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ここのところ連日、レスファートは時間があればジノに詩をねだりにくる。リディノのように慰めを楽しみを得るためではなく、詩を自ら歌おうとして、つまりは教わりに来ているのだ。
ユーノがいない不安を詩を教わることで紛らわせているというにはあまりにも熱心過ぎた。また、国に戻れば一国の主となる者が、あえて詩人のように詩を覚えなくてはならない理由もはずだ。
「詩人にでもおなりですか」
それでもからかうようにレスファートに問いかけると、少年は思いのほか大真面目な顔で答えた。
「うん。それぐらい、たくさん覚えたい」
ジノが覚えている詩ぐらいは一通り。
「私が覚えている詩ぐらいは、ですか」
幼い物言いに思わず苦笑する。ジノが覚えている詩だけとはいえ、数百曲はあるだろう。もちろん、この世の中にはもっとたくさんの詩があり、こうしている今も,新たな詩が生み出され紡がれ続けているのだが。
レスファートはジノを探して公邸中走り回っていたのだろう、汗で濡れた額に張り付いた髪をうるさそうに払い、透明なアクアマリンの瞳でジノを見返した。
「なぜ?」
そのまっすぐさに押されそうになって、問い返す。
少年の答えは単純だった。
「ユーノをね、慰めてあげたいの」
当然のように、けれど、どこか照れくさそうに微笑する、その笑顔にはっとするほど大人びたものが通り過ぎた。
「ずっと旅をして来て、いろんなことがあったよ。つらいこともかなしいこともあったけど、ユーノはどんな時も、ぼくをだきしめて守ってくれた。ぼくもユーノがつらいとき、だきしめてあげたいけど」
きゅ、と一瞬、大人の男のように苛立たしげに唇を結び、レスファートは両腕を広げて見せる。
「ぼくの腕はまだ小さい」
低い声音が悔しそうに訴えた。
「ユーノをだきしめるほど大きくなりたいけど、まにあわないんだ。ぼくがおっきくなる間、ユーノはきっと、いくにちも、いくばんも、じっとつらいことをがまんするんだ。それは、嫌だ」
はっきりと言い切った声は強かった。
「けれど……詩なら、ぼくにも歌える」
微かに目を伏せる。瞼の下の瞳が、地底深くの泉のように、ゆらめきながら何かを見通すように輝いている。
「どんな暗い夜でも、どんな寒い所でも、かんかん照りのさばくでだって、ぼくはユーノのために歌ってあげられる。この手でユーノをだきしめられなくっても、アシャがいない時でも、ぼくが詩を歌えるでしょ?」
(この方は)
ジノは無意識に顔を引き締めて、レスファートの語ることばを聴いていた。
(愛情というものを、ご存知なのだ)
それが、『側に居る』ということに尽きるということも。
脳裏を、花苑に向かってただ1人、ジノを遠ざけたリディノの姿が掠めた。その耳にレスファートのことばが届き続ける。
「そのとき、ぼくは、ユーノが詩ってほしいと言うだけ、詩ってあげたいんだ。もういいよってユーノがいって、そのうちぐっすりねむってしまうまで、ずっと詩っていてあげたいの」
それがどれほど厳しい覚悟か、理解している者は少ない。大人であっても、ほとんどの者は、そんな容易いことと笑うだろう。
けれど、一度でも、為してみようとすれば、わかるのだ。何も求めず、ただ相手の慰めのために側に居ること、側に居て相手のために自分のものを差し出し続けること、それは、自らの中に干涸びることのない豊かな泉を持っていて初めてできる、奇跡の一つだと。
(私は、足りなかった)
リディノの側を離れたのは、離れよと命じられただけではない。ジノの持ち得る全てを差し出しても、今のリディノを慰め切れない、そう諦めたからでもあった。
レスファートが聴けば不思議がるだろう、今こそリディノの側に侍ること、それがジノの仕事の全てではないのかと。
「だから、ジノ」
ジノの想いとは無関係に、レスファートはじっとこちらを見つめながら、生まれ持った王族の度量に旅で培った意志力を加えたのだろう、拒むことを許さない明瞭さで命じてくる。
「ぼくに、詩を教えて」
「レスファート様…」
(そう、だったな)
思い出した。
(私に『創世の詩』を続けさせたのは、この方だった)
「ジノ?」
「わかりました」
ジノはレスファートに立風琴を手渡し、手を差し伸べて相手を抱き上げた。大事な立風琴を落とすまいとしっかり抱えたレスファートが大きく目を見開く。
その顔を見上げて、ジノは笑いかけた。
「イルファ様はどこにおいでです? 2人であの方にお聴かせして、どちらが上手か比べてみましょう」
「イルファはだめだよ」
レスファートが唇を尖らせる。
「詩なんて、シチメンドウクセエのはショウにあわないって言ってるもん」
舌足らずな口調で、イルファのやくざな台詞をまねて、吹き出した。
「ぜったい、とちゅうで寝ちゃうから」
「かもしれませんね。なら、どちらがイルファ様を眠らせないかというのはどうでしょう」
「うーん…それならできるかなあ…」
(レスファート様が詩って楽しく、聴かせて喜ばしい詩は…)
レスファートが考え込むのに、ジノは聴き手を眠らせない賑やかで明るい詩を思い出そうとしながら、ゆっくりと歩いていった。




