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アシャは今まで見たことがないほどの怒りに囚われている。『穴の老人』(ディスティヤト)を追い詰める、いや屠ることしか考えていないように見える。自分の状態はもちろん、周囲のことも眼に入っていない。転がっているイリオールのことも、ひょっとするとユーノのことも。
今も、遠く彼方の壁伝いにイリオールに伸ばされた樹根を、振り返りもしないアシャの黄金のオーラの一端が巨大な蛇のように空中を走って飛びかかり、一気に焼き尽くして灰にした。だが、炭化させたのは樹根だけではない。あまりの強く激しい光のためだろう、イリオールのすぐ側の岩まで焦がして黒く煤けさせたばかりか、その一部を崩しさえした。
そればかりではない、『穴の老人』(ディスティヤト)の迎撃に解放された光の舌は、アシャの制御を離れたことを喜び躍るように、アシャに戻ることなく周囲の壁を駆け上がり、壁の隙間や天井の岩盤の割れ目に飛び込んで、洞窟そのものを大きく高く広げようとするかのようにぎしぎしときしませる。確かに洞窟は古くからのものであり、頑丈で年月を耐え抜いてきた安定したものであっただろうが、今アシャの光に押しのけられ撥ねつけられて、体を震わせながら揺れ動き始めており、天井や壁からばらばらと細かな岩の欠片が零れ落ち始めている。
だが、それらにアシャは全く気づいていない。
「あ…しゃ……っ…」
必死に絞り出した声は掠れて呻き声にしかならなかった。紡いだ名前を聞き取ろうとする気配はアシャにはない。彼は敵を屠るのに夢中だ。だが、
「あ……しゃ……ぁ…っ」
咳き込み、喘ぎ、ユーノはもう一度呼んだ。
届かない、けど、呼ばずにはおられない。
(駄目だ……アシャ……それ以上……追い詰めるな……それ以上進んだら…)
何もかもが崩れ落ちる。
「…っ、あ」
何とか少しでも近くに寄ろうとして鈍い手足を動かそうとし、左手がぴくりと反応して視界が眩んだ。灼熱の痛み、食いしばった歯の間から呻きが漏れるほどの激痛、震えて閉じた眼の奥に無数の火花が飛び散って脳髄を焼く。
(はやく…知らせ…ないと……危ない……あの子もろとも……殺しちゃう…)
きっとアシャはそんなことは望んでいない。
きっとアシャは全てを助けたいはずだ。
けれど今は見えなくなっている、怒りに思考を封じられて、ただそれだけで、アシャが絶対望んでいなかった破壊を呼び込んでしまう。
それはどれほどアシャを苦しめることだろう。
「い…りお……」
あなただけでも逃げて。
願いはことばにさえならない。
(私が…ヘマをした…から…)
まんまと相手の策に嵌まって、自分を傷つけるようなことをしたから、アシャにしたくもない人殺しをさせてしまう。
悔しくて苦しくて、それでも身動き出来なくて、苦い涙を呑み下す、その瞬間。
『アシャ殿!』
突然一つの声が洞窟を貫いた。
『聖女王もろもと殺される気か?!』
アシャの怒りに負けず劣らず、いや破壊神という存在ならば、アシャに対抗出来る唯一の存在、独特の陰々とした響きは『泉の狩人』(オーミノ)の叫びだ。
(せー……る……?)
僅かに聞き覚えがある、そう思ったとたん、滑らかな、けれど力強く優しい腕がそっとユーノを抱き起こした。激痛に悲鳴を漏らすユーノの体を宥めるように、けれどもためらうことなく抱きかかえる。
『我が、聖女王』
柔らかな温かな胸がユーノを抱き取った。傷をそっと包み支える、痛みが少し和らいで、思わず小さく安堵の息をつく、その耳に静かな声が囁きかける。
『どうぞご安心を。このセールが、命にかえて……お護りします』
いつもならば暗く陰鬱な声音が、どこか苦しげな、そのくせ甘い切なさをうねらせた。同時に左肩の激痛がみるみる薄れていく。
幼子を抱く母親のように、セールはユーノをすっぽりと抱えている。鼓動が体を通して伝わってくる。
『我らが……聖女王……ユーノ…』
安堵と解放に急速に意識が落ちていく。
助けに来てくれたの。
私のために来てくれたの。
どうしたの。
大丈夫なの。
セール何だか、ひどく優しい、ひどく…怖いよ。
ユーノの声にならぬ問いを聞き取ったかのように、セールが微かに笑った。笑ったのに、まるで泣いているように聞こえた。
やがて、そっと、何もかもが止まった穏やかな空間に、ことばがそっと置かれた。
『「死の女神」(イラークトル)の……恵みの……もとに…』




