかった。
英国へ留学中の長女・茉里華からの連絡では、現在、事故の詳細を多方面から調査中とのことだった。
(とにかく、こうしてはいられない!)
そう思った聖理奈は、早速、神崎グループ総帥の父・源五郎の口利きにより、チャーター機を手配し、米国へ飛んだのである。
その後、茉里華から奇跡的に総介だけが救助され、ワシントン病院センターへ搬送されたという連絡を受けたのは、それから二日が経過してからだった。
十三時間にも及ぶ大手術の結果、何とか一命を取り留めた総介だったが、その後も意識不明の昏睡状態が続いたという。
それから七年の月日が過ぎたある日……。
晴れて、海外研修を終えた茉里華が、一人の少年を連れて帰国した。それは、十七歳になった総介だった。
「総ちゃん、もうどこにも行かないよね? 私たちのまえから、消えたりしないよね?」
聖理奈の突然の言葉に、総介は、キョトンとした表情だ。聖理奈は、自分の手を自転車のハンドルを握る総介の手の上に重ねると、総介の顔を覗き込んだ。
「私と……私達と、ずっと一緒にいてほしいの。もう、あんなに辛くて寂しい思いは二度とイヤ!」
総介は、少し考えた後、聖理奈の頭の上にポンと手を置いた。
「大丈夫ですよ、聖理奈さん。ここに僕の居場所がある限り、僕は、どこへも行きませんから」
そう言うと、柔らかな笑顔で聖理奈の頭を優しく撫でた。
(一つしか違わないのに、まだ私を子供扱いしてる……)
聖理奈の頬が、プクッと紅く膨れた。
警視庁広域犯罪対策本部。通称『広域』。
全国を舞台に暗躍する凶悪犯罪の取り締まり、及び捜査活動を行う部署として、警視庁内に創設された。本部長は、神崎茉里華警視。そして、各分野における八人のスペシャリストたちが、周りを固めている。
公安部長との打ち合わせを終え、『広域』室へ戻る茉里華の前に、同僚の浅光五郎警視が姿を現した。
「神崎警視、今日もお美しい」
いきなりのセクハラ発言だ。
「フッ、浅光警視こそ、お元気そうで何よりだ」
二人は、儀礼的な挨拶の言葉を交わした。同僚とは言え、この二人、決して仲が良いわけではない。どちらかと言うと、浅光の方が茉里華に敵対心を燃やしている。
一流大学を卒業し、警察官となるや、苦労を重ねて三十歳で警視に昇格した浅光に対し、英国ケンブリッジ大学を卒業後、スコットランドヤードでの研修を経て、若くして警視となり、『広域』の本部長という地位をも手に入れた茉里華こそ、浅光の猜疑心に火を点けた存在だ。もっとも、茉里華の方は浅光に対して、『嫌な奴』としか思っていないようだが……。
「私は、これから副総監とゴルフです。まあ、警視正への昇進は、時間の問題ですよ! ハッハハハ!」
そう言い残した浅光は、高笑いをしながら意気揚々と、その場を後にした。浅光の後ろ姿を見つめながら、茉里華は呟いた。
「今の内に、せいぜい遊んでおくことだな。ネズミめ」




