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(やっぱりあれは、夢じゃなかったんだ)
ユーノは自分を切り刻むように想う。
(私を助けに、来てくれたんだ)
暴走するアシャを止めなくてはならないとわかっていた。けれど四肢は動かず声も出せず、焦燥に身もがいていたユーノの耳に届いた声。
『御安心を。このセール、命に代えて…お護りします』
『我らが……聖女王……ユーノ…』
『「死の女神」(イラークトル)の……恵みの……もとに…』
(セール!)
『泉の狩人』(オーミノ)はおいそれと『狩人の山』(オムニド)を降りない、降りてはならないと聞いていた。ラフィンニに許可を得たとは思えなかった。なのに、己の生き様、己の本分を越えて来てくれた。
(私は)
それに価するのだろうか。
「アシャ…」
食いしばる歯を無理矢理開いて尋ねた。
「セールの最後は…どうだった…?」
「聞いてどうする」
冷徹にも響くアシャの声、確かにそうだ、今更確かめたところで何の役にたつ、命は失われ存在は消え去り、既に取り戻せはしないのだぞとアシャの声が詰るようにも聴こえた。
「聞いて……覚えて……忘れない」
口にして、ぐっと胸に詰まった痛みを堪えて一瞬黙り込む。そしてもう一度、始めから。
「セールの最後を、聞いて、決して忘れない」
「何のために」
復讐のためか、いやそれこそ、誇り高い狩人には無用の配慮だろう、アシャはそう続けたそうだ。
ユーノはゆっくり首を振った。
「私に、どれだけ、賭けてくれた人がいたのか」
誰しも己の人生は己のために生きたいだろうに。
狩人もまた、己の本分を尽くしたかっただろうに。
「私をどれだけ大切に想ってくれた人がいたのか」
レスファートの泣き顔が脳裏に甦った。
どうしてぼくを置いていくの。
どうして怪我ばかりして戻ってくるの。
(ああ、本当にそうだ)
愚かな愚かな自分。
身を投げ出すほど支えられていながら、自分一人の願いで突っ走って、どれほどいろんな人に辛い想いをさせたのか。
(私は何にもわかってなかった)
聖女王に選ばれたということは、狩人全ての終わりを見届けずに果てることは許されないということだ。レスファートから剣を受け取ったということは、彼の幸福を見守らずに逝くわけにはいかないということだ。
(その責任を、ほんの少しもわかっていなかった)
溢れ零れ落ちる涙をユーノは堪えなかった。
泣かなくてはならない。
泣いて刻まなければならない。
己の未熟が一つの命を奪ったのだ。
ユーノはまだまだ未熟だろう。これからも多くの想いを生かせないかも知れない。
「忘れない、のか」
低く問いかけるアシャの声に、顔を振り仰ぐ。
「でなければ、誰がセールに報いてやれる?」
「…」
アシャはユーノを見下ろし、少し、目を細めた。紫色の光り輝く瞳が影を孕んで重く沈む。
「セールの払った代償に見合う、どんなものが私にある?」
「……」
アシャは静かに目を閉じる。
(私は、本当にわかっていなかった)
セレドへ戻らなくてはならないのだ。途中で果てるわけには行かないのだ。なぜなら、ユーノは、ユーナ・セレディスは王位継承に力を持つ存在、セレドが確かに正当な継承者、レアナとそれを支えるアシャに受け継がれるのを見届けずに、旅の空に死ぬことなど許されない。
端整なアシャの顔は白く凍りついたように動かない。
アシャもまた、ユーノのことばに改めてユーノ自身の危うさを思い返しているのだろう。
(そうだ、本当に、私は愚かだった)
アシャも何度も止めてくれたのに。
アシャもまた王位継承者であるが故に、能力の前に必要とされる絶対条件に気づいていたのだろう。
生きていること。
捧げられた忠誠に堪えるためには、まず、生きていなくてはならない。
「……ごめん…」
ユーノは俯いた。
「…ごめんなさい、アシャ」
今まで本当に、ごめんなさい。
ユーノは絞り出すように謝った。
「私、何にもわかってなかった」
自分が哀しいとか、誰かが傷つくのが嫌だとか、そんなこんなに振り回されて、セレドの皇女である意味さえわかっていなかった。
「馬鹿な主でごめんなさい」
でも、どうか。
ずきずき傷むからだと心を必死に押し立て、頭を下げる。
「お願いです。もうしばらく、私に力を貸して。ううん、もうしばらく、見捨てないで」
ユーノ一人では今与えられている忠誠に応じられない。捧げられた祈りに答え切れない。見えないからこそ突っ走って引き受けてしまった責務は、もう身動きできない重荷になっている。ようやくそれがはっきり見えた。
(私じゃ、足りない)
力も知恵も心も体も、何もかも、足りない。
だから、セールを助けられなかった。
だから、レスファートを泣かせてきた。
だから、アシャを、繰り返し窮地に追いやって、ユーノの半端な動きの尻拭いをさせてきた。
「もう無茶はしないから。あなたの意見を聞くから。あなたに相談して、一番いい方法を見つけるから」
もっと鍛えるから。もっと頑張るから。もっと、立派な主になるから。
「だから、アシャ、お願い、もう少しだけ、ううん、セレドに戻れるまで、どうか私と一緒に居て」
「…」
「お願い、します…っ」
「……………ふぅ」
「……?」
ようやくわかったのかと叱り飛ばされるか、今更そんなことを言っても聞いてやらんと詰られるか、そのどちらかだと思っていたのに、沈黙の後零れた、どう聞いてもどこか切なげな溜め息にきょとんとして顔を上げ……上げた瞬間,ユーノは凍りついた。
「っ」
アシャ、泣きそうだ。
緩やかに瞼が上がる。奥に隠されていた瞳には光がたゆたっている。眉を微かに潜め、まるでほんの小さな子どもが大事なおもちゃを奪われたような、それを黙って見ているしかなかったような、唇を曲げて苦しげに、アシャは俯く。
「…アシャ…?」
「……セールが……最後に言った」
さらりと額から零れ落ちた前髪が、アシャの表情を隠した。
「うん?」
「お前が、俺を、もとめている、と」
「えっ……」
どこか舌足らずに聴こえるたどたどしい口調、けれど吐かれたことばは叩きのめすほどの威力がある。
「…」
自分は気を失っている間に何かを口走ってしまったのか。それとも『狩人の山』(オムニド)に居る間に、不可思議な力でユーノの心が読み取られてしまっていたのか。そのあまりにも切実な願いに、セールが伝えようとまでしてくれたのか。
「…本当か?」
アシャは瞬きした。光が瞳に吸い込まれ、かわりにきららかで強い輝きが満ちてくる。
今度はユーノが顔から血の気が引くのを感じた。
(どうしよう)
今ユーノはアシャに懇願した。立派な主になるから、側に居てくれ、と。
しかしそれは、セレドでならまだしも、ここラズーンにおいてはただただ失礼な物言いだったのではないか。あまりにも情けなくて自分勝手な物言いだったので、アシャを傷つけてしまったのではないか。
(どうしよう)
それでもアシャは必要だ。アシャの力も、知恵も、才能も、今のユーノにとっては手放せない。
「…本当だよ…」
声があやふやで息苦しくなった。
「…どういう意味で?」
静かなアシャの問いに追い詰められる。
「どういう、意味…?」
「お前にとって、俺は、何なんだ?」
「っ」
今度こそ、ユーノの全身から、血が音をたてて引いていった。




