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(いやだ)
ギヌアは身動きもせずにラズーン支配下の地図を見ながら考えた。
アシャに剣では敵わなかった。
(そうだ、剣では)
あの時の恐怖をそうすり替えている。腹立たしさと悔しさが、下腹部で赤くちろちろと舌を出し、燠のように燃えている。
(だからと言って、俺が全てあいつに劣っているはずがない)
アシャは視察官として事実上『ラズーン』を棄てた。『太皇』は他の正統後継者をその任より解いた。『ラズーン』崩壊は止むなし、万が一、アシャが『ラズーン』に牙を剥くなら、自らが向かおうと言うつもりなのだろう。
いずれにしても、もうこの『ラズーン』はギヌアの手には入らない。
(そんなことにさせるものか)
ギヌアは決意を込めて地図を睨んだ。
本来ならば、アシャがその座を離れた後、これはギヌアが継ぐべき領土だったはずだ。彼が戴く冠だったはずだ。
それをみすみす焦土とし、或いはアシャの蹂躙や、他国の侵略に解放するどんな道理があるのだ。
(まだ俺が居る)
もちろん、ギヌアとて、『ラズーン』が暗躍する『運命』や甦る太古生物の存在に苦慮しているのは知っている。
だが、ギヌアは彼らの扱いに『太皇』と異なる見解を持っている。
いくら『正しい』生命体とはいえ、確かに『ラズーン』は弱々しい存在だ。『氷の双宮』の再生力で、人はようやく存在を保証されているに過ぎない。
けれど『運命』達は世界各地に散り、闇に潜み、夜に巣食い、着々とその力を蓄えつつある。遅かれ早かれ、『運命』は世界に繁茂する闇となり、人はその間を恐れ戦きながら擦り抜けるように生きる時が来るだろう。
それほどの力を利用しない手はないのではないか?
『運命』を説得し、或いは力づくで征服し、従えることができたならば、『ラズーン』という昼の支配者と『運命』という夜の支配者に区分けして、世界を治めればいい。
流石のアシャも、二つの勢力を持ってすれば倒せるだろう。『ラズーン』滅亡を防ぐ手立てはそれしかない。
だが、『太皇』は、ギヌアの考えを受け入れなかった。遠い昔、星に忠誠を誓ったのは、己の生を、闇の力に曲げずに全うすることであったとして、闇をも受け入れよというギヌアには反対した。
「確かに、始めは闇を従えることができよう」
『太皇』は憐憫を込めた口調で諭した。
「しかし、ギヌアよ、人の心は想像以上に脆いものじゃ。闇を従え闇を支配していると思い込んでいるうちに、いつしか、闇にこき使われ魔に仕えることとなろう。そうして、世は再び荒廃の時代を迎えよう……そうなった時には、我らがこれまで行ったことは全て水泡に帰すだろう」
惑いはなかった。ただ悼みだけをたたえた声音は、別の者であったなら、また、別の機会であったなら、相手の心に深く沁み渡ったかも知れなかった。
だが、ギヌアの心には届かなかった。
(この『ラズーン』を諦めろというのか?)
目も眩むほどの巨大な権力と栄誉が、手の届く所に転がされているのに、触れるなと?
(本気のはずがない)
数百年、その地位に居たのだ。『太皇』に欲がないわけがない。
(手放したくなくなったのだ)
アシャが居れば譲らざるを得ないが、アシャが居なくなった今、ギヌアにやるのは惜しくなったのだ。
(ならば)
これ以上、『太皇』に訴えても何も変わらないと判断したギヌアは、単身、『運命』に近づき、その支配者になることを決意した。『運命』を従え、この長の座を、本来ならギヌアの物であるこの世界を取り戻すのだ。
『運命』は、魔の力を持ってはいたが、実のところ烏合の衆だった。人の世界に挑むのはただただ捨て去られた恨みから、それまでは、各々がそれぞればらばらに、己の力で何とか『ラズーン』に穴を空けて潜り込み、そこで生き延びようとしていただけだった。次々どこからともなく、生まれ来て増えていく仲間も、我が居場所を荒らす者と考え、互いに争い合うことさえあった。
未来はないのに、生きることを望み、死ぬこともできず、互いの魔の力で争い合うしかない集団。
その中に降り立ったギヌアは、まさに救世主だった。自分達の未来を勝ち取るための方策を授け、決して関わることも入り込むこともできない人の世界に闘いを挑み、『運命』とともに戦場を駆け抜ける『人』。
そうして、ギヌアは『運命』に降り、王となった。




