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「わ!」
次の瞬間、まるで布製の人形のように軽々と、ユーノはアシャの左肩に二つ折りに担がれてしまった。落っこちまいと慌ててアシャの背中に手を突く。うろたえて跳ね上げようとした脚をあっさり片腕で押さえられて身動き取れなくなった。
「あ、アシャっ」
「いつ敵が来るかわからんからな、片手は空けておきたい。苦しかったら早めに言えよ」
「う…うん、わかった」
体を起こしているとかえって相手の邪魔になる。仕方なしにくったりと力を抜いて、あまりぶらぶら揺れないように片手をアシャの胴に回したが、震えることもなく、アシャは大胆に歩き始める。
「…振り分け荷物かよ」
「何か言ったか?」
「言ってない」
アシャの体温にどきどきしてしまう自分が情けない。相手が特に何も感じていないようなのが二重に落ち込む。
それでもゆらゆらと揺れる頭の中で形を取り出したのは、今の2人の状況ではなくて、得体の知れない敵のことだった。
(『穴の老人』(ディスティヤト)……一体どんな奴らなんだろう。どうしてアギャン公の座を狙ったりするんだろう。グードス……彼はどうなったんだろう)
ラズーン内部への侵攻。それは容易く想像がつくが、一気に押し込んで来ずに、じわじわと伸ばされてくる触手のような侵略の気配が落ち着かない。
(どこから…どんなふうに……いつ仕掛けてくる……?)
その時ユーノは、アシャは、レアナやレスファートやイルファ達は、どこで何をしているのだろう。これまでの旅のように、互いの背中を守り合えるような状態なら心強いが、ラズーン全土にくまなく防御を張り巡らせるとなると、散り散りになることもあるかも知れない。
(互いの生死を知らぬままに)
『宙道』(シノイ)は予想していたよりも短かった。
「……着いたの?」
「ああ」
「降りる?」
「そのままでいろ」
ユーノを担いだまま、立ち止まったアシャの体に緊張と力が漲り始める。そっと体を起こしてみると、ユーノを抱えている手と逆の手を前方へ伸ばしている気配、降ろしてくれさえすれば、アシャは両手を使うことが出来、入り口を開くように一気に出口も開けるのにと思ったが、見下ろした足元の暗がりがただの闇ではなく、妙にうねうねとのたうつような塊に見えて体がすくんだ。
「…ひょっとしてここも安定していない?」
「出口だからな。変に力むと呑み込まれるぞ」
アシャの笑いは冷ややかだ。この世ならぬ世界の力を中途半端に扱う輩への嘲笑を含んでいる。人柱の1人2人は埋められていそうだな、と物騒なことを呟いて、それでも封じられた空間を開くには、片手では時間がかかった。
「っ」
闇を走る黄金の光、耳に聞こえる音ではないが、周囲を圧する声をアシャが響かせたとたん、背中から眩い光が溢れ出したのがわかった。一瞬目を閉じたユーノを宥めるようにぽんぽんと叩き、アシャはゆっくりと境界を跨ぎ越した。
「よし、いいぞ」
「うん」
両手を添えられ、静かに降ろされる。とん、と足元に触れた地面に思わず大きく息を吐く。
「大丈夫か?」
「大丈夫……何?」
見下ろしたアシャが奇妙な表情で自分を眺めているのに眉を寄せた。
「どうしたの?」
「いや……顔が赤いな」
「赤くもなるさ、あんな姿勢で担がれてたら。おまけに身動き取れないし」
もう少し長かったら、完全に頭に血が昇ってたかも。
「今もちょっとぼうっとする」
「そうか…すまん」
ふいに伸ばされた指が避ける間もなく頬を撫でてぎょっとした。何をするのかと問う前に、アシャはくるりと背中を向けて周囲を見回す。今触れたことなど幻だったかのようなそっけなさ。
(アシャ……あなたも、今日は変だよ)
胸の中で呟き、小さく息を吐いて気持ちを切り替え、ユーノも同じように周囲を見渡した。
山の麓だ。灰色がかった岩と枯れて朽ちかけたような樹々、この地方独特のかさかさした茶色の草が生い茂る崖の中腹、やや右寄りの岩棚に一つの洞穴が口を開けている。
「あそこのようだな」
「人の気配はないね」
ユーノとアシャは周囲を伺いつつ、気配を殺しながら洞穴に近寄った。
黴臭いにおいはしない。腐敗臭もない。生き物の気配が感じられない。
だが、レガの洞穴の記憶は、ユーノの中にくっきりと刻まれていて、思わず入り口で警戒する。
アシャが穏やかな笑みを浮かべて振り返った。
「待っているか?」
「大丈夫だよ」
強がって、ユーノはぐいと唇を引き締め、脚を踏み出した。
見かけに反して洞穴はかなり深かった。ごろごろとした岩と石ばかりの場所、こういう所にありがちな水っぽいじめじめした苔や草は全く見当たらない。
だが、目が慣れてくると、どこからか薄明かりが射してくるのがわかった。外の夕暮れ近い柔らかな光ではなく、黄色っぽい人工的な明かりの色だ。進むにつれて次第に明るさを増してくるその光、曲がりくねった穴の中の、幾つ目の曲がり角だっただろうか、ふいにゆうらりと光が動き、ユーノはぎくりとして脚を止めた。
「…アシャ…」「…ああ」
正面に一人の老人が背中を向けて座っている。
光は老人の向こうから照らしていて、相手の姿は影のようにしか見えない。
ふ、と老人が身動きした。
「誰だ」
低い声が洞穴に重く響き渡った。




