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「え…?」
ユーノはイルファ、レスファートと食卓につきながら顔を上げて瞬いた。
「シャイラが付いていってくれたの?」
『氷の双宮』で目覚めたのが昨日の夕方、明けてミダス公邸に戻った。少し遅めの昼餉は穏やかに進んでいた。
柔らかな陽射しの中でレスファートがこっくりと首を頷かせる。
「きのう一晩かけて準備して、今日の朝『氷の双宮』へ行ったよ。アシャとグードスを助けに行くって」
(じゃあ、アシャ、ほとんど寝てないんじゃないか)
不安な気持ちが掠める。
それでなくとも、それまでの二日、アシャはユーノの看病についてくれたと『太皇』から聞いている。十分な休養を取っているとは思えない。
「シャイラはね、グードスの『いちゆうじん』として放っておけないって」
「一友人どころか、十年来の友らしい。仕えているミダスとは別の四大公のことだから、勝手に動くこともできずにやきもきしてたらしいぜ………おい、もっと肉食うか?」
「あ、ううん、いい。もうお腹一杯」
「じゃ、それ、もらっていいな」
返事を待たず、ユーノの皿に残っていた肉切れをいそいそとイルファが手元に引き寄せようとしたのを、レスファートが甲高い声で遮った。
「だめ! これはユーノのなの!」
「もう食べないって言ってるじゃねえか」
「それでもユーノのものなの!」
今食べなくても後で食べてもらうんだから、とレスファートは口を尖らせる。おいおい、そんな勿体無いことをするな、肉が冷めて固くなっちまうだろ、後からまた美味しく焼けたやつを出してやりゃ済むことだろ、とイルファがなおも皿を引き寄せるのに、ばちっ、とその手を派手に叩く。
「だめったらだめっ!」「いてっ」
「アシャが言ってたからだめっ!」
「いや、だから、もう食べないって」
「ええい、ぐだぐだぬかすんじゃねえや、でかいずうたいしやがって!」
「、……おい」
じろりと険のある目つきで睨みつけ、可愛らしい口から想像を越えたドスの効いた啖呵を吐き捨てたレスファートにイルファが固まる。
「なんちゅうことば遣いを」
「これはみぃんなユーノのものなの!」
ぽかんとしたイルファの前で、またけろりとあどけない口調に戻って空いた皿を手にすると、レスファートは、肉は勿論、手早く他の食事の残りも集め始めた。イルファが密かに楽しみに取っておいたらしげなラクシュの実もかき集め、皿に盛る。
「お、おい、待て、レス、それは」
「アシャが言ってたもん。ちゃんとくわせて、ちゃんとねかせろって」
椅子から滑り降り、止めにかかるイルファを完璧に無視し、手に皿を掲げたまま、とことことユーノの元へやってきて、にっこり無邪気に見上げてくる。
「ね、行こ、ユーノ。めんどくさいのがいるから、部屋で休もう。ぼくも一緒に行くからね」
「はいはい、わかったわかった」
苦笑いしながら、レスファートに手を取られ、ユーノは情けなさそうに皿を見つめているイルファに声をかける。
「悪いね、イルファ」
「腐っても王子だからな? そりゃ、従うぜ、従うけどよ」
敬愛する主に対しては随分な台詞を吐いた後、イルファは訝しそうに首を傾げる。
「けど、一体どこで覚えたんだ、あんな言い回し」
「何言ってんの」
ユーノはにやにや笑った。
「普段イルファが散々遣ってるだろ」
「へ? 俺か? 俺が俺の言い回しでののしられてんのか?」
「そういうこと」
「おいおい、たまらんなあ…」
ぐったりした顔で天井を見上げるイルファを後に、ユーノはレスファートと一緒に食堂を出た。
ミダス公邸は、ラズーンが巻き込まれている運命の奔流とは無関係に、いつものように穏やかに静まり返っていた。陽射しは豊かに部屋部屋を照らし、衣服や寝具を膨らませ、温かな匂いを満たしている。
ユーノの部屋もまた、明るくきららかな陽射しに満ちあふれ、柔らかで優しい香りが漂っていた。
ベッドの側に机を引き寄せ、手にしていた皿を丁寧に置くと、レスファートはベッドに向かったユーノを気遣わしげに振り向いた。
「ちょっとまぶしい? カーテン閉める?」
「いいよ、レスの顔がよく見えるし」
「…うん!」
少年はにっこり笑って靴を脱ぎ、横になったユーノの側へすり寄って、そっと頭をユーノの胸にもたせかけてきた。じっとユーノを見上げてくるアクアマリンの瞳はこのうえもなく澄み渡り、邪心の影もない。『穴の老人』(ディスティヤト)やアギャン公、世の中の濁りに慣れ、倦み切った心に向かい合って疲れたユーノには、今のレスファートの薄青の瞳ほど心を休ませてくれるものはなかった。
「アシャから頼まれたの?」
「うん」
レスファートは頬をユーノの胸につけ、ゆっくり頷いた。ほんわりとした眠たげな声で続ける。
「あいつはすぐに『むちゃ』をするから、しっかり見ておいてくれって」
くす、と小さな笑い声が響く。
「おかしなアシャ。言われなくても、ぼく、ユーノのことはずっとずっと見てるのに」
「そうだね…いつも見てくれてる」
「うん」
(そして、アシャも)
ふ、とユーノは溜め息をついた。
傷ついて泣きじゃくった後に残ったのは、薄れることも消えることもないアシャへの想いだったというのは、人の心は何と不思議なものだろう。
(これを執着、というのかな)
恋心などと言う可愛いものではなさそうだ。突き放されても傷つけられても慕っている、一途と聞こえはいいが、面倒くさいだけの女じゃないか。
(アシャは、優しい)
あれほど派手にやりあった後でも、アシャの配慮はこれほど細やかで、食事を案じるレスファートや朗らかなイルファの会話、居室を整えてくれたミダス公や、どこか素っ気ない気はするものの飛びついて迎えてくれたリディノの姿をとって、ユーノの指先に至るまで包み込み続けてくれている。
(贅沢なんだな、きっと)
ふ、とユーノは吐息をついて目を閉じた。




