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あのキスがどういう意味であったとしても、たとえただの欲望でしかなかったとしても、アシャが示してくれている好意は紛れもなく本物で、底の方に感じるものは友情と誠意、そこには偽りの匂いはしていない。
(これ以上何を望む?)
幾度も繰り返したことばを、今一度、胸の中で噛みしめる。
(これほど親しい友人がいるか? これほど心強い仲間がいるか?)
アシャだって男だから、気持ちの拠り所を保ちかねる時もあるだろう。レアナにはぶつけかねる激情もあるだろう。それに甘んじるつもりはさらさらないが、切り捨てて無二の友人を失うのも辛い。
(徹するしかない、ということだ)
仲間としての存在に。
性別を越えた友人としての立場に。
(謝ろう)
アシャが帰ったら、大人げなかったと謝ろう。ぶっ叩いてごめんと頭を下げよう。けど、ああいう冗談は止めてくれ、私は苦手だ、とちゃんと伝えよう。『そういう部分』はまだまだ未熟な子どもなのだから、アシャが望むように巧みにうまく受け止められない、と。もう十年ほどたてば、酒を酌み交わしつつ『そういう話』もできるようになるから、と。
(レアナ姉さまには内緒で、どこかの美姫のどんな仕草が気になったとか?)
「……嫌だな」
思わず眉を寄せてしまった。
自分には向けられない想いだとしても、レアナに対しては誠実であってほしい。
「ユーノ」
「うん?」
思わず漏らした一言にレスファートが反応したのか、今の独り言は関係がないと続けようとして見下ろし、相手の真剣な眼に口を噤んだ。
「何、レス」
「……あのね」
ためらい、戸惑い、やがて意を決した顔でレスファートは口を開く。
「最近、リディノが変だよ」
「変?」
ぽつりと言い放たれたことばの強さに、瞬きした。
「どういうこと?」
「……怒らない…?」
「何を?」
「ぼく……リディノに『近づいた』の」
むくりと体を起こし、正面からユーノを覗き込む。乱れたプラチナブロンドはさらさらと音をたてて流れ落ち、踊る陽射しが銀の光輪を形作った。
「でも……何かこわくなって、引き返したの」
「怖くなった?」
ユーノは眉を顰めた。
レスファートはレクスファの第一王子、人の心を読み込むことにかけては並の大人は足元にも寄れない。ましてや、この旅の間、レスファートは幾度となく『怖いもの』『酷いもの』『惨いもの』を見てきていた。その柔らかな幼い心には、見かけからは想像もつかない深淵に佇む胆力があるのは証明済みだ。
そのレスファートが、リディノの心を『怖い』と言う。
「リディノが?」
ユーノは彼女の愛らしい笑顔を思い浮かべた。ユーノの帰宮を喜ぶ中に、確かに微かに距離を置いたような感覚はあった。けれども、リディノもまたアシャを深く想っている。愛しい男性が危険な場所に向かったままで未帰還の今、ユーノ単独の帰還を喜び切れないのは、当たり前のような気がする。
「レス、どう怖かったの? 言ってごらん」
「うん……あのね……あのねえ…」
レスファートも眉を寄せて考え考えことばを探す。
「リディノの中にねえ、まっくらで、黒い海があったの。湖じゃなかった。ひたひたってねえ、向こうからどんどん押し寄せてくるの」
レスファートは少し唇を噛んで目を閉じる。
「どこまであるのか、わからなかった。向こうに何かあるのかもわからなかった………でも、どんどん、ひたひた、ひたひた、寄せてくるの」
まるで今その光景のただ中にいるように、両手を握りしめる。
「……呑みこまれそうで…こわかった」
「海……」
レスファートの見ているものを追うように呟き、ふと、視界の端に動いた影にどきりとした。
(あいつ…?)
明るい陽射しの満ちる花苑で、まさにリディノが立っている。その前にいるのは視察官ジュナ・グラティアスだ。二人は何かを話し込んでいる。リディノの頬は紅潮しているが、はしゃいでいるわけではなさそうだ。対するジュナの表情は妙に冷めた気配の端整さ、しきりと言い募るリディノを笑顔を浮かべつついなしているようにも見える。
(レアナ姉さまを呼び出したのも、あいつだった)
セレドに急を知らせた一報、結果的にレアナを罠に誘い込む知らせの一端を担ったと知って、驚愕し救出に駆けつけたが間に合わなかったとは言い訳がましい物言いだった。
『一体どこで情報が操作されたのか。私も調査を開始しているところです』
汚名を被っても腐らない、不快な思惑は真実を明らかにすることで晴らすと言い切ったが、優等生過ぎる返答とも聞こえる。
(偶然か?)
レスファートが違和感を感じたリディノは、何をあれほど視察官ジュナと話し込むことがあるのだろう。
(それとも、符号、か?)
見えない導き手の裳裾が、この一瞬に翻って見えているとは言えないか。
「ねえ、ユーノぉ」
甘えた声に我に返った。
「ぼく、ねむい…」
数日間の緊張で疲れているのだろう、レスファートが目を擦りながらもたれてくる。
「疲れたんだね。一緒に寝る?」
「うん」
大喜びでユーノの側に潜り込み、気持ちいい姿勢を見つけたのだろう、まもなくくうくうと柔らかな寝息を立て始める。
「ご苦労様、レス」
髪にそっとキスしてやりながら、ユーノはどうにも落ち着かなかった。




