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「まずいことになったな」
翌日、アシャは自室に集まった周囲を一瞥し、窓の外へ目を向けた。曲者が潜んでいないかを探る顔ではない。あからさまになってくる真実の面倒さに、何か別の糸口を見つけようとするような表情だ。
「どうしてだ」
盛り上がった筋肉質の体をどさりと椅子に投げたイルファが、こちらははっきりと不思議そうに尋ねる。
「狙った奴の顔を、お前もミダス公もユーノも見てるんだろ? 聞けば『銅羽根』とやらを率いるグードスという奴らしいじゃないか」
仮にも寝食を世話になっている組織の一員を、正面切ってけなしているという意識はないらしい。部屋の中に居る、ユーノやアシャ、『銀羽根』の長シャイラなどを一渡り見回し、アシャに視線を戻す。
「はっきりとは言えないよ」
それぞれの厳しい顔を見やって、ユーノは腕を組んだ。
「私が見たのはほんの少し、一瞬のことだし、それに、私自身、グードスを見たのも1度きりだもの」
ことばが宙に浮きそうになるのを堪えた。
本当は自分の見たものを疑っていない。だが、それと『グードスもしくはアギャン公が裏切り者だ』と断言するのは、全く別の話だ。
「けれども」
シャイラが険しく眉を寄せて呟いた。
「私の知っている限りでは、この辺りで耳輪をつける慣習は、アギャン公分領地にしかないはずですし…」
こちらも状況証拠しか上げられない、微妙な声音だ。
「なら、なおさら困ることはないじゃないか」
イルファは不審そうに繰り返し、テーブルに置かれた薄紫の水晶の杯を掴んだ。器の精妙さを愛でることなく、ぐびりと中身を呑み干し、ふむ、と満足そうに唸って杯を置く。もう一杯注いで欲しいという顔でシャイラを見たが、相手が動く気配がないのに残念そうに吐息をつくと、
「グードスとやらでないにせよ、ミダス公を狙ったのはアギャン公とやらの配下なんだろ。さっさと取っ捕まえて泥を吐かせりゃ、済むことじゃないか」
四大公もその部下も、イルファにとっては他国感覚、全て『とやら』で済ませる様子にアシャは微かに苦笑した。だが、すぐに顔を引き締めて、
「『そう』だったらな」
声は厳しい。窓から入ってくる快い朝風に、輝く髪を緑の上衣に嬲らせながら、
「確かに四大公のうちの1人が裏切っているという情報はある。加えてアギャン公はここのところ評判が芳しくない」
周囲を見渡し、軽く頷く。
「彼が裏切っていたなら、それはそれでいい。だが、万が一、アギャン公ではなく、アギャン公に罪をなすり付けるための演出であったら、俺達は無駄な労力を使うばかりじゃない、四大公の結束が崩れていっていることをギヌア達に、いや内外全ての諸国に触れて回るようなものだ」
低いがよく通る声は、淡々と、だが的確に問題点を挙げ列ねた。
ラズーンには多くの物資と人が集まり、また離散する。動くのは物や人だけではない。情報もまた運ばれ、ばらまかれる。
軍師と名乗る者ならば、情報を制御することが戦の初歩の初歩だとわかっている。そして、情報を制御することほど難しいものはないこともわかっている。人の口に戸は立てられない、霧は消えても湿り気は感じ取るものだ。
アシャは四大公の裏切りに対処するだけではなく、それを追及していくラズーンの動きが、波打ち動き始めた世界にどんな影響を与えていくか、十分に理解しているのだ。
「人は言うだろう、ラズーンは老いた平原竜だと」
老いた平原竜は自らの不調の原因がわからない。命を奪う最大の危険は体に巣食う網虫だが、それに侵されていく間に感覚が奪われ機能がじりじりと消えていくから、平原竜はわけがわからず苛立つだけだ。
だが、長年の乗り手だけは唯一、旧き友の危機に気がつく。
『そうなったらどうなるの』
『旅路の最後を共にするのさ』
ユーノの問いにシートスは黄色の瞳を細めて笑った。
『苛立ち暴れ荒れ狂う平原竜とともに戦に向かい敵と闘う』
『危険じゃない?』
『危険などどこにでもある。野戦部隊の暮らしに安全などない』
だが、そうやって凌いで凌いで、老いた平原竜を見送った時、平原竜は人語を話すとシートスは言った。
『人のことばを?』
『それが本当に人のことばなのか、そこまで友と通じた証の何かなのかは知らぬがな』
シートスは静かに続けた。
『俺は2頭、見送った』
ユーノは尋ねた、彼らは何を話したのか、と。
だがシートスは豪快に笑ってこう応じたものだ。
『それは俺だけに与えられた褒美だ。お前にはまだやらん』




