鉄組壊滅作戦02
その街の小さな商店街は、一年中日差しが降り注ぎ、陽だまりのような温かさに満ちていることから、『ひだまり通り商店街』と呼ばれている。その一角に、『喫茶店ひだまり』はひっそりと佇んでいた。店を一人で切り盛りするのは、神崎三姉妹の次女・美里亜だ。
この店は、商店街の看板姉妹である神崎三姉妹を一目見ようと、連日多くの客で賑わっている。老若男女、イケメンから冴えない男まで、店の前にはいつも人だかりができていた。
長女・茉里華は警察官、次女・美里亜は喫茶店オーナー、三女・聖理奈は弁護士。それぞれ全く異なる職種に就いているが、仲の良い姉妹であることに変わりはなく、時間が空くと、この店に顔を出す。今日は、茉里華と聖理奈はまだ姿を見せていなかった。
平日の昼下がり。美里亜は、他愛のない世間話に耳を傾けながら、丁寧にコーヒーを淹れていた。その手つきは、まるで儀式のように優雅で、熟練の職人のようだ。
一方、店の奥の席では、高級ブランドのスーツを着た小太りの五十代の男と、ボサボサ頭にヨレヨレのTシャツと色褪せたジーンズ姿の総介が、何やら密談中だ。
「初めまして。『甘井調査事務所』の甘井総介と申します」
総介は、いかにも胡散臭い営業スマイルで名刺を差し出した。年配の男は、その名刺に書かれた屋号と、目の前にいる総介の顔を交互に見比べ、露骨に怪訝な顔つきになった。
「な、何かございましたか……?」
総介は、営業スマイルを崩すことなく、心配げに尋ねる。
「い……いや、私の顧問弁護士から『腕が立つ探偵を紹介します!』と言われて来たんだが……」
男の視線が、総介の頼りない風貌から離れようとしなかった。
(こんな弱そうな男で、本当に大丈夫だろうか?)
今度は男が名刺を差し出した。そこに書かれていたのは、『弁天屋物産株式会社 代表取締役社長・大徳寺虎之介』。国内でも五指に入る大手総合卸売問屋の重鎮だ。
「そんな大企業の社長様が、よりによってこんな所に何用でしょうか?」
ドンッ!
総介が何気なく口にしたその一言が、美里亜の逆鱗に触れた。美里亜は、総介の目の前に思いきりグラスを叩きつけるようにお冷やを置いた。グラスから水が半分以上こぼれ落ちた。
「『こんな所』で悪うございましたね! お客様、ご注文はお決まりですか!?」
美里亜は満面の笑みだが、その背後からは、静かな『負』のオーラが立ち昇っていた。
(総介さん、せっかくのお客様なんですから、何かお飲み物をご馳走した方がよろしいのでは?)
美里亜が、気遣わしげに耳打ちした。総介はメニューの中で一番安い二百八十円のアメリカンコーヒーを二つ頼んだ。
「はい! スーパー・デラックス・ロイヤル・ストレート・アメリカンコーヒー、二つ入りまーす!」
そう注文を繰り返して、美里亜は意気揚々と厨房へ入っていった。その足取りは、まるで凱旋行進のようだった。
(はて、スーパー・デラックスとは……?)
総介がメニューを見直したが、そんなものはどこにも載っていない。……いや、よく見ると右下に針の先で書いたかのような小さな文字で何か書いてある。目を凝らしても読めないほどの小ささだ。仕方なく、ウエストポーチから取り出したルーペをメニューにかざした瞬間、総介の顔が青ざめた。
『スーパー・デラックス・ロイヤル・ストレート・アメリカンコーヒー 三千円也』
「こ……これは、一体何でしょうか?」
ちょうど良いタイミングで、美里亜がコーヒーを持ってきた。添えられた説明書きには、『スプーンとカップとソーサーは純金製。コロンビア産の早摘み豆を十時間かけて焙煎し、オホーツク海の流氷を溶かした蒸留水を使用』と書かれていた。
(なんて贅沢なコーヒーだ……。これは、してやられましたねぇ……)
総介の笑顔は引きつっていた。
「そ……それでは、本題に入りましょうか」
総介が気を取り直して話を促すと、虎之介も険しい表情に変わった。
「実は、恥ずかしいことなのだが……」
虎之介は首を竦めた。
「様々なご事情をお持ちのお客様がいらっしゃいます。どうか、お気になさらないでください」
総介が穏やかな口調で応じる。
虎之介はコーヒーを一口啜り、大きく深呼吸をした。まるで、重大な決意を固めるかのように。
「娘に……、涼音に近付くすべての男を排除してくれ!」
「は……?」
一瞬、店内が静まり返った。あまりの突拍子のなさに、他の客も聞き耳を立てた。
「あの、それは一体どういう……」
「そのままの意味だ! あの子は可愛い! 親の目から見ても、充分すぎるほど可愛い! だからだ! あの子に群がろうとする悪い虫を、ことごとく排除してくれ!」
虎之介は、Tシャツが伸びるほどの力で総介の胸倉に掴みかかった。周りの客はもちろん、総介までもが呆れるほどの親バカぶりだ。
「娘の用心棒をしろ!」という、子離れできない父親の依頼をやんわり断ろうと、総介が口を開けた、その時だった。
「そのご依頼、お引き受けいたしますわ!」
なんと、美里亜が総介の意に反して、この依頼を承諾してしまったのだ。
「み……美里亜さん、ちょっと……」
総介が身を乗り出すと、美里亜はお盆をスッと目の前に差し出した。お盆の上には、『請求書』と書かれた紙が一枚。総介はそれを取り開いて、一瞬にして笑顔を凍りつかせた。
『請求書 甘井総介殿
家賃六カ月分
スーパー・デラックス・ロイヤル・ストレート・アメリカンコーヒー二杯分……』
総介は「ぐう」の音も出ない。彼の事務所兼自宅は、美里亜が所有するマンションの一室を幼馴染のよしみで安く借りている。そのため、総介は大家である彼女に、頭が上がらないのだ。
「……では、契約書にサインをお願いしますね?」
いつ、どこから出したのか、お盆の上には契約書が載っていた。美里亜はニコッと微笑んで、虎之介に手渡した。虎之介もデレデレとしながら、契約書にサインをした。
ふと美里亜が振り返ると、いつの間にか客の男たちが、二人のテーブルを取り囲んでいた。
「はいはい皆さーん、お仕事の邪魔ですよぉ!」
美里亜は手をパンパンと叩きながら、男たちを追い払う。虎之介は美里亜の顔をじっと見つめた後、何かに気付いたように手をポンと叩いた。
「お嬢さん、誰かに似てると思ったら、うちの弁護士先生にそっくりだ!」
それもそのはず。弁天屋物産の顧問弁護士は、神崎三姉妹の三女・聖理奈なのだ。
聖理奈は、弱冠十三歳で米国のハーバード大学を卒業。帰国後、司法試験を一発合格した。その後、神崎グループの出資により、十五歳にして法律事務所『ハッピー・ロー・カンパニー』を立ち上げた。
五年経った現在、数多くの企業を顧客に持ち、多くの精鋭弁護士を束ねる大手法律事務所の代表を務めている。ちなみに、『ハッピー・ロー・カンパニー』の本社も、この『ひだまり商店会』に所属している。
「それでは、詳しい話をお聞かせください」
なんと、その噂のスーパー弁護士・神崎聖理奈が、いつの間にか同席し、話を始めていた。
「せ……聖理奈さん、いつの間に……?」
「たまたま通りかかっただけよ。あ、美里姉、アイスコーヒーお願い! 総ちゃんのツケでね!」
「はーい、ちょっと待ってて下さいねー!」
美里亜は満面の笑みでカウンターの奥へ。総介の請求書には、新しく『アイスコーヒー』が追加された。
「なぜ、聖理奈さんのアイスコーヒー代を僕が払うんですか?」
総介が異議を申し立てる。
「当たり前じゃない! 総ちゃんのことを大徳寺社長に紹介したのは私だよ! アイスコーヒーの一杯くらい良いじゃない! ねぇ、社長ぉ?」
虎之介もウンウンと頷く。まあ、宣伝費と思えば安いものか、と総介は自分を無理矢理に納得させた。
「それでは社長、詳しいお話をお聞かせいただけますか?」
聖理奈が仕切り直す。ビジネスモード全開だ。
虎之介は、懐から一枚の写真を取り出した。
「これが、私の娘……涼音だ」
写真には、黒髪ツインテールに瞳の大きな可愛らしい女の子が微笑んでいた。虎之介の遺伝子を受け継いでいるとは思えないほどの愛らしさだ。おそらく、母親似に違いない。
虎之介は依頼内容を説明した。十六歳の愛娘・涼音が、最近、夜な夜な出歩いては朝帰りをするという。
問い詰めても、仕事で普段から会話がないせいか、無視を決め込まれてしまったらしい。仕方なくボディガードをつけたり、探偵に素行調査を依頼したりしたが、なぜか二日ももたずに断られてしまうのだという。
悩んだ末、自社の顧問弁護士である聖理奈に相談したところ、腕の立つ探偵・甘井総介を紹介されたという経緯だった。
「君には『夜、涼音が外出する理由』と『娘に群がる悪い虫の排除』の二点を依頼したい!」
「そのご依頼、アフターケアも含めてお引き受けいたします!」
「せ……聖理奈さん、アフターケアって……何ですか?」
不安げな総介に、聖理奈は耳打ちをした。
(決まってるでしょう! 乾いた親子の絆を回復させるのよ! スイーパーだったら、最後はきれいに終わらせなさいね!)
(それは、無茶ですよ……)
総介の意思を全く無視して、美里亜と聖理奈は虎之介との契約を結んでしまった。恐るべき、神崎姉妹。
「あらあら、これからが大変ですねぇ、総介さん?」
美里亜は他人事のようにニコニコしながら、コーヒーのおかわりを持ってきた。




