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「トーム…いえ、カルキュイ・トスト・デノは、わしの息子ですじゃ…」
老婆は粗末な木の机に、湯気の立つ温かな白湯をカップに入れて二つ置き、ユーノとアシャに勧めながら話し出した。
「いや、元々わしの息子、というわけじゃありません。公宮の近くの洞穴に捨てられていた赤ん坊を拾ったのですじゃ。その頃、わしも連れ合いを亡くしたばかり、子もおらんかったので、大事に大事に、舐めるようにして育てましたですじゃ。が…どうしたことか、2、3年前から、突然、アギャン公の跡を継ぐのだとか申しましてな……昔から気の強い子じゃったが……一体……どうした……ことやら……」
老婆は膝の上で握りしめていた灰色の目の荒い布を、急いで目元に押し当てた。声を掠れさせて苦しそうに啜り泣く、その痛ましい姿に眉を潜め、ユーノはアシャと目を見合わせる。家の中というのでフードを落としたアシャが、紅を塗った口元も鮮やかに優しく先を促した。
「それで…?」
「それで…」
ぐすっ、と洟を啜り上げた老婆は、声を励まし励まし話を続けた。
「1年前に、ついに姿を消してしまいましたのじゃ…それはもう探しましたとも。しかし、どうにもこうにも見つからなんだ。じゃが、ある日、またひょっこりと戻って参りましたのじゃ、何やら不気味な術を身につけてなあ……しかも、アギャン公の跡を継ぐ世継ぎであると名乗って、もうわしの元には戻りませなんだ。一体どうされたことか、アギャン公も何もおっしゃらずに息子をお側に置かれたようで……わしは幾度か諌めに参りましたのじゃ、じゃが、公宮に入ることも叶わず……聞けば……グードス様も、ここ十数日、『泥土』に出られたまま戻っておられないと……」
老婆は堪えかねたように、また布を口に当てる。吹き出しそうな叫びを何とか堪えようとでもしているようだ。
「そんな間に……こんなことに……こんな大それたことをしでかして……もしグードス様がお戻りあらば……どれほどお嘆きになるか…お叱りになるか……トームはどんなことになってしまうのかと……そればかり………それ……ばかり……思いまますのじゃ……そればかり案じましたのじゃ……」
衆人環視の中で、地に伏して懇願しても息子を諌めようとした母親を、容赦なく、しかもただ苛立ちに馬の足蹴にしようとした男を、老婆はなおも心配している。手塩にかけて守り育てた子どもの、幼い笑顔だけを思い返すのか、くうくうと呻き声を漏らして泣き続ける。
「アシャ…」
「ええ」
鋭くアシャを見たユーノに、相手は用心深く頷いた。
グードスが十数日前に『泥土』に出かけて帰っていないというなら、誰がミダス公を襲ったのか。いや、仮にグードスの姿を模してアギャン公に疑いをかけさせるにしても、肝腎のグードスが不在では策略の呈も為さないだろう。
(ミダス公襲撃とアギャン公は関係がないのか?)
ならば、なぜ、ミダス公は襲われたのか。
「不気味な術とおっしゃいましたね」
アシャが静かに問いかけた。
「どんな術ですの?」
「さ、それが」
老婆はびくりと顔を上げ、擦って赤くなった目を瞬いた。急に怯えた表情で周囲を見回し、そこここに潜む影に何者かが宿っていないかと訝るように視線を走らせて後、囁くように口にする。
「それがもう、人のすることとは思えませぬのじゃ。1度だけ、家に戻ってきたトームに、馬鹿なことは考えるなと諌めた時…」
なおも声を低めたので、ユーノとアシャは思わず老婆に屈み込む。その耳へ、
「あの子の腕が…」
伸びましたのじゃ。
「え…」
ぎょっとするユーノに、老婆は慌ただしく首を振る。
「本当のことですのじゃ、嘘は申しておりません。あの時、きつうく光る眼をしましてな、殴られるのかと身を縮めたとたん、まるで枯れ木のような腕がするすると伸びて……わしの首を絞めましたのじゃ」
トームは力丈夫ではなかったものの、きちんと肉のついた体をしておりました。じゃが、あの時の腕は、確かにトームのものじゃのに、まるでトームとはまったく違う何かの生き物のように、勝手にわしに絡みつくようで。
「……恐ろしい…ことですじゃ……」
それでも、我が子ではないと思い切れない、それでも、この先を案じてならない、そう泣き崩れる老婆を挟んで、ユーノとアシャは険しい顔を見合わせた。




