15
(!)
どさりと固いものの上に投げ出され、鋭い痛みが左肩を貫いて、ユーノは我に返った。
薄目を開ける。揺らめく視界は陽炎の海のようで、目眩がして再び眼を閉じる。
左肩が炎になったように熱かった。肩それ自身が、灯火をともすための油脂の塊のようにじりじりと溶け崩れて焼け、焦げ爛れているようだ。
とろり、と額を生温くて重みのある粘っこい汗が流れ落ちていき、それでまだ自分が気を失っていないとわかった。
(どうして…こんなに……肩が…痛い……?)
ゆっくり意識して息を吐き、吸う。慣れたものだ、痛みの緩め方はよく知っている。緊張し強張った心は、傷みをより酷く激しくする。循環を滞らせ、必要な気力と体力を巡らせるのを妨げる。
けれども、いつもと違って痛みは少しも和らいでくれなかった。そればかりか、呼吸を繰り返し意識をはっきりさせればさせるほど、強く深く、まるで見えない手で肉を掴まれじわじわ裂かれていっているような気さえする。
(おかしい…な……イズミーの……傷は……アシャが……ちゃんと……手当……してくれた…のに……)
たったそれだけを考えるのに、呆れるほど気持ちを張りつめなくてはならなかった。ことば一つを絞り出すたびに、一気に力を奪われて眠気が襲ってくる。体がぐったりしていて、言うことを聞いてくれない。だが、アシャ、ということばに伴う温かさは、緩めても緩めても凍てついていた体の一部分を、ほんの少しほぐしてくれた。
(夢…なのかな)
そうだ、これはいつもの、ひどく現実的な、傷ついて倒れてしまった夢なのだろう。でないと、あり得ない、ユーノが、ユーノ・セレディスともあろうものが、しかもアシャと同行していてこれほど身動き出来ないほどの状態になるはずがない。四肢の堪え難い無力感、これではまるで、死が目の前に躍り出してきたようではないか。
「は…ふ…」
自分の息の音、ひどく弱々しくて、しかも遠くで聞こえる。再び気を失ってしまうのだろうか。気を失って、これほど重苦しい夢からようやく醒めるのだろうか。
だが、それを待って澄ませていた心に届いたのは、もっと違う音だった。
1つは怯えたように荒々しく繰り返されている呼吸。ひっ、ひっ、と引きつけるように忙しく吸われて瞬間に吐き出される吐息は恐怖を知らせる。それと重なり合うようにぴしっ、ぴしっ、と何かが弾け飛ぶような音が響く。いや、逆か。ぴしぴしと鳴る音に怯えた誰かが、恐ろしさに詰まってしまいそうな呼吸を何とか取り戻そうと足掻いているのだ。
もう1つはもっと重くて猛々しい音、岩を叩きつけ砕いていたならこんな音が響き渡るか。そう言えば、その合間にざりざりぎりぎりと非常な力が互いを競い合ってぶつかる、身を揉みたくなるような音がしている。
(この音は……どこかで…聞いて…)
がらっ、と耐えかねたように片方が崩れ激しい音をたてて地面に散った。振動が体に届く。全身を揺さぶるような衝撃、きっとユーノを砕くほどの大きさの岩塊だ。けれど、その音はどこか籠っている。開け放った場所での岩山の倒壊ではない、もっと狭い、くぐもった、奥深い場所、そう、まるで洞窟のような。
(洞窟!)
はっとして思わず目を開けた。
(これ…は)
霞んだ視界は数回の瞬きですぐに明らかになった、だが、視野を埋めた光景に、今度は見開いた目をもっと剥くしかなかった。
3つの塊がある。
1つの塊は黄金の炎だ。燃え上がっている。岩屋の天井を舐め焼き尽くすほどの業火、しかも鮮やかな金色の光を放っている中央に人がいる。わらわらと巻き上がる白金に輝く髪、聡明そうな額に滑らかな頬の青年は薄笑みを浮かべている。艶やかな微笑だ、まるで恋人を前にしているような、至上の愛撫を受けているような蕩けるような笑みに細められた瞳は、炎を受けてきらきらと光っている。だが、その姿には一切の隙がなかった。『人』が持つどんな緩みもためらいも、迷い一つない。全てが炎の中で満たされ完結していて、それがたとえようもなく恐ろしい。彼は彼以外何も必要としないとわかる。彼が全て、彼が始まりであり終わりであり、彼以外の何者も存在を許されない。
もう1つは、その黄金の光に追い立てられ押し付けられるように後じさりしていく赤黒い塊。絡み合い縛り合うような肉がところどころでぶよぶよと膨らみ息づいている。薄黒く濁った色合いの木の根のようなものが、その肉の中に埋まりくねり、時に中から外へ、外から中へ粘りのある汁を滴らせながら貫き刺し通り、けれどそれで傷ついている様子ではなく、むしろ樹根に絡みつき締め上げて自らを作り上げているような姿だ。塊は黄金の炎に身を削られている。撤退が遅く、身を引き損ねた部分が炎に炙られ焦がされ、一瞬にして炭化する際に呻くように身悶えしつつ、それでも一気に逃げ去らず、隙があれば痛みに耐えて炎を呑み込み、我が身に同化させる機会を狙っているようだ。
3つ目の塊は黄金の炎の青年を軸に、肉塊と対照的な位置で岩場に身を縮こめる少年。振り乱した髪、泣きじゃくりながら少しでも小さく小さく、岩の隙間に自分を埋めて消してしまいたいと願っているかのように、四肢を引き寄せがたがたと震えている。掠れた細い悲鳴のような泣き声が、黄金の炎の光が発する非常な高音と肉塊が発する重低音の間を、今にも消えそうなほど哀れな気配で響いては消え消えては響き、必死に助けを求めている。誰か助けて、誰かここから離して、誰か僕をここから救い出して。
(あれ…は……)
イリオール。
「っ…」
名前が浮かんだとたんに、ユーノは強く息を吸った。
目の前に繰り広げられている神話時代のような光景が、一瞬にして現実の、よく見知った世界に戻る。
ここは『穴の老人』(ディスティヤト)の洞窟だ。ユーノ達は入り込み、追い立てられて窮地に飛び込み、逃げ惑う少年を庇おうとして策に嵌まった。少年の身代わりに掴まって、自分の剣で肩を裂き、しかもその肩を捻り上げられ気を失った。おそらくはそれを見たアシャが敵を責め立て、放り出されたユーノやイリオールにも構わず、今まさに最後の一撃にかかろうとしているのだろう。
(く、そ…)
必死にそこまで考えたユーノだったが、体が予想以上に疲れ切っている。ぶり返してきた痛みに再び頭に靄が掛かり始めてくる。
(だめだ……アシャ…)




