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「…居たのか」
「お邪魔ですか」
「…いや」
どこか眩そうに振り仰いだシートスの視線を避け、アシャは長椅子に腰を降ろした。テーブルに酒の満たされた盃があるのに気づいて思わず苦笑する。
「気が利くな」
「…」
薄い笑みで応じて、シートスが盃を取り上げる。互いに一口二口酒を含む間の沈黙を、シートスが見ようによっては酷薄に輝く黄色の瞳に笑みをたたえて破った。
「……ずいぶんと思い切ったことをなさったものですな」
「………」
アシャはこくり、と酒を呑み下す。舌の上でとろりと広がる、ラクシュの実さえ必要としないほど芳醇な味の上物だ。先を促すようにシートスが新たな酒を注ぎ足す。吐息をついて口を開く。
「……左肩の傷で気がついた」
「シズミィにやられた傷ですな?」
もう一口、酒を含んで呑み下した。今度は香気を苦く感じた。
「普段のユーノなら、あの傷がどれほど重要な意味を持っているか、わからぬわけがない。今のような状況で、しかもラズーン内部への『運命』の侵攻も疑われる中、片腕使えないということは、死に一歩踏み込んでいるのと同じだなんて、百も承知のはずだ」
「それはわかっているでしょう」
シートスは静かに取りなす。そこには己の配下であった者への信頼がある。
「ああ、わかっている、わかっているくせに無茶をする」
苛立ったように、アシャはことばを重ねた。
「ユーノの無鉄砲は今に始まったことじゃない。わかっていたんじゃないですか?」
窘めるようなシートスの口調は、その実、心情の吐露を煽る。
アシャはそれに甘えた。
「確かに、あいつの無茶は今に始まったことじゃない、だが、ユーノは無茶であっても馬鹿じゃないんだ」
(もっと早くに気づくべきだった)
「今までだって生死を決めてしまうような傷はあったさ。だが、多少なりとも、あいつなりに、治そうと努力はしていたんだ。痛みを堪えて訴えてこなくても、傷そのものが悪化するようなことまではしなかった。それが……他に助けを求められない、あいつの……ユーノなりの知恵だったはずだ」
一旦ことばを切り、唇を噛む。思い直して口を開く。
「……だが、あの傷で気がついた」
アシャは始めのことばを繰り返した。
「本当ならとっくに治っていい傷だ。今回は『珍しく』無茶もしていなかったし、十分に休養を取れる場所も時間もあった。なのに、あの分じゃ中身まで治り切るのに、まだ時間がかかる。治癒力が落ちたわけじゃない、手当がまずいわけでもない、けれど、治るのにきっと今までの数倍時間がかかる。………それをあいつは『わかっていた』し、隠していた」
「…わかっていた?」
訝しげなシートスの顔に、舌打ちしそうになるのをかろうじてやり過ごした。想像できたはずだった、ユーノの性格を思えば。それに気づかなかった己の不甲斐なさに歯噛みしたくなる。
「…『レアナがここにいる』んだよ」
「レアナ姫…」
「あのばかは、レアナに気づかせまい心配させまいとして、無意識に無理をしてるんだ」
は、と溜め息を吐いて、アシャは後ろにもたれ込んだ。
「きっと、始めの頃、レアナがつきっきりで看病していたあたりから、もう無理してたんだ」
無茶ではない、微かで僅かな緊張。けれど、そんな些細なことでも四六時中続けば,十分に負担となる。それは、旅の空の下、治ることに専念するしかなくて、心を許した仲間の元で深く眠り込めていた時とは雲泥の差を生み出す。
呼ばれれば元気そうに笑う。レアナが困っている気配があれば手を貸す。うとうとと休みたくとも、レアナが側に居れば目を覚ましていて話に付き合う。看病されているのに、常にレアナの動きに気を配り、言動に配慮し、気持ちを砕く。
「ということは」
「レアナが『そういうこと』に疎いわけじゃない。レアナにとって、それが『あたりまえ』だったから、ユーノが無理をしてるなんて思ってもみない」
それはユーノにとってどれほど過酷な状況だっただろう。
休みたくとも休めない。
傷つき疲れ切っているのだから、なりふり構わず唸ったり苦しんだり傷みにもがいたりして当然のところを、レアナ1人が居ることでそれらが全て暗黙のうちに封じられる。そればかりか、無意識に強いられる、笑顔で居ること、大丈夫だと確約すること、レアナを不安や心配から護り続けること、を。
「……レアナはおそらくこれからもずっと、ユーノの側に居るだろう。ユーノを心配して。何かしてやりたくて。ユーノとレアナの関係がすぐに変わるわけもないし、ユーノの性分が急に変わるわけでもない。この先も、あいつは傷を受けても知らぬふりで笑い続けてるさ、ぶっ倒れるまで」
言い切ってアシャは背もたれに仰け反った顔を片手で覆った。
(そして、俺はそれをどうにもできない)




