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「身持ちの固い男がおりましたよ、妻1人しか愛さぬと言い切って、20年確かにそれを守った男が。しかし、ある夜に出逢った1人の娘に、そっと酒を勧められて、翌日娘と2人、新たな人生に旅立ってしまいました。そしてまた、ずっと幼い頃から言い交わした幼なじみと明日は祝言というその夜に、雫が垂らされたスープを飲み干したために、村を離れて1度会っただけの少女を追いかけた男もいましたな」
「………」
リディノがジュナのことばを食い入るように聞いているのを確かめて、ジュナはまた小さく溜め息をついて目を伏せ、首を振った。
「……まあ、あなたに信じて頂けないのなら仕方ありません。恥ずかしながら、私は実はあなたに焦がれていた」
「……」
「けれど、あなたが悩まれているのに耐えられず、愚かな口出しをしたまでのこと……それでは」
ジュナは未練たっぷりに小瓶を懐へ片付けかけた、その途端。
「待って、待って下さいな」
リディノが思い詰めた声で引き止めた。
「試させて……試させてはもらえませんか、ジュナ様」
「……そうでしょうな」
如何にもがっかりした顔で頷いてみせる。
「恋する方には、他の者の気持ちなぞ、知らぬことだと言う訳だ」
「……ごめん、なさい…」
リディノは小さな声で謝った。困惑している、けれど、満更困ってばかりでもない、密かに自分に捧げられた忠誠に満足したような顔だ。
胸元で握りしめられた小さな手に向けて、ジュナは静かに小瓶を差し出した。はっとしたようにリディノが手を開き、おそるおそるベランダを越えて手を伸ばす。
「では、リディノ姫、これをあなたに差し上げましょう。その代わり、どうか、哀れと思って、私が渡したなどと口外されぬようにお願いいたします」
何せ、私の恋心は多少周囲にも知れていること、その恋を貫くこともなく、あなたの恋を満たしたなどと嘲笑われるのも辛いので、と付け加える。
「わかっています」
リディノは厳しい顔で頷いて、ジュナの手から小瓶を受け取った。両手に囲い、握りしめる。まるで炎の欠片を包んだように、苦しげな顔が一瞬リディノの面を過ったが、続いたジュナのことばにあっさりと流れ去った。
「もう一つ、私に御手をお許し下さい」
それが、私があなたに望む唯一の報償ですので。
「……はい」
リディノは小瓶を握った手を引きつけ、もう片方の手を差し伸べた。押し頂くように受け取り、汗ばんだ手の甲に唇をつける。ぴくりと震えたリディノの手は冷たく、今にも死にかけている小動物のように儚げだった。
「では…お気をつけて」
「……ありがとう、ジュナ」
呟くように名前を呼び捨てて走り去るリディノは、もうジュナを振り返らない。確信しているのだ、崇拝者が自分を裏切ることなどないと。思い込んでいるのだ、ジュナが彼女の前にひれ伏していると。
もし、ほんの一瞬、リディノの中に正気が目覚めて、たったもう一度だけジュナを振り返ったのなら、見えただろう、ジュナの顔に浮かんだ奇妙な笑みが。とても彼女を敬愛しているとは思えない、その侮蔑の気配が。
そうして、手にしている小瓶を急いで棄てただろう、中身がジュナの約束したような甘やかな未来をもたらすことはないと気づいて。いや、リディノが本来のリディノであったのなら、そもそもジュナのことばになど耳を貸さなかっただろう。小瓶も受け取らなかっただろう。
けれど、リディノは振り返らない。
小瓶を固く握りしめ、いつどのようにアシャの食べ物の中に混ぜればよいか、どうすればアシャに気づかれずに雫を加えることができるか、それだけを必死に考えながら足を速めている。
「可愛らしい姫君」
ジュナは呟いた。
「愛らしく、幼く……醜い姫君」
唇を吊り上げる。
彼女はいつか知るのだろうか、その道なりに寝そべる蛇の名を。




