14
(あーあ、可哀想に)
アシャが詰問し始めた後ろで、ユーノは苦笑した。
確かにアシャは女顔だし、細身の体に剣は不似合い、すぐにねじ伏せられるだろうと思ってしまったのも無理はないが、少し目利き出来る者なら、伏せられた睫毛の長さに冷淡な微笑がごまかされていると気づくだろう、しなやかに体を包むように回す腕が常人と違った張りを備えていると感じるだろう。つまりは、相手が愚かだったということなのだが、その代償が大きすぎる気がする。
「……なるほど、よくわかった」
「オ、オレはあんたの役に立ったか? な、役に立ったろ?」
「うむ」
必死に確約を求める男に、アシャはなおも艶やかに微笑む。見ようによっては邪気のない愛らしい笑みと見えないこともないが、その口元が微妙に穏やかすぎる。紅の唇が吐息を紡ぐように甘く囁く。
「本当に役に立った」
「なら……げっ!」
ほっとした男の顔が次の瞬間苦痛に歪んだ。鈍い衝撃音、ぎょっと見開いた瞳がくるりと反転し、太い首筋に叩き込まれた手刀に、男はあっけなく崩れ落ちる。
「…役に立ったんじゃないの?」
「ああそうとも、だが、助けるとは約束していないしな」
「酷いなあ」
「酷い?」
溜め息まじりに呟いたユーノの声に、腰を上げたアシャが聞き咎めて振り返る。
「酷いんじゃない、にっこり笑ってぶっ叩くなんてさ」
「う」
アシャが答えに窮して開き直る。
「じゃあ何か、俺が酷い男なら、お前も俺に苛めて欲しいわけか」
「まさか! アシャに苛められたら体が保たない…」
顎を逸らせてユーノを見下ろしたアシャの視線が、笑いながら見上げたユーノの視線にぴったりと合わさる。
「あ…」
突然、ユーノの体に広がったのは夢で味わった甘い感覚、見下ろしたアシャの視線がまるで自分の体を探ったような気がして思わず熱くなった顔を背けた。
アシャに、苛められる、身動き取れないほど抱き竦められて、逃れようのない愛撫に沈む…。
「っ」
(何を考えてる)
「ごめん、今日、ボク、変だ」
慌てて弁解しつつ、無意識に体を翻してアシャから離れる。
(熱い)
アシャの側は体温が跳ね上がっていくようで息苦しい。
「とにかく行こうよ、必要な事はもう聞き出せたんだろ」
ごまかし半分、忙しく促す。
「…ああ」
少し遅れて響いたアシャの声に構わず、先に立って歩き出す、と、いきなり腕を掴まれ引き寄せられた。
「ユーノ…」
「え…?」
肌が触れ合うほど間近にアシャの体を感じて、どきりと跳ねた心臓に唾を呑む。
(何)
ひょっとして、何かがアシャの心に触れたのだろうか。
何かがアシャの衝動を引きずり出したのだろうか。
あり得ない何かが、ついに起ころうとしているのだろうか。
頬をほてらせながら振り向いたユーノは、アシャがむしろ冷えた顔でじっと小路の奥を見つめているのに眉を寄せた。
「どうしたの?」
「この辺りに『宙道』の入り口が開いている」
「えっ」
たちまち、波打っていた胸の鼓動がおさまった。その代わり、冷え冷えとした、砂を噛むような嫌な感触の予感が広がる。
「『宙道』? どうしてこんな所に」
「今の男から聞き出したんだが、こいつらは『暗い道』を通って洞穴から来たそうだ」
「『暗い道』って……『宙道』のことかな」
「たぶんな。そして、『洞穴』というのは、おそらくカルキュイが捨てられてたという『穴の老人』(ディスティヤト)の洞穴だろう」
ユーノの腕をそっと離し、両手で空を探っていたアシャが、ぴたりとある一点で動きを止めた。
「あったの?」
「ああ…どうやらここらしい。ちょっと離れてろ」
「うん」
数歩下がったユーノは、アシャの両手が、まるで空中に溶け込んだ透明な輪を取り出すように、ゆっくりと円を描くのを見つめた。曖昧にくるりくるりと回されていた手が、やがて指先を立て、何かに食い込ませていくようにくっきりとした円周を追っていく。
「、ふっ…!」
一瞬の制止、微かな気合いとともに、アシャの紫の瞳が野獣じみた猛々しい光に輝き、頬に血の色が浮かんだ。ぱしっ、とどこか遠くで小石が弾けて当たったような音が響き、アシャの指が掌を揺らさずに震え出す。ほぼ正面で見えない扉に当てられたように合わせられていた手が、血の気を失って真っ白になった。手首から手前は通常の色なのに、手首から先が練り上げられた香蝋のように生気を失っている。痛みが走るのだろう、微かに歪んだ唇から細く長く、けれど決して弱々しいものではない息が吐き出される。
と、その掲げられた両手がじりじりと左右に離れ始めた。見えない平らなものを押し返すような手の形のまま、円弧を描いて下へ下へと離れていく。その掌の動いた跡に、きらきら輝く光の断片、炎の先端とでも言うしかないようなものが、軌道となって残っていく。アシャの手はなおも緩慢に動き続け、光る軌跡を残したまま、膝のあたりでようやく合わさった。
「!」
再び、声にならぬ、しかし激しい裂帛の気合いが、アシャの口を突いた。同時に、その金色の軌跡に囲まれた円の中が、突然周囲の街並と不似合いな暗さに澱み、ぼこりと口を開ける。
ユーノは大きく目を見開いた。
「『宙道』(シノイ)を……開いたの…?」
「いや、ちょっと封印がしてあったのを抉じ開けた」
事もなげに言い放ったアシャは、中空に浮かんだ闇の中へ無造作に踏み込む。
傍目にはただただ不可思議に黒い円盤のように見える『宙道』(シノイ)の入り口は、アシャが跨ぎ越すのを難なく受け入れる。
そうして見ると、この世界でおかしいのは、中空に浮かんだ円というよりは、その円を支えていないように見える周囲の景色だったし、半身踏み込んで振り返るアシャというより、周囲の景色にはめ込まれているかのような自分の姿、そんな気がしてきて、ユーノは慌てて首を強く振り、問いかけた。
「封印って、そんなに簡単に開けられるの?」
「封じた力によるさ。たいした力で封じられていなかったからな。もっとも、並の視察官なら1日がかりかも知れん」
自分の力を誇る様子はなかった。事実は事実、そんな淡々とした物言いに逆に圧倒される。無造作に落ちて来た前髪を払い、そのままユーノに手を差し伸べる。
「?」
「…開いた、とは言え、1封印されていたものを無理矢理開けたからな、俺以外に対しては少々不安定だ」
「だから?」
「手を貸せ」
「は?」
どうするの、と尋ねると同時に引き寄せられる。
「こうするんだ」




