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「ユーノは……優れた剣士です」
「……ええ、そうです」
「無事にラズーンへ来れたのも、その才能あってのことだ」
「…はい…?」
「これらの傷の大半は、もっと前のものですよ、レアナ姫」
「………前…?」
訝る声は本心だ。本当に、レアナは一つも知らないでいるのだ。
アシャは小さく息をついて、ユーノの体の汚れを少しずつ濡らした布で拭ってやる。左肩の傷が熱を持っている。また悪化しかねない。傷の1つ1つを拭い、改め、処置を施していく。寒くなったのだろう、ユーノが少し体を震わせたが、まだ目覚めない。
「カザディノ、という男をご存知ですね?」
「…はい」
ようやくレアナはベッドまで辿り着いていた。たおやかな手がふらついた足下を支えるようにベッドボードを握りしめる。力で関節が真っ白になっている。
「どのような男でしょうか」
「どのような…?」
問われたことばの意味を量りかねている、そういう顔でレアナが眉を寄せる。それでも、記憶の中から拾い出した印象は決して楽しいものではなかったようだ。
「…一国の主とは思えないほど、残忍で狭量な男性、と聞いていますが」
「一度狙った獲物は決して諦めない、とは聞いたことがありませんか」
「一度狙った獲物……あ…」
訝しく呟きかけて、途中でレアナは声を上げた。さすがに自分のことと気づいたらしい。
「…いいえ、でも」
が、すぐにレアナは小さく首を振って続けた。
「確かに、かつてカザディノ王は私を望まれたと聞きました。けれど、丁重にお断りしてからは何も言ってこられていないはず……お父さま達も私にそれと話されたことはありません」
「……セレディス皇もミアナ妃もご存知なかった」
尖りそうになる声を、アシャはかろうじて押さえつけた。眠り続けるユーノに目を落とす。
「そればかりか、セレド皇宮の誰一人として知らなかった」
「……?」
レアナは小首を傾げる。
「…カザディノは、一度これと目をつけた相手を諦める男ではない。むしろ、一層執拗に狙い続け、どんな手段を使ってでも手に入れる男……あなたのように美しい方を、そう易々と諦めるはずがない」
薄く頬を染めたレアナは、戸惑った声で尋ねる。
「では…どうして」
「ユーノが……矢面に立っていたんです」
「…え…?」
「繰り返された幾度もの攻撃から、あなた方に知らせることなく、1人であなた方を、いえ、セレドそのものを守り続けていたんです」
唐突に胸を貫いた傷みは、ユーノが背負った重さを今更のように感じたせいだ。
甦る思い出、夜の闇、剣を閃かせて奔る少女、知らせまい気づかせまいとするが故に、気を失うほどの傷に悲鳴も上げず、ただ1人で傷みに耐え死と対峙し続ける。大事な人々の安らぎを護ろうとする、そのためだけに。
命を背負うには覚悟が要る。国を背負うには決断が要る。そして、それを誰にも気づかせまいとするならば、慟哭を呑み込む器が要る。
「でも……でも……『あの時』は…」
レアナは首を微かに振った。
「ユーノはまだ12歳です…」
そんなことができるはずない。
無言のレアナの抗議にアシャは瞳を上げる。
「剣を習っていたのは7歳からだ。5年もあれば、ユーノほどの才は容易く花開く」
「でも……でも……っ」
そんなことは、ありえない、はずなのです。
両手の拳を握りしめ、アシャに今にも食ってかかりそうに見上げるレアナの顔は紅潮し、苛立ち、怒りをたたえている。
「私が……私が……?」
あの子が傷ついていたのにずっと気づかなかった、と?
声にならない問いかけに、アシャは無言で見つめ返す。
そんなことはあり得ない。そんなことはなし得ない。
だから、何もないはずだと。
人は簡単に己を欺く。
己の理解を越えた瞬間、『それ』を現実から閉め出してしまう。
いつかユーノもこんな瞳でアシャを見るのだろうか。
アシャの出自を知った瞬間、明かされた真実を幻にすり替えようともがくのだろうか。
「レアナ…」
気づかなかったのはあなただけではないのだ。気づかなかったのは俺もなのだ。俺もまた、ユーノが抱えている闇の重さを薄々感じながら、今日今この時まで、そこへ踏み込もうとしなかったのだ。
胸深く響く声に、アシャは打ちのめされつつ、レアナを見つめ続ける。
「では……あの時から…?」
掠れた声は震えている。零れ始めた大粒の涙は清らかで、その瞳を曇らせることなく次々と溢れ落ちる。
「あの時から、私は、あの子を……」
見捨ててきたと言うのですか。
ついに真実に辿り着いた声音に絶望を感じて、アシャは眼を背けた。同じ絶望を、今アシャも感じている。
(そうだ、俺もお前を見捨てていたんだ)
こんなに近く、こんなに側に居ながら。
横たわるユーノの体をそっと包み直し、掛け物をかけてやる。
(すまない)
今はもう、謝罪のキスさえ贈れぬ自分に歯を食いしばりつつ、身を翻した。戸口に向かい、立ち竦むレアナとすれ違う。
「……手当は終りました。後はおまかせします」
低く囁いて部屋を出る。扉を閉めたが、室内では物音一つ聞こえない。レアナはまだ身動きできないでいるのだろう、開かれた真実に恐れ戦いて。
「……ふぅ」
深い溜め息を一つつき、アシャは振り切るように歩き出した。1歩進む毎にユーノと距離が開いていく。それがこの先の自分の未来そっくりで、体を削がれるように苦しい。それでも無理に歩き続けて、ようやく自分の部屋に戻ると、妙に心得顔のシートスが居た。




