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「くそっ……くそおっ!」
ユカルは懸命に平原竜を急がせた。さしもの平原竜も喘ぎ、ほとんど限界にきていたが、焦燥はユカルを駆り立てて止まない。
(俺が、せめて、俺に隊長ほどの腕があれば!)
そうであれば、ユーノ一1をあの修羅場に置き去ることなく戦い抜けた。最後は敵に刺し貫かれるしかなくとも、最後の最後まで互いの背中を守り合えた。
だが、今は確かに、ユカルはこうして使者として走るしかない。あのまま残ったところで、今のユカルではユーノを助けるどころか、彼女の脚を引っ張りかねない、そう判断して三角州へと奔り続けている、が。
(俺は……俺は!)
額帯は誇りの証、自信の源であって、それを負担や重荷に感じたことはこれまで一度もない。だが、ユカルはそれを剣技で受けたのではなかった。物見としての類稀なる才能に対して授かったものだ。
モス兵士の侵攻をいち早く気づけたと、ついさっきまでは誇らしかったそのことが、今は無性に悔しかった。
(剣で受けていれば! 受けられるほどの剣技を持っていれば!)
憤りを強く叫んで吐き出す。
「はあっ!!」
それでも、今できることをするしかない。
顔を歪め自身も喘ぎながら、ユカルはなおも平原竜を猛らせ駆り立てる。まだか、まだ先か、仲間は、モス兵士は、そう苛立ちながら前方を透かし見たユカルは、ぎょっとして危うく平原竜に急制動をかけるという無茶をしそうになった。
「な…にっ……?」
前方から二騎駆けてくるのは馬ではなく、仲間の平原竜だ。そして、その側に栗毛の馬を蹴立てている眩い姿、あれはきっとアシャだろう。だが。
「モ、モス兵士は…? どこに行った?」
必死に周囲を見回すが、あれほどの大隊がどこにも見えない。ユカルやユーノの接近に警戒して速度を上げたとしても、歩兵も居た、人数も居た。あれほどの集団がこんなに見事に掻き消えてしまうわけもない。
(夢を見た、のか…?)
いや違う。駆け寄ってくる平原竜と馬の背後の景色は、今もまだ土煙と砂埃に霞み、今の今までかなりの集団が移動していたことを教えている。なのに、その本体が影も形もない。
「アシャ! アシャ・ラズーン!!」
答えを知っているのはただ1人だろう。ユカルは大声で呼ばわりながら、平原竜の速度を緩めることなく近づいていく。
「物見!」「『星の剣士』(ニスフェル)は?! 」
口々に問いかけてくる仲間の問い、ユカルもようよう速度を落としつつ叫び返す。
「どうなってるんだ! 奴らは?! モスの大隊はどうした!」
「っ」
その一瞬に仲間の顔に過った奇妙な表情を、ユカルは長く忘れなかった。ちらりと視線を走らせた、その先には平然とした顔のアシャ・ラズーン、近づくユカルの問いに声を荒げることもなく、淡々と言い放つ。
「宙道だ」
「…は?」
ことばの意味が掴めなかった。弾んだ呼吸を整えながら、同じように速度を落として合流した相手の顔をまじまじと見つめ返す。
「急いでいたからな」
曇天の下、今にも降り出しそうな空模様を背景に、光を浴びてもいないのに鮮やかな金褐色の髪が、砂埃の風に舞う。
「宙道…?」
繰り返して、何とかその意味に辿り着く。
(宙道に連れ込んだ、って?)
「で、でも」
ユカルは思わず周囲をもう一度見回した。
「あれだけの大隊をどうやって」
「……ラズーンの外壁を調べると、巧妙に隠された宙道の出口があった。辿ってみると、思った通り、三角州に続いていた」
アシャのことばは穏やかだ。穏やかで静かで、それだけに妙に凄みがあってぞくぞくする。
「後は簡単だ。宙道を辿って三角州に出、待機していた彼らに状況を話し、あのあたり一体に入り口だけの宙道を幾つか造った」
ちらりと冷ややかな紫の瞳が背後を流し見る。いつもならば、誘惑されているのかと思えるほどの華、しかし、その花弁は今、凍りつくほど鋭く尖った刃だ。こちらを傷つける気負いさえない。触れれば切れてしまうだけ、それほどそっけない。
「入り口だけの、宙道?」
そんなものがあるのか。ましてや、そんなものを人が造り出せるのか。
疑問を込めて側の仲間を見やったが、仲間2人はどこか蒼白い顔でアシャを見ているだけだ。
「宙道の使い方を知っているのは視察官ぐらいだろう。奴らに出口があるかどうかの見分けはつくまいと踏んでね」
色鮮やかな唇に、今微笑が過らなかったか。
「案の定、いつもの入り口が増えたぐらいにしか思わなかったんだろう。三々五々、素直に次々と入ってくれたから、最後の1人が入った後に宙道を閉じ、封じた」
「宙道を閉じ、封じる…」
宙道を滅多に使うことがない野戦部隊とはいえ、それがどんなものであるかは見聞きしている。この世ならぬ世界の狭間を通って貫かれた闇の道、その中を通る時には馬は怯え、心弱い者は悪夢にうなされて眠れぬほどの不安を抱くという。
いくら国策による侵攻とはいえ、そのような道を進むためには、強靭な精神とたじろがぬ気概が必要だろう。新兵を含めなかったのも納得出来る。心身とも強く逞しい者が選り抜かれ、闇の道を進軍したのだ。
だが、今回の道には出口がなかった。どこまで進んでも、どこにも出られず、どこにも辿り着かない道を、ただひたすらにどこまでも歩き続ける。
「…」
ユカルは思わずぞくりと体を竦めた。ただでさえ翳っている陽が、なお弱々しく光を失った気がする。
「でもアシャ、何かのきっかけでまた開くということは」
「無理だな」
ぱさりと乾いた声音で言い放ち、アシャが冷笑した。
「俺の封印は俺にしか解けない。それに」
またもや唇を掠める笑み。禍々しさなど一切ないのに、なぜだろう、人の笑みに見えないのは。
「宙道はそれほど丈夫なものではない。時々に補強しなければ、いずれ形を失って無に帰す。おまけに少なく見積もっても入ったのは50人そこそこ、急ごしらえの宙道がそれだけの負荷に耐えられるとは思わない」
「……耐えられないとなったら、どうなりますか」
聞かなくてもわかったが、聞かない方が怖かった。
「閉じた瞬間に、おそらくは崩壊しただろう」
「…崩壊…」
茫然としたユカルの顔は、きっと側の2人の仲間と同じ表情を浮かべていただろう。
(この人は何を言ってるのか、わかってるのか)
今、その手を血で汚しもせずに、50人の命を一瞬で奪った、そう話している。
(いや、わかってる)
アシャはわかっているのだ、自分が何をしたのか、十二分にわかっている。
わかっているからこそ、これほど静かに冷静に話す事ができる。宙道を造った瞬間、いや造ろうと考えた瞬間に、彼らの命を握り潰す覚悟などできてしまっていたのだ。
(これが、『氷のアシャ』の本性…)
多くの悲惨な戦いを勝ち抜き生き残ってきた隊長、野戦部隊のシートス・ツェイトスが頭を垂れるのは、アシャが上将だからではない。一か八かの決断を、ためらいなく容赦なく行って、確実に成功させるからだ。
(別人じゃないか)
ユーノと居るときは、これほどの冷たさは感じなかった。むしろ、ユーノに振り回されている優男、そんな気配でさえあったのに、今目の前にいる男は、その優しげな面立ちからは想像もつかぬ非情さを見せて、周囲の緊張にたじろいだ様子もない。
(怖い…人だ)
この刃が、もし自分に向けられたなら。
(俺は確実に殺されてる)
思わずぶるっと体を震わせ、はっとする。




