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食い止めようとしても脳裏に過る様々な光景。華やかなセレド皇宮の夜会、笑い興じる談笑を背に1人カザド兵と戦った。傷つき疲れ切って倒れ込む枕元に、母の優しい笑みはなかった。いつ仕掛けてくるか、どう仕掛けてくるかを悩み迷い俯く体に、父の温かな抱擁はなかった。
攻撃を防ぎ、平穏を護り、己の皇女としての役目も全うし、緊張と努力の日々に、一度でもよくやったと、辛かっただろうと、慰め認めてもらったことがあるのか。むしろ、少女としては愛らしくなく、娘としては優しくなく、皇女としては華やかでなく、つまりは全てに未熟で足りない存在だと、繰り返し責められてきたのではなかったのか。
気を失うように眠りに落ちては悪夢にうなされ、飛び起きて見る白銀の月光、差し込む部屋にはただ1人の幻さえなく、首を振って自分の甘さに苦笑しながら、胸を抱き締め手足を縮めて床に就く。傷みは夢の中でもユーノを追い続け、夢魔に身体中の傷を抉り直されていくような想いで薄目を開ければ、明け方の光の中、汗と血で粘りつく躯を横たわらせている自分しかなく。
或いはアシャ。
レアナを想う自分の付き人、ユーノの運命に巻き込んでしまった代償、今できることはアシャの想いを全うさせて護ること、だがしかし、命の天秤はユーノの命を積んだぐらいでは釣り合わぬほども傾いていて、この上何を重ねれば、大事な姉と愛しいアシャとの未来を護り抜けるかわからない状況。一瞬重ねられた唇の柔らかさに、庇われて抱かれた腕の強さに、命の危機に包まれた胸の温かさに惑うユーノから、レアナの幻が繰り返しアシャを連れ去っていく、たった一夜の夢からさえも。
哀しいと思わなかったと言えば嘘になる。
虚しくなかったと言えば偽りになる。
(でも、それでも)
真夜中、照り輝く星月を見上げ、呟いた。
(仕方ないじゃないか、強いんだから)
アシャやレアナや母達が苦しむのを見るぐらいなら、自分が傷ついた方がいい。慣れている。強い。1人で生き抜ける、誰の助けも要らぬほど。
「だってボクは…!」
傷ついてる。苦しい。辛い。哀しい。寂しい。
けれど、それでも。
「ボクは!」
この命は自分だけのもの。
(誰にも自由にさせない!)
アギャン公のことばに絡めとられかけたのを感じる、それを真っ向から同じくことばで叩き潰してやりたいのを感じる、けれど足りない、それがわかる。ユーノのことばでは、この老人の諦観を砕けないことがわかる、それが。
(くそおっ!)
喉に詰まったことばが吐き出せなくて悔しくて、歯を噛み鳴らして、なおも前へ体を乗り出そうとした矢先、
「アギャン公」「っ」
す、とふいにアシャがユーノとアギャン公の間に割り入った。視界が全面アシャの背中に遮られる。あ、と思った瞬間に体が後ろへよろめいた。慌てて足を踏み替える、同時にほ、と吐息をつき、我に返る、自分がどれほど熱くなっていたのか自覚する。
(私)
だって、と胸の内で小さな微かな声が囁いた。
(生きたかったんだもの)
突然視界が熱くなりぽろぽろと零れ出した涙に呆然としながら、胸の中の声に耳を傾けた。
(もっと幸せに、笑って、楽しく、生きたかったんだもの)
死にもの狂いで剣を引っさげ草原を走り抜けるのではなく、温かな陽射しに剣の煌めきを見ながら完成された技を楽しみたかった。冷たく光る星の下で血塗れになって戦い抜くのではなく、目を奪う美しい月と豊かな草原を吹き渡る風の中で眠りたかった。夜会は苦手で一緒に舞い踊ることはできなかったかも知れないけれど、見事な細工物や珍しい旅語りを肴にこころゆくまで味わいたかった。
(あなたが世界に絶望していようと)
私は、生きたいんだ。
(どう言えば、伝わる)
あなたの絶望を私に押し付けるんじゃない。
「く、そ…っ」
ことばにならなくて俯き、歯を食いしばる。その耳に、ひどく穏やかなアシャの声が聴こえてきた。
「その様子ではご存知ないらしい」
アギャン公は動く気配がない。
「あなたが統治を棄てられたのは知っている」
背中越しに響いてくるアシャの声は温かかった。だがそれは、容赦のない厳しさを含んでいた。
「一つ、お知らせしておこう。私達がアギャンの分領地で聞いたところでは、即位はグードス殿ではなく、カルキュイ殿とのことだった」
空気が止まった。
「話によれば、グードス殿は『泥土』へ赴かれて行方知れず、あなたは統治されず、ならば、カルキュイ殿の即位もやむを得まい。だが、それについて『氷の双宮』に知らせがないのはどういうことか?」
「な…に……?」
声にそっと覗き見ると、アギャン公の背中が強張っていた。再びそろそろと、顔だけが右肩方向から振り返って、片目でアシャを凝視する。
「グードスがおらぬ…?」
不安げな声とともに眉が寄せられる。
「……カルキュイが……即位…?」
「うむ」
「そんな、馬鹿な!」
アシャの肯定に間髪入れず、アギャン公が叫んだ。
「一体誰がグードスを『泥土』に……カルキュイなぞがなぜ即位を……あやつらは、そんなこと一言も…!」
(あやつら?)
「アギャ…」「…」
問いかけようとしたユーノを、背中を向けたまま、アシャが右手を背後へ回して制した。庇うように包むように体に回された腕、だがそれよりアギャン公の叫びが気になって、ユーノは身を乗り出す。
「『泥土』になぞ……どうして『泥土』になぞ……」
老人の声はなお嗄れる。
「あそこには泥獣が復活しておるというのに…」
(がるしおん?)
聞いたことがあるようなないような、だが、確か太古生物の一種、ではなかったか。昔語りの詩人がことさら声を潜めて語った下りになかったか。
「帰らぬ……? 帰らぬ……カルキュイが即位………ぉ」
ふいに、ことりと音をたてて、アギャン公の中で何かが固まったようだった。ぎょっとしたように見開いた眼がぎらぎらと輝く。
「そう…か……あやつらが欲しがったのは…四大公の座か……グードスを死なせて………お……おおお」
声が悲嘆を帯びる。
「儂は……儂は……取り返しのつかぬ……ことを…」
(騙されたんだ)
ユーノは覚った。




