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『アシャ殿!!』
セールの声なき大音声は、洞窟の中を満たして響き渡り、さすがにアシャの鼓膜を貫いた。はっとして我に返り、振り返って洞窟の入り口から飛び込んできたセールと、その足元近くに踞っているイリオールに気づく。
愚鈍さを叱咤する声は、再びアシャを撃った。
『聖女王もろとも殺される気か?!』
「っ」
怒鳴りつけられて掲げられた真実に一気に血の気が引く。うろたえながら、今しがた『穴の老人』(ディスティヤト)の縛めから解き放たれたはずのユーノに目をやって息を呑んだ。
(ユーノ!)
初めて悟った、己が何をしていたのか。何をしようとしていたのか。
岩の上に倒れ伏しているユーノの左肩は傷から溢れた鮮血で紅蓮に染まっている。青ざめた表情からは見る見る生気が失われていく。その華奢な体をもって庇った少年は、アシャの狂態に怯え切って蒼白になりながら岩の間に縮こまり、怒りに満ちた黄金のオーラで押し広げられた洞窟は岩盤天井ともに撓み軋み、身を守る術一つないユーノとイリオールの上に今にもがらがらと崩れ落ちてきそうだ。
セールが髪を乱して駆け寄り、一転勢いを改めて、壊れ物でも扱うかのように、そっとユーノの体を抱く。
(俺は一体…っ)
意図せぬ舌打ちが漏れた。
(何を、誰を助けるつもりで!)
自分への痛罵は頭の中を荒れ狂う。だが、それで緩んだ集中に天井の岩が不穏な音をたてて、アシャは素早く周囲を見て取った。
(動けない)
『穴の老人』(ディスティヤト)はユーノを諦めようとしていない。セールの乱入に色めき立ちこそすれ、引く気配は全くない。それに今オーラを弱めれば、『穴の老人』(ディスティヤト)にユーノを投げ与えるばかりか、支えを失った岩盤があっという間に内側に崩れ込むのは必定、『穴の老人』(ディスティヤト)どころか、アシャまで生き埋めになってしまうだろう。
が…らっ……がらがらがらっっ!!
「ひ、いっ!」
そのつもりはなくとも、セールが抱くユーノに思わず気が逸れた、その圧力の低下に左右の壁の一部が崩れ、イリオールが小さく悲鳴を上げて跳ね上がり、必死にユーノの側へ這い寄る。
(……無理、か)
アシャは動けない。この岩盤を落とすわけにはいかない。感覚が知らせてくる、天井の彼方の高みを構築する岩にも、オーラの圧力で亀裂が入ったことを。
(仕方がない)
「セール!」
短く叫ぶ。
「ユーノとイリオールを連れて逃げてくれ!」
『イリオール…? この子どもか』
「ユーノが助けようとした子どもだ!」
『泉の狩人』(オーミノ)は守ろうとするはずだ、聖女王が我が身を盾にする存在も。
『……そなたはどうする』
ユーノを胸に抱いたまま、セールは冷ややかに問いかけた。
「俺は…ここを支える」
(所詮、こういう終わりしかない命か)
答えながら、アシャは皮肉な笑みを押し上げる。
どう生きるべきかと迷った時もあった。どう生きても虚しいと悟った時もあった。けれども、生きていてもユーノを破滅に巻き込む命でしかないのなら、生きている意味さえないということだ。
「どこまで保たせられるかわからんが」
頭上を振り仰ぐ。そこにもここにも亀裂は走っている。見ている間に破砕音をたてながら、裂け目を広がらせ、天井一面に網のように巡らされていく、崩壊の模様。
(全てをエネルギーに代えてしまえば)
アシャの構成粒子の最後の一つまで『力』に変換してしまえばきっと。
「お前達が逃げ切るぐらいまでなら押さえ切れる」
(押さえてみせる)
『世迷いごとを言うな、「氷のアシャ」とも呼ばれた軍師が』
セールは一言でアシャの案を蹴った。冷笑を響かせながら、
『この場を見れば、そんな余裕なぞないとわかる。そなたの力が消えるか、「穴の老人」(ディスティヤト)がそなたを屠るか、洞窟が崩れ落ちるか、いずれが早いかという問題だ……それよりも』
ユーノを抱えて立ち上がったセールが、一瞬奇妙に危なっかしいよろめき方をして、アシャは訝った。見かけは細身の美女であろうと、『泉の狩人』(オーミノ)はその気になれば大の男を素手で引き裂くことさえできる。ユーノ1人の重みに耐えられないわけがない。
「セール…」
ゆっくりと岩場を移動して近づいてくる相手に、アシャは思わず名を呼んだ。今まで衣の襞で隠されていてわからなかったが、セールの右脇腹と左胸のあたりが、爛れたように蕩け崩れ、どす黒い染みをこびりつかせている。
「お前…」
『「穴の老人」(ディスティヤト)は我らが敵』
謳うように柔らかな声が応じた。
『ならば、私が相手をするのが順当というもの……それに、既に一戦交えていてな』
くくく、と自嘲の笑いが零れた。
『そなたを嗤えたものではない。聖女王の危機に「狩人」ともあろうものがうろたえて、この有様よ………私はもう、聖女王を助け出すまでは保たぬ…』




