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ぎしぎしとなる岩床、ばらばらと崩れる天蓋、その中を朱に塗れたユーノを愛おしげに抱いて歩むセールの足取りは、どこか危うく頼りなげで、そのことばを裏付ける。
『それでもなあ、アシャ……後悔はしておらぬ……一時とはいえ、そなたの手より聖女王を奪い、この胸に抱けはしたのだからなあ…』
満足そうな深い吐息、こんな状況下でなければ、十分にアシャの嫉妬を煽っただろう。それほどに、セールの声は満ち足りていた。
『ならば…最後を飾るには、やはり私が残らねばな…? アシャ、恨み言は聞かぬぞ、私はきっと聖女王のお心に残る……ユーノはきっと、私を、セールの名前を忘れまい…?』
くすくす嗤う、その虚ろな暗い眼窩の奥に、一瞬薄水色の涙めいた光が過ったように見えた。差し出されたユーノを、アシャはそっと受け取る。ユーノの体の温かみが、ずしりと重く胸の上に降り落ちる。
『連れていけ、アシャ。そなたならば、多少の遠隔の技は備えておろう。聖女王が安全な所に辿り着いたなら、オーラを納めろ、アシャ』
静かに顔を背け、体を翻し、今はまだオーラに押しのけられて身もがく『穴の老人』(ディスティヤト)に向き合ってセールは続ける。
『早く行け! でないと、私が聖女王を連れ去ってしまうぞ!』
1歩、2歩、と『穴の老人』(ディスティヤト)に向かっていきながら、セールは腰の剣を抜き放った。ようやく何者かを認識したのだろう、触手をうねらせ奇妙な唸り声を響かせる『穴の老人』(ディスティヤト)に応じて剣を差し上げる。
と、ふいに動きを止めて、セールは肩越しにアシャを振り返った。おどろおどろしい骸骨の横顔を晒しつつ、
『それに……』
いや、一つ土産を置いていこう。
不審に眉を寄せるアシャに、セールはからかうように付け加えた。
『聖女王が求めているのは、私ではない……そなただ、アシャ』
「……?!」
驚愕に息を止めるアシャを嘲笑い、
『信じるも信じぬも勝手だ、私も言わずともいいことを言う……だがな』
私はこれでお前とやり合うのが最後などとは思っておらぬぞ。
顔を正面に戻す。『穴の老人』(ディスティヤト)に近寄る速度を上げていくセールが、挑発するように叫ぶ。
『そなたとは、この世の旅が終わった後、再び相見えよう、決着はその時まで預けておくっ!!』
うぉあああああああ!!
野獣の咆哮はここまで猛々しくあるまい。嵐の唸りはここまで禍々しくあるまい。
走り去るセールの背中を喰い破るように溢れ出た声は、洞窟全てを闇で覆うほどに脅威に満ちて、さしもの『穴の老人』(ディスティヤト)も一瞬魅入られたように動きを止める。
『別れは言わぬぞおおお、アシャぁああああ!!』
「…くっ!」
アシャは身を翻した。腕に抱えたユーノが呻く、それを耳にイリオールを追い立てる。
「来い、イリオール! ここで死にたいのかっ!」「あ、あっ」
少年は体を震わせながらすがりつくように立ち上がった。意識はまだ岩盤を押し上げるオーラに裂いている。腕に抱いたユーノ、躓き転がり呻きながら必死に付いてくるイリオール、ばらばらに引き裂かれていく心の容量を出来る限り耐え忍ぶ。
(もっと……もっと遠くまで……もっと、なお遠くまで)
これほど広範囲に指向的なオーラの遣い方をしたことがない。途切れかける集中を何度も何度も組み直し、より効率のいいエネルギーの変換へ構築し直す。
「…」
冷や汗と同時に鼻から滴り落ちた紅を、アシャは気にしなかった。脳髄が焼き切れるなら、今ここで焼き切れてしまえばいい。
(ユーノが俺を?)
都合のいい夢、死の間際に囁かれた幻、それでも描かれた未来を抱えたままで逝けるなら本望だ。
(お前が、俺を)
途中、異様な臭いを放つ肉塊が1つ、ひび割れていく洞窟の隅に転がっていた。ラズーン四大公の1人、アギャン公の成れの果て、その横をひた走るアシャ達に阿鼻叫喚が背後から迫る。
「走れ…っ……走れっ、イリオール…っ!!」「う、あああああーっ!」
アシャが引きずるオーラがどんどん細くなり微かになり薄くなる。頭を全てを叩き壊そうとでもするような激痛が視界を奪う。喘ぐ息に血の味がする。鼻の奥から伝わってくる生温かいものを呑み下し、ついに洞窟を走り抜けた瞬間、ふいに周囲の空間が収束し震えた。
聖女王!! 聖女王!! 聖女王!!
凄まじい絶叫がユーノの名前を呼ぶ。
聖、女、王ーーっっっ!!
オーラが消えた。アシャは前に転がりかけ、ユーノを抱き締めてかろうじて踏みとどまった。イリオールが泣き叫びながら、アシャを越えて駆け出し、草むらに躓いて転がり、全身打ちつけて泣きじゃくりながら踞る。
洞窟が揺れた。いや、洞窟を抱いていた山そのものが、揺れ崩れ陥没していく。
アシャの踵より数歩離れた所で岩盤がぼこりと凹み、地下へ崩れ落ちるのがわかった。衝撃が伝わる、そのままアシャもまた崩落の中へ呑み込まれる……寸前、体が大きく揺さぶられた。2度、3度、そして、4度。
「……は…」
突然の停止。
のろのろと顔を上げるアシャの耳に風の音が届く。
「終った、のか…?」
「ふ、あ、あ、あっあっあっあー…っ……」
静まり返った世界で、イリオールは赤ん坊のような泣き声を上げた。




