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ふいに『穴の老人』(ディスティヤト)の動きが止まった。5体がぐるりと2人を取り囲む、いささか少なくなったかも知れないが、まだまだ致命的な攻撃を与えられる十分な数の根をゆらゆらと揺らめかせながら。黄金の虹彩、真紅の瞳孔がゆっくりと大きくなり、小さくなる。油紙と肉塊、樹皮を寄り合わせたような皮膚の上、肩と同じ幅のぶよぶよとした毛の一筋もない頭、顔の端から端まで裂けた口から出た、細く長い舌がちろちろと口の周囲を舐め回している。
「聖女王だ」
ふいに5つの声が同時に呟いた。
「我らの定められた獲物だ」
すぐに1人が続け、
「我らの獲物だ」
残りが唱和する。
べろべろと舌が唾液を散らしながら空中にうねった。
「我らの餌だ」「我らの」「旨いぞ」「血を滴らせる」「我らの生き餌だ」
「勝手に決めてもらっちゃ困る」
ユーノが冷ややかに吐き捨てる。
「私はユーノ・セレディス、確かに聖女王とも呼ばれるが…」
息を吸い込む背中の体が一層強い熱を放つ。その熱に蕩けそうな気がしたアシャは、次の瞬間、凍りつく思いを味わった。
「お前達にむざむざ喰われる気はない!」
(おいおい)
ユーノは『穴の老人』(ディスティヤト)の話は知っていても、彼らが肉食、特に人間の肉を好むということは知らないはずだ。知っていれば、さきほど少年を庇ったような助け方をしなかっただろう。あのまま少年もろとも根にくるりと巻き付かれ抱え込まれて引きずられ、『穴の老人』(ディスティヤト)の全てを溶かしそうな胃に呑み込まれていたかも知れないのだ。
(それとも気づいてたのか?)
『穴の老人』(ディスティヤト)が少年を追いかけていたのは、少ない食糧を互いに取り合っていたからだろうし、今少年に見向きもしないのは、聖女王、仇敵の女王という至上の獲物が差し出されているからだ。
(こういう勘はいいんだが………護る相手がいると数段強さが違うしな)
練習ではお目にかからない、この、次々と燃え上がる炎のような闘気、体を越えて周囲の空間まで温度を上げていくような感覚に、煽られる、体が……本能が。
(いい…剣士だ)
腹の底に動き出しかけた熱をアシャは別の方向に向けた。
(俺が教えた中でも飛び切りの、おそらくは天才と言われる類の……ただ、それが『女』であった、ということが…)
伏せた瞼を薄く開く。視界に動きを止めている『穴の老人』(ディスティヤト)が浮かび上がる。休戦ではない、ましてや攻撃を諦めたわけではない。よく見ていればわかる、彼らの薄汚れたマントの下の体が波打ち脈打ち、失った根を再生しつつあるのが。切り落とされた根は岩場のあちこちに点在し、さきほどまでぴくぴくと引き攣っていた動きを止め、見る見る変色して干涸びていきつつある。まるで、そこに溜められていたエネルギーを回収し、自らに取り込んで新たな根の源としているように、『穴の老人』(ディスティヤト)の瞳は妖しく輝きを増している。
(俺にとって……致命的、か?)
わかっている。下手な戦い方だと。アシャともあろうものが、敵の本拠地に飛び込んで、圧倒的に敵に有利な場所で怪我をしている大事な女と得体の知れない子どもを1人抱え込んでいるなど。『氷のアシャ』ならきっとしなかっただろう戦いだと。
「ミネルバあたりがいてくれるとな」
思わず零れたことばは、何が何でもユーノを無傷で守りたいと思ったからに過ぎない。だが、ユーノがぴくりと体を震わせた。
「ミネルバ?」
「ああ。『穴の老人』(ディスティヤト)の天敵、『泉の狩人』(オーミノ)の異端者……『穴の老人』(ディスティヤト)を屠れるとなれば大喜びして出てくるだろうが…ユーノ!」
「わかってる!」
身動きしていないと見せかけて、いつの間にか近づいていた根が突然中空に躍り上がった。真下から振り上がった攻撃、とっさに避けて剣を構えるユーノの間合いが遠い。その隙をもう1体が狙いにかかる。意識が逸れたアシャには、残り3体が襲い掛かってくる。
「あ、ぐっ」「ユーノ! えい、くそっ!」
人ならまだしも、太古生物3体の同時攻撃、両手両腕を捉えられ足蹴りを喰らわせかけたのも封じられたアシャの耳に、嘲笑うような声が響き渡る。
「アシャは殺すな」
「なに…っ」
振りほどこうとした四肢には力が入らなかった。『穴の老人』(ディスティヤト)が根に毒を含ませるなどとは聞いたことがない。アシャの脳裏にこれまでにない、連携した『穴の老人』(ディスティヤト)の攻撃が甦る。
太古生物が新たな攻撃方法を会得することはない。古い世界で命を受けた彼らの攻撃は、生まれ持った形に応じて一つの型から外れない。それが一番自らの特性を生かし、同時に相手に一番酷い傷を与えられるからだ。
だが、この洞窟に潜んでいた『穴の老人』(ディスティヤト)は、個別に動き回るのではなく、まるで狩りをする『人』のように少年を追い込んでいた。そればかりか、自分達の攻撃を、これまでよりも致命的なものに変化させている。
ならばそれは明らかなことだ、別の知性、別の存在が『穴の老人』(ディスティヤト)の攻撃に潜んでいる。誰かが彼らに知恵をつけ、その破壊力をより増そうと考えたに違いない。
その名は、おそらく。




